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第17話

屋根裏の散歩者 17
15
2021/08/21 23:00
明智小五郎
これは目覚し時計ですね
北村
そうですよ
北村は多弁に答えるのです。
北村
遠藤の自慢の品です。あれは几帳面な男でしてね、朝の六時に鳴る様に、毎晩欠かさずこれを捲いて置くのです。私なんかいつも、隣の部屋のベルの音で目を覚していた位です。遠藤の死んだ日だってそうですよ。あの朝もやっぱりこれが鳴っていましたので、まさかあんなことが起っていようとは、想像もしなかったのですよ
 それを聞くと、明智は長く延ばした頭の毛を、指でモジャモジャ掻き廻しながら、何か非常に熱心な様子を示しました。
明智小五郎
その朝、目覚しが鳴ったことは間違いないでしょうね
北村
エエ、それは間違いありません
明智小五郎
あなたは、そのことを、警察の人に仰有おっしゃいませんでしたか
北村
イイエ、……でも、なぜそんなことをお聞きなさるのです
明智小五郎
なぜって、妙じゃありませんか。その晩に自殺しようと決心した者が、明日の朝の目覚しを捲いて置くというのは
北村
なる程、そう云えば変ですね
 北村は迂濶うかつにも、今まで、この点に気附かないでいたらしいのです。そして、明智のいうことが、何を意味するかも、まだハッキリ飲み込めない様子でした、が、それも決して無理ではありません。入口の締りのしてあったこと、毒薬の容器が死人の側に落ちていたこと、其他凡ての事情が、遠藤の自殺を疑いないものに見せていたのですから。
 併し、この問答を聞いた三郎は、まるで足許の地盤が、不意にくずれ始めた様な驚きを感じました。そして、何故こんな所へ明智を連れて来たのだろうと、自分の愚さをくやまないではいられませんでした。
 明智はそれから、一層の綿密さで、部屋の中を調べ始めました。無論天井も見逃す筈はありません。彼は天井板を一枚一枚叩き試みて、人間の出入でいりした形跡がないかを調べ廻ったのです。が、三郎の安堵したことには、流石の明智も、節穴から毒薬を垂らして、そこを又、元々通り蓋して置くという新手あらてには、気附かなかったと見えて、天井板が一枚もはがれていないことを確めると、もうそれ以上の穿鑿せんさくはしませんでした。
 さて、結局その日は別段の発見もなく済みました。明智は遠藤の部屋を見て了うと、又三郎の所へ戻って、暫く雑談を取交したのち、何事もなく帰って行ったのです。ただ、その雑談の間に、次の様な問答のあったことを書き洩らす訳には行きません、なぜといって、これは一見極くつまらない様に見えて、その実、このお話の結末に最も重大な関係を持っているのですから。
 その時明智は、たもとから取出したエアシップに火をつけながら、ふと気がついた様にこんなことを云ったのです。
明智小五郎
君はさっきから、ちっとも煙草を吸わない様だが、よしたのかい
 そう云われて見ますと、成程、三郎はこの二三日、あれ程大好物の煙草を、まるで忘れて了った様に、一度も吸っていないのでした。
郷田三郎
おかしいね。すっかり忘れていたんだよ。それに、君がそうして吸っていても、ちっとも欲しくならないんだ
明智小五郎
いつから?
郷田三郎
考えて見ると、もう二三日吸わない様だ。そうだ、ここにある敷島を買ったのが、たしか日曜日だったから、もうまる三日の間、一本も吸わない訳だよ。一体どうしたんだろう
明智小五郎
じゃ、丁度遠藤君が死んだ日からだね
 それを聞くと、三郎は思わずハッとしました。併し、まさか遠藤の死と、彼が煙草を吸わない事との間に因果関係があろうとも思われませんので、その場は、ただ笑って済ませたことですが、後になって考えて見ますと、それは決して笑話わらいばなしにする様な、無意味な事柄ではなかったのです。――そして、この三郎の煙草嫌いは、不思議なことに、その後いつまでも続きました。