午後の授業が終わり、あなたは渡り廊下を歩いて創作サークルへと足を向けた。
空には薄鼠色の雲がかかっていて、今すぐにも降り出しそうと言うほどでもないけれど、見ているとなんとなく不安になる天気だ。
クラスの違う十代も今頃はサークルに向かっているころかと思いつつ歩みを進めていると、後ろからぽんと肩を叩かれる。あなたはそこに十代の姿を期待して、素早く振り返った。
あんまり素早く振り返ったので万丈目も驚いたようであったが、あなたが返事をかえすとやれやれと言うように目元に微笑をたたえた。いきなり痛いところを突かれて鼻白み、自然と歩幅が小さくなるあなたに、万丈目は歩みのスピードを合わせながら尋ねた。
あなたが無理矢理話題を転じて万丈目に尋ねると、万丈目は違和感を覚えたろうにツッコむこともなく答えてくれた。家族とあまりうまくいっていないらしいことは聞き及んでいたのだが、まさか大学に進学してなお将来の話に折がついていないとは思ってもみなかったので、なんてことなさそうに答える万丈目の顔を二度見してしまう。
そういえば、以前万丈目は音楽に傾倒するあまり成績を落とした時期もあったなと思い出す。あのときは父親に成績を戻さないと楽器を没収すると言われたらしく嫌々成績を上げていたが、今はそうして葛藤している様子は見られない。どんな心境の変化があったかはわからないが、あのころに比べたら今は格段に落ち着いた。なんだかあなたを置いて大人になってしまったようだ。
見られていることに気付いた万丈目がこちらを振り返ってきて、あなたは慌てて目をそらした。
なんてことのないお喋りを続けていると、徐々に教室が見えてきて、二人は押し黙った。挨拶をしながら教室に入り、定位置になりつつある教室の片隅に椅子を持ち寄って腰を掛ける。
目ではもっと話が聞きたいと訴えていた万丈目だったが、あなたのことを慮ってかそれ以上は尋ねて来なかった。
今日は先日作っていた曲に合わせてキーボードを持ってきていたらしく、慣れた手つきで脚を組み立て始める。以前は専用部屋の片隅に造設された状態しか見たことがなかったので、初めて見る光景だった。なんだか万丈目が逞しく見える。
あなたも万丈目に倣ってノートPCを点けて、作業を始めた。
数時間かけて、曲が完成した。今回はいつもより早くできた割に、落ち着いた雰囲気でムーディーななかなかいい曲が作れたと思う。
あなたがぐぐっと腕を天井に向かって突き上げると、骨がぽきっと小気味のいい音を立てる。
PCから顔をあげたあなたは、万丈目とぱちりと視線が合った。
万丈目はキーボードの電源を落としてあなたのほうへ近づいてきた。
あなたは意気揚々とスピーカーから作ったばかりの新曲を流し、万丈目の顔色を伺う。誰かに初めて自分の曲を聴かせるときというのはどんな反応が来るかとつい胸が高鳴ってしまう。
万丈目はいつものごとく目を瞑ってしばらく黙っていたが、ふと目を開けて言った。
万丈目に真摯なまなざしで尋ねられて、追い詰められたあなたは昨日あったことを洗いざらい白状してしまっていた。
万丈目は時折相槌を挟みながら静かに聞いていたが、十代が百合とお似合いと言われたと言った場面では顔を顰め、「馬鹿もああまでだと笑えないな」と吐き捨てた。
不意に万丈目に俯いていた顎を持ち上げられて、視線が合わさる。
冬の夜のように澄んだ黒曜の瞳は、あなたの顔を愛おしそうに、それでいて傷ついた顔で見つめていた。
──綺麗な目。
あなたは万丈目の顔に手を伸ばした。
指先が触れるか触れないかの瞬間、十代の顔が万丈目の顔に重なる。
反射的に万丈目の手を払ったあなたは、床を睨みつける。
──わたし、今、なにを考えた?
今更になって自分のしようとしていたことがそら恐ろしくなり、あなたはドッドッとキックドラムのように胸を打つ心臓を服の上から抑えつけた。
あなたは逃げるようにその場を立ち去り、後には万丈目だけが残された。
あなたが校門に向かって歩いていると、どこからともなく賑やかな声が耳に入る。辺りをきょろきょろ見回して声のする方向を探ると、その声は西棟と東棟を繋ぐ渡り廊下から聞こえてくるようだ。
そこには、十代と百合がいた。
何を話しているのかまでは聞き取れなかったが、十代はお腹を抱えて笑いながら、百合は十代の肩をぺしぺしと叩きながら笑って楽しげに談笑している。
──お似合いだな
無表情が板についている自分とは大違いだった。
十代が自分といるときよりもすごく楽しそうで、胸を締め付けられるような痛みが走る。
気が付けば走っていた。
運動不足のあなたはすぐにへばってしまい公園の柵に手をついてはあはあと荒い息を整えながら、二人の仲睦まじい姿が見えなくなったことに安堵する。
逃げて、馬鹿みたいだと思った。
百合に言ってやればよかったのだ、十代くんはわたしのものだと。だから近寄るなと。
でもできなかった。
それほどまでに、二人は眩しかった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!