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第19話

屋根裏の散歩者 19
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2021/09/04 23:00
 それから二時間ばかり後、彼等はやっぱり元のままの状態で、その長い間、殆ど姿勢さえもくずさず、三郎の部屋で相対あいたいしていました。
明智小五郎
有難う、よくほんとうのことを打開うちあけて呉れた
最後に明智が云うのでした。
明智小五郎
僕は決して君のことを警察へ訴えなぞしないよ、ただね僕の判断が当っているかどうか、それが確めたかったのだ。君も知っている通り、僕の興味はただ『真実を知る』という点にあるので、それ以上のことは、実はどうでもいいのだ。
明智小五郎
それにね、この犯罪には、一つも証拠というものがないのだよ。シャツの釦、ハハ……、あれは僕のトリックさ。何か証拠品がなくては、君が承知しまいと思ってね。この前君を訪ねた時、その二番目の釦がとれていることに気附いたものだから、一寸利用して見たのさ。
明智小五郎
ナニ、これは僕が釦屋へ行って仕入れて来たのだよ。釦がいつとれたなんていう事は、誰しもあまり気附かないことだし、それに、君は興奮している際だから、多分うまく行くだろうと思ってね。
明智小五郎
 僕が遠藤君の自殺を疑い出したのは君も知っている様に、あの目覚し時計からだ。あれから、この管轄の警察署長を訪ねて、ここへ臨検した一人の刑事から、詳しく当時の模様を聞くことが出来たが、その話によると、莫児比𣵀の瓶が煙草の箱の中にころがっていて、中味が巻煙草にこぼれかかっていたというのだ。
明智小五郎
警察の人達はこれに別段注意を払わなかった様だが、考えて見れば甚だ妙なことではないか、聞けば、遠藤は非常に几帳面な男だというし、ちゃんと床に這入って死ぬ用意までしているものが、毒薬の瓶を煙草の箱の中へ置くさえあるに、しかも中味をこぼすなどというのは、何となく不自然ではないか。
明智小五郎
 そこで、僕は益々疑いを深くした訳だが、ふと気附いたのは君の遠藤の死んだ日から煙草を吸わなくなっていることだ。この二つの事柄は、偶然の一致にしては、少し妙ではあるまいか。すると、僕は、君が以前犯罪の真似事などをして喜んでいたことを思い出した。君には変態的な犯罪嗜好癖があったのだ。
明智小五郎
 僕はあれから度々この下宿へ来て、君に知れない様に遠藤の部屋を調べていたのだよ。そして、犯人の通路は天井の外にないということが分ったものだから、君の所謂『屋根裏の散歩』によって、止宿人達の様子を探ることにした。殊に、君の部屋の上では、度々長い間うずくまっていた。そして、君のあのイライラした様子を、すっかり隙見して了ったのだよ。
明智小五郎
 探れば探る程、凡ての事情が君にゆびさししている。だが、残念なことには、確証というものが一つもないのだ。そこでね。僕はあんなお芝居を考え出したのだよ、ハハハハハハ。じゃ、これで失敬するよ。多分もう御目にかかれまい。なぜって、ソラ、君はちゃんと自首する決心をしているのだからね
 三郎は、この明智のトリックに対しても、最早もはや何の感情も起らないのでした。彼は明智の立去るのも知らず顔に、
郷田三郎
死刑にされる時の気持は、一体どんなものだろう
ただそんなことを、ボンヤリと考え込んでいるのでした。
 彼は毒薬の瓶を節穴から落した時、それがどこへ落ちたのかを見なかった様に思っていましたけれど、その実は、巻煙草に毒薬のこぼれたことまで、ちゃんと見ていたのです。そして、それが意識下に押籠おしこめられて、精神的に彼を煙草嫌いにさせて了ったのでした。

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