ある日、
ハーヴェスト男爵のもとに
1通の手紙がとどいた。
その手紙には差出人の名が書かれておらず、
不審に思って中を開けてみると...
そこには「楽譜」だけが、1枚入っていた。
その3日後にまた1通、
さらにその2日後にまた1通と
差出人のない手紙は立て続けに届いた。
そして中身は決まって「楽譜」が1枚。
エミは気味が悪くなって、
ハーヴェストに尋ねてみたが、
彼は、
「気にしなくていい」
と言って、優しく、けれど速やかにエミからその楽譜を取り上げた。
エミは
どうにも気になって仕方がなかったため、
ハーヴェストに内緒で、
スコットランドヤードへ相談に行くことにした。
難事件を数多解決していると
ロンドンタイムズでも取り上げられていた、
レストレード警部を訪ねて...。
1885年5月28日
PM1:00
署内はとても混みあっていた。
同じ制服に身を包み、
背中に針金でも入っているのではないかというほど背筋を伸ばし歩く新米警官たち。
その向こうで、
落し物を訪ねに来た老夫婦が手続きをしている。
と思ったら、目の前をひっぱられるようにして連れていかれる若い男と警官が通り過ぎる。
慌ただしく人が行き来していて、
誰に尋ねればいいかもわからない。
いったいどこへいけばレストレード警部に会えるのだろうか。
エミは新聞記事の写真で見た記憶を頼りに、
レストレードなる人物を探す。
と、その時。
目の前に居た警官が
「レストレード警部」と言うのをエミは聞き逃さなかった。
ユーガル巡査は、
丁寧にエミに聞き返す。
しかしそれでいて、どこか彼女を探っているような、少し警戒しているような、そんなふうに見えたのだが、
その言葉で、
ユーガル巡査の態度が一瞬でコロリと変わる。
それはそれは嬉しそうに。
それはそれは誇らしげに。
「あなたも警部殿の素晴らしさにお気づきなんですね!よろしければ警部殿の武勇伝をお聞かせいたしますよ!」
とでも続きそうな勢いだったが、
ユーガル巡査の後ろにいたもう1人の警官が、
前のめりになろうとした彼の肩をガシッと掴んで止める。
するとユーガル巡査は我に返ったようで、
「ゴホン」と咳払いして身を正した。
「ううむ」とユーガル巡査は考え込む。
そして、
.
.
.
ユーガル巡査に書いてもらった住所と地図をもとに、エミはロンドンの街をひた歩く。
男爵夫人が街中を歩き回るなんてはしたない、
と思われるかもしれないが、
異国人というだけで馬車に乗せて貰えないことがしばしばあるため、こうして歩いた方が早いということをエミは知っていた。
スコットランドヤードから歩き始めて約20分。
目的地まであともう少しというところで
事件は起きる。
エミがメモに一瞬目を落とした刹那、
前から歩いてきた男にぶつかってしまった。
そしてその相手は運悪く...
お世辞でも育ちが良いとは言えない風貌の男。
彼は傍にあった空き樽を思いっきり蹴飛ばす。
ジリジリと男はエミに詰め寄る。
周りは遠巻きに見ているだけで助けようとはしない。
このあと自分に襲いくるであろう運命を想像して
エミは顔が真っ青になった。
そう叫びながら、男が思い切り拳を上げる。
エミは思わず目を瞑った。
つづく
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!