あなたが部屋でゆっくり作曲をしていると、十代が夜の空気とともにサークルから帰ってきた。あなたはぺたぺたと足音を鳴らしながら玄関に向かい、十代を迎える。靴を脱いでいた十代はあなたの姿を見るとすこし驚いたようだった。
万丈目から話がいっていないのかと疑ったが、もしそうなら電話の一本でも入れる十代だし、一人で帰るなんて絶対にしないだろうと思い直す。
定番に誤魔化しやすいお腹が痛いではなく、体調が優れないとぼんやりした内容を言うところが、不良行為に慣れていない万丈目らしいな、とあなたは顔に笑みを浮かべようとした。しかし久しぶりに笑う表情筋はあなたの感情についてこれず、唇をいびつに歪めるに留まる。
あなたはいびつな笑みを浮かべたままゆるゆると首を左右に振った。
百合の名前が十代の口から出た瞬間あなたは頬をひきつらせた。強張った自分の声が耳に響く。
──なんでここで百合さんの名前が。
今あなたにとって一番聞きたくない名前だった。
十代には一番に制作を楽しんでほしいが、他の女のアイディアに尻尾振って喜んでいるような十代を見るのは嫌だった。
否、それは十代の役に立てていない自分の負い目から来るものかもしれなかった。
料理も、掃除も、洗濯も、やってもらってばっかりであなたはなにもできていない。そのうえ絵のネタ提供もできていないとなれば、いよいよあなたが必要なのかわからなくなってくる。
百合のほうが十代の役に立っているし、十代の隣が似合うし、きっと十代のためなら家事だってしてくれる。あなたのことなんて見限って百合に靡いたって仕方ないって自分が一番わかってる。
──それでもしがみついてしまうわたしは、きっと醜い……。
突然水を向けられてあなたは慌てた。
今作りあがっているのは心の澱を煮詰めたようなあの暗い曲だけである。
あれは感情のままに作ってしまったもので十代に聴かせるようなもの出来のではないし、十代が聴いて気に入るようなものではないだろう。
音楽を作れることがあなたのアイデンティティなのに、十代を元気づける音楽ひとつ作れない自分はいよいよ何のために十代の傍にいるのかわからなくなってくる。
そんなことを考えていると空腹は徐々に薄れてきて、薄気味の悪い気持ち悪さが胸を苦しめた。いつものだ。
十代はこんなに尽くしてくれるのに、それを蔑ろにしてしまう自分の体質が恨めしく思えた。
別れようかな、と思う。
──こんなわたしはきっと、十代くんにはふさわしくない。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。