第5話

5*3B彼の朝ごはん(2)
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2022/03/28 15:00
あなた
——と、いうことがあったんだよね



結衣と仕事帰りに居酒屋で夕食をとる。

金髪青年との出来事を話し終えると、

結衣はハイボールをグイッと飲み干した。
前園 結衣マエゾノ ユイ
それ、完全にバイトのモデルと間違えてんな
あなた
だよね。もうあえて否定しなかった
前園 結衣マエゾノ ユイ
社内の人間ってわかったらわかったで、
なんかストーキングしそうで怖いわー
あなた
いいよねえ。新人くん
前園 結衣マエゾノ ユイ
あなたの名字って、あーいうのがいいの?
あなた
そうじゃなくって、
僕がデザインした服を着てください!なんて、
あなた
なんか頑張ってる感が、沁みるというか
フレッシュさがいいなって
前園 結衣マエゾノ ユイ
それな。
もう私らには、ないやつな!
前園 結衣マエゾノ ユイ
今は妥協と忖度で9割型の人間が
出来上がってるから!
あなた
あと1割は?
前園 結衣マエゾノ ユイ
100%は、上の言いなりにならないっていう
反骨精神?
あなた
それかぁ。
私はその1割もないかも
言われるがままに動き、

求められるままに与え、

相手にとって、そうであって欲しい人物を演じている。


その場所、その相手、によって色を変える。


—— まるでカメレオンみたいに。

前園 結衣マエゾノ ユイ
あ、もう空だ。すみませーん!
と、空のグラスを振りながら、店員を呼んだ。

こちらへと近づいてくる店員に、再度手を降って呼び寄せる。

店員1
お待たせいたしました。
ハイボールです
空のグラスを結衣の手から奪い、新しいハイボールと交換する。

すると彼女は不思議そうな顔を、こちらへと向けた。

前園 結衣マエゾノ ユイ
あれ? さっき頼んだっけ?
あなた
そろそろ頼むかな、って思って先に頼んどいた
前園 結衣マエゾノ ユイ
あー。あなたの名字ってさ、こういうとこだよね
あなた
こういうとこって?
前園 結衣マエゾノ ユイ
器用貧乏ってやつ。
気が回りすぎ。大好き♡
あなた
はいはい。私も大好きだよ



結衣をタクシーの中に押し込んだ。

久々の女子会の後、楽しい気持ちが続いていて、

この気持ちを持続したくて、もう少しだけお酒を飲みたい気分だった。

終電の時間を確認すると、あと1時間ほどは平気そうだ。

あなた
あと一杯だけ
そう決めて、いつもの帰り道とは別方向へと進む。

まだ春の名残りを引きずった冷たい風は、火照る肌には心地よくて、

深夜の夜道を歩く私の背中を押してくれる。

お気に入りの曲を聴きながら、急勾配の上り坂を登り切ると、


3階建ての細長い建物が目に入った。

灰色の壁には、正方形のガラス窓がいくつかあり、その窓から柔らかな光が漏れ出ている。






扉を開けると、店内に静かに流れるジャズの他に、左のブース席にいる客の話し声が聞こえた。

今夜は少し賑やかなようだ。

ゆったりとした気分で呑みたかったので、また来ようかなと思い、踵を返すと、

この店のオーナーである一条 悠真イチジョウ ユウマが、バックヤードから現れた。
一条 悠真イチジョウ ユウマ
あなたの下の名前ちゃん。いらっしゃい
あなた
悠真さん、いらしてたんですね
一条 悠真イチジョウ ユウマ
今夜は人手が足りなくてね。
何飲む?
今夜の最後の一杯と決めて店に入ったが、

悠真がいるとなると、そういうわけにも行かなそうだ。
あなた
じゃあジントニックを
一条悠真との出逢いは、3年前のこと——




——3年前

学生時代に何度か訪れたことのあるこのバーに訪れた時、私を案内したのが悠真だった。


以前、来店した時は、店の内装は80年代のダイナーをイメージした店だったが、


再び訪れた時には、

今どきな個室のブースとカウンターがあるモダンでおしゃれなバーになっていた。

一条 悠真イチジョウ ユウマ
いらっしゃい
あなた
あ、あのすみません、ここって、89ダイナーですよね?
一条 悠真イチジョウ ユウマ
ああ……、
オーナーが変わって、リニューアルしたんだ
あなた
そうだったんですね
懐かしみにきたものの、その影は無くなってしまったことに気づいて、

これは、残念だけど帰ろうと、踵を返した私に、
一条 悠真イチジョウ ユウマ
ねえ、よかったら一杯飲んで行かない?

そう誘われてから、気づくと足を運ぶようになってしまっていた。

その間に彼の髪は伸び、今では後ろで結ぶほどの長さになっている。

きっと、この店に通うのは

美味しいお酒が呑みたいというのもあるけれど、何よりこの店の空気感が好きなのだ。

あなた
(あれから3年も通ってるとは)
一条 悠真イチジョウ ユウマ
はい、ジントニック。
ライム多めにしてあるよ
あなた
ありがとうございます
トニックウォーターのほろ苦さに、ライムの効いた爽やかな喉越しは、疲弊した体に沁みる。

身体中に張り巡らされていた緊張が、一気にほぐれるのがわかった。


あなた
この一杯、家でくつろぎながら呑めたら最高なのに
一条 悠真イチジョウ ユウマ
ん? なに?
あなた
 いいえ。
いつも美味しいなーって
一条 悠真イチジョウ ユウマ
ありがと。
あなたの下の名前ちゃんに褒められると、今夜も頑張れるよ
あなた
ふふっ
男子1
ちょっとすみません!
と、突然、見慣れないスーツの男が声をかけてきた。
男子1
さっきから、そっちの席で呑んでて、
すっげえ綺麗だなって思って、つい声かけちゃいました!
気配を消すように悠真は奥へと引っ込んでいった。

客同士のプライベートなやりとりに、口を挟むつもりはないのだろう。


男子1
一緒にあっちで飲みませんか?
あ、僕たち全然怪しいものじゃなくて!
と、名刺を差し出した。

そこには、Q &Pコンサルティングという大手コンサル会社の名が記されている。

あえてカップルのよく使う個室ブースではなく、

カウンターに近いソファーのブースにいたのは、男だけだからという理由だというが、

こうした出逢いで釣れる女を探していたというのが正解だろう。


ここは土地柄、落ち着いた男女がゆっくりとお酒を酌み交わすのが似合う。
あなた
ごめんなさい、今夜は1人で飲みたい気分なので
男子1
どうか! 僕の顔を立てると思って! お願いします!
必死さをアピールしてくる男に、もはや呆れて言葉も見つからない。

よく見ると、この男の同僚だというブースの中の男たちは、

私を誘う男の様子を、チラチラと眺めては、酒の肴にしている。

おそらく、

当て馬として、女を口説いてくるという貧乏くじでも引かされたのだろう。

そういう企みが透けて見えると、

なんだか目の前で必死に頭を下げる男が可哀想に思えてきた。



あなた
じゃあ、このグラスのドリンクが飲み終わるまでで
男子1
やった!
ありがとうございます!
カウンターにコースターだけを残し、席を立った。

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