第8話

8*わんこ男子の朝ごはん(1)
74
2022/04/15 19:26


5月も中旬に入った新緑の季節。

だいぶ暖かくなった日々の中、少しずつ夏物へとシフトしていく頃合いでしょう。


本日は、絶賛デスマーチ中のデザイン部へとお邪魔してます。


早朝、デザイン部のフィッティングルームへと向かうと、

トルソーを囲んだ状態で腐乱死体化しているデザイナーたちへと、遭遇できます。


3ヶ月後に販売を控えた秋冬物の展示会準備のために、

彼らは、身を粉にして働いているのです。


そんな会社のために命を捧げる彼らのために、本日はおにぎりの差し入れに参りました。


あなた
お疲れ様です!
これ差し入れです。皆さんでどうぞ
男子1
みんなが屍のようになってるのに、
やっぱあなたの名字さん、いつも通りの美貌、流石だよな
男子2
てゆうか、俺らのために握ってくれたとか、感動なんすけど!
前園 結衣マエゾノ ユイ
いや、てめえらの為じゃねえから
あたしのだから、食うな
男子2
えええー!
独占とか、ひでえ!
—— いつも通りの美貌?


そんなはずないでしょ。

デザイン部が遅れに遅れている納期のせいで、

広報はいまだに、メイン商材が決められずに広告打てなくて、ページに穴を開けたままなのよ。


下準備にも労力がいるし、モデルのスケジュールを抑えるのも、パンフの製作にも期限があるのよ。

四方にどれだけ頭を下げているか、知ってる?


お願いだからこれ以上、スケジュールをずらさないで!


——っていう静かな圧を、どうか気づいてくれない?


そうじゃないと、いつか差し入れのおにぎりが、恨みのこもったものに変わるんだから。
あなた
(って、言いたいけど、言わない)
エレベーターホールにたどり着くと、背後からバタバタという足音がする。

この音が誰のものか、振り向かずとも分かってしまう。
風早 大我カゼハヤ タイガ
あなたの名字さん!
おはようございます!
あなた
おはようございます
と、風早が駆け足で隣に並んだ。両手には、おにぎりが握られている。

若さゆえなのか、溌剌とした笑顔である彼の顔には、疲れという色が見えない。

金色の髪は、今日はやけに眩しく感じる。
風早 大我カゼハヤ タイガ
今日は、どのチームのモデルですか?
そういえば、バイトのフィッティングモデルと勘違いさせたままだ。

だからといって自分の立場を明かすほど、私は優しくはない。
あなた
ああ、うん……えっと
風早 大我カゼハヤ タイガ
もしかして、わからないなら、
調べてきますよ!
あなた
大丈夫! わかってるから!
風早 大我カゼハヤ タイガ
僕でよかったら、
頼ってくださいね!
あなた
風早さんも無理して倒れないようにね
風早 大我カゼハヤ タイガ
はい! めっちゃ頑張ります!
あなた
(いや、だから、
頑張らないでねって、言ったんだけど)

あなた
(伝わらなかったのかな?)
エレベーターに向かうと、背中に突き刺さるほどの視線を感じる。

振り返ると、案の定、風早が両手を振って見送りをしていた。

元気いっぱいの彼は、まるで尻尾を振りまくる大型犬のようだ。
あなた
(ライオン、かと思ったけど、
あれは、わんこだなぁ)
根負けして、小さく手を振りかえす。

それが嬉しかったのか、その場でぴょんぴょんと跳ね始めた。

あなた
(若っ。若いなあ……)
エレベーターに乗り込むと、保からのメールが一件入っていた。

いつもは電話で簡潔に連絡が来るのに、一体どうしたのだろう?




身がプリッと持ち上がったオマール海老のグリルを口に運ぶ。

香ばしいその身は甘くて、プリプリとしたその身の食感は、

咀嚼するたびにもっと味わいたいと癖になる程だ。

冷えたシャブリで料理とのオマージュを愉しんでいると、保が口を開いた。



滋野井 保シゲノイ タモツ
会社を売ろうと思ってる
その言葉に迷いはなく、すでに決断している言い方だった。

突然の彼の告白に、傾けていたグラスを置く。
滋野井 保シゲノイ タモツ
随分前から、会社が大きくなるにつれ、
自分のやりたい方向性が噛み合わなくなってるって思ってたんだ
滋野井 保シゲノイ タモツ
ベンチャー企業を見るうちに、
もう一度、会社を起こしたいって思うようになってね
あなた
それで会社を売るんですか?
滋野井 保シゲノイ タモツ
だから、この先、
俺はCEOではなくなるけれど
滋野井 保シゲノイ タモツ
あなたの下の名前は、応援してくれるかな?
あなた
勿論です
彼の顔を見て、微笑んだ。

すると、保は安堵したように頬を緩める。

きっと沢山の時間、考えた上での決断なのだろう。

今まで築き上げたものを全て無くしてでも

進みたいほどの強い思いがあるのなら、進むべきだ。


あなた
保さんが、羨ましいな
滋野井 保シゲノイ タモツ
あなた
私はそんな情熱を持って、これがしたいって
言えるものを仕事で感じたことないですから
滋野井 保シゲノイ タモツ
あなたの下の名前、それはね
まだ出逢ってないだけだよ
あなた
出逢ってない?
滋野井 保シゲノイ タモツ
そう、ずっと走り続けているとさ、
これだって思えるものに、ぶつかるんだ
滋野井 保シゲノイ タモツ
今まで手にしていたものが色褪せるほどに、
衝撃的にやってくる
滋野井 保シゲノイ タモツ
きっと、あなたの下の名前にも
そんな瞬間がやってくるよ
あなた
出逢えますか?
私にも
不意に彼の腕が私へと伸びる。

頬に触れられて、その指先の感触に瞼を閉じた。

滋野井 保シゲノイ タモツ
あなたの下の名前に出逢った時も、
そうだったから
あなた
保さん……
滋野井 保シゲノイ タモツ
君を見つけた時、
何故か君の周りの全ての色が鮮やかに見えたんだ
滋野井 保シゲノイ タモツ
仕事もそう、
人との出逢いと同じように、出逢う時が来るから
滋野井 保シゲノイ タモツ
だから、俺は、アメリカに行くよ

プリ小説オーディオドラマ