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第18話

屋根裏の散歩者 18
12
2021/08/28 23:00
 三郎は、その当座、例の目覚し時計のことが、何となく気になって、夜もおちおちねむれないのでした。仮令遠藤が自殺したのでないということが分っても、彼がその下手人げしゅにんだと疑われる様な証拠は、一つもない筈ですから、そんなに心配しなくともよさそうなものですが、でも、それを知っているのがあの明智だと思うと、なかなか安心は出来ないのです。
 ところが、それから半月ばかりは何事もなく過去すぎさって了いました。心配していた明智もその後一度もやって来ないのです。
郷田三郎
ヤレヤレ、これで愈々大団円か
 そこで三郎は、ついに気を許す様になりました。そして、時々恐ろしい夢に悩まされることはあっても、大体に於て、愉快な日々を送ることが出来たのです。ことに彼を喜ばせたのは、あの殺人罪を犯して以来というもの、これまで少しも興味を感じなかった色々な遊びが、不思議と面白くなって来たことです。それゆえ、この頃では、毎日の様に、彼はうちを外にして、遊び廻っているのでした。
 ある日のこと、三郎はその日も外で夜を更かして、十時頃に家へ帰ったのですが、さて寝ることにして、蒲団を出す為に、何気なく、スーッと押入れの襖を開いた時でした。
郷田三郎
ワッ
 彼はいきなり恐ろしい叫声を上げて、二三歩あとへよろめきました。
 彼は夢を見ていたのでしょうか。それとも、気でも狂ったのではありませんか。そこには、押入れの中には、あの死んだ遠藤の首が、頭髪かみのけをふり乱して、薄暗い天井から、さかさまに、ぶら下っていたのです。
 三郎は、一たんは逃げ出そうとして、入口の所まで行きましたが、何かほかのものを、見違えたのではないかという様な気もするものですから、恐る恐る、引返して、もう一度、ソッと押入れの中を覗いてみますと、どうして、見違いでなかったばかりか、今度はその首は、いきなりニッコリと笑ったではありませんか。
 三郎は、再びアッと叫んで、一飛びに入口の所まで行って障子を開けると、矢庭やにわに外へ逃げ出そうとしました。
明智小五郎
郷田君。郷田君
 それを見ると、押入れの中ではしきりに三郎の名前を呼び始めるのです。
明智小五郎
僕だよ。僕だよ。逃げなくってもいいよ
 それは、遠藤の声ではなくて、どうやら聞き覚えのある、ほかの人の声だったものですから、三郎はやっと逃げるのを踏み止まって、恐々こわごわふり返って見ますと、
明智小五郎
失敬失敬
 そう云いながら、以前よく三郎自身がした様に、押入れの天井から降りて来たのは、意外にも、あの明智小五郎でした。
明智小五郎
驚かせて済まなかった
押入れから出た洋服姿の明智が、ニコニコしながらいうのです。
明智小五郎
 それは実に、幽霊なぞよりはもっと現実的な、一層恐ろしい事実でした。明智はきっと、何もかも悟って了ったのに相違ありません。
 その時の三郎の心持は、実に何とも形容の出来ないものでした。あらゆる事柄が、頭の中で風車の様に旋転して、いっそ何も思うことがない時と同じ様に、ただボンヤリとして、明智の顔を見つめている外はないのです。
明智小五郎
早速だが、これは君のシャツのボタンだろうね
 明智は、如何にも事務的な調子で始めました。手には小さな貝釦を持って、それを三郎の目の前につき出しながら、
明智小五郎
ほかの下宿人達も調べて見たけれども、誰もこんな釦をなくしているものはないのだ。アア、そのシャツのだね。ソラ、二番目の釦がとれているじゃないか
 ハッと思って、胸を見ると、成程、釦が一つとれています。三郎は、それがいつとれたのやら、少しも気がつかないでいたのです。
明智小五郎
形も同じだし、間違いないね、ところで、この釦をどこで拾ったと思う。天井裏なんだよ、それも、あの遠藤君の部屋の上でだよ
 それにしても、三郎はどうして、釦なぞを落して、気附かないでいたのでしょう。それに、あの時、懐中電燈で十分検べた筈ではありませんか。
明智小五郎
君が殺したのではないかね。遠藤君は
 明智は無邪気にニコニコしながら、――それがこの場合一層気味悪く感じられるのです――三郎のやり場に困った目の中を、覗き込んで、とどめを刺す様に云うのでした。
 三郎は、もう駄目だと思いました。仮令明智がどんな巧みな推理を組立てて来ようとも、ただ推理丈けであったら、いくらでも抗弁の余地があります。けれども、こんな予期しない証拠物をつきつけられては、どうすることもできません。
 三郎は今にも泣き出そうとする子供の様な表情で、いつまでもいつまでも黙りこくって衝立つったっていました。時々ボンヤリと霞んで来る目の前には、妙な事に、遠い遠い昔の、例えば小学校時代の出来事などが、幻の様に浮き出して来たりするのでした。