とある週末、家族に、出かけようと言われた。出かける気なんて僅かにもない。家でゆっくり、一人でいたい。出かけたいなら勝手に行けばいい。何故、私なんかを誘うんだろう。
当時の私にとって、このように誘われることは甚だ疑問だった。
何処か呆れたような声で諭された。どうして私が我儘を言っているようになっているの?と、心の底から疑問を覚えた。行かないと言う私を外へ連れ出そうてしているのはそっちなのに、我儘を言っているのはそっちなのに。
もし、外へ行かない私を心配してくれているのならば。そして、無理矢理にでも外へ連れ出そうとするその行為を優しさと呼ぶのならば。
それは一方通行の思いで、それを有難迷惑と呼ぶのだと言ってやりたかった。
強制的に乗せられた車の中、不機嫌を隠すことも無く運転をするお父さん、助手席に座るお母さん、そのどちらにも声をかけた。別に、答えてくれるのであればどちらでも良かったから。
いいとこ?私は、そんな曖昧な答えは求めていない。思わず舌打ちをしてしまいそうになったがどうにか留めて、後に続いた「チケット」という言葉に思いを思考を寄せた。チケット、ということは、ライブか?外へ出ないせいで、テレビも見なくなったせいで世間というものから切り離された私の脳みそでは、浮かぶ選択肢はたった一つだった。
ライブだとして、一体誰の?ライブって昼から時間から行くものなの?朝とかじゃないの?
そんな、取り留めもない事が頭をぐるぐると回り、途中で面倒になって考えることをやめた。
そしてそのまま、眠りについた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!