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第2話

少年時代
7
2020/10/12 17:20
私が生まれたのは1990年台後半のことだ。私が生まれた時には納豆が好きだったらしい。いまは納豆はとても嫌いだが親は私の好き嫌いまで熟知している。小学校の頃は野球をしていた。私が野球を始めるきっかけは近鉄バファローズをはじめてみた時にホームランを選手が打った時、自分も打ってみたいと思うようになった。またある選手は敬遠のボールをヒットにしたり、代打として出てきた選手がホームランを打った。そこに私は感動をし野球を始めた。私の背番号は一振りで決める気持ちも込められて24番となった。しかし私の所属していた少年野球クラブは弱小でいつもコールド負けをしていた。10-0や12-0酷い時には22-0で負けた時もあった。しかしそんな時でも父や母は私が野球をしている姿をみにきた。初めは嫌だと思っていたが今大学生になり振り返るとそんな時間が愛おしかったのだなと思う。振り返ると涙が溢れてしまう。中学からは反抗期が始まった。「嫌い」「死ね」など何回親に言ったことか。あの時は自分が一番だと勘違いをしていた。振り返るだけでも恥ずかしくなってしまう。好きな人もできたが告白して振られてしまった。そんな子はもう今年結婚したらしい。嫁ぎに行った時いたとき、すごいなあと思うと同時に私も一人暮らしをいずれはするのかななどと考えるようになった。高校ではインドアな生活になり実家が好きになった。野球をやめ家でゆっくりとした時間を過ごすようになり、家が好きになった。こんな時間が一生有れば良いとまで思えた。自分の部屋でこもってゲームなどをした。友達と話す時間が増えたがその分親と話す時間は減ってしまった。高校2年の冬おばあちゃんを亡くした。おばあちゃん子だったのは自他ともに認めており。いつもおばあちゃんが味方してくれた。怒られた時もおばあちゃんが優しくしてくれた。そんなおばあちゃんを亡くした時自分は葬式で号泣した。人目をはばからず泣いた。人がいなくなることがこんなにも辛いのかとそう思った。同級生もお葬式に来てくれて自分が泣いていたのをそっと見守ってくれた。出会いと別れがある学生時代。大学4年の秋になって思うとその出会いは一生忘れない。これは綺麗事ではなく心の中からそう思った。そんな私が親元を離れて上京するのがどれだけ寂しいかわかっていただけると幸いです。就職活動をして内定をもらった時大阪勤務だと思っていた。しかし東京で働くと言われた。不安しかない。

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