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第8話

九条と瑠衣
 九条。
 その名前を知らないものは今の日本にはいないだろう。戦後拡大した流通事業の先駆者。誰よりも早く未来を見据えて動いた九条は現在、莫大な資産を要する豪族として知られている。

 いわゆる華族ではないため、その筋の者からは成金などと揶揄されることも多いが、それらの反発を九条は全て金の力で黙らせてきた。

 そう、金。どこまでも膨れ上がった金。現代日本における力の象徴。

 そんなお金持ち一家に生まれたことは、九条瑠衣にとって少なくとも不幸な出来事ではなかった。しかし、幸運なことだったかと言えばそれもまた違う。

「貴方は九条の人間なのだから」

 そのたった一言で瑠衣の人生は縛られた。
 物心ついた頃から瑠衣に自由と言うものは存在しなかった。

 琴、茶道、華道、書道、ピアノ、バイオリン。どこで使うのかも分からない習い事で彼女の生活は忙殺されていた。しかし、それが嫌だったかと言えばそれもまた違う。

 彼女には向上心があった。そして、人並み以上に才能があった。

「私は九条の人間なのだから」

 その一言で彼女は自分を納得させることが出来た。

 偉大な一族に生まれた自分には偉大な人間となる責務があるのだと、幼い瑠衣は本気で思っていた。周囲の人間を引っ張り、先頭に立つ資質。つまりは主導者としての才覚だ。

 九条瑠衣という子供はどこまでも真っ直ぐで、純粋で、素直だった。

 だからこそ……中学二年生の春。とある事件をきっかけに瑠衣の心は捻じ曲がる。

 その事件をきっかけに彼女は九条という家に対して一つの感情を抱くことになる。それもまた、彼女がどこまでも優しく真面目な人間だったからこそ。

 そして……その感情は未だ彼女の中にある。
 腹の奥底。魂にまで食い込んだ楔。決して晴れることのない心。
 人はその感情を……

 ──『憎悪』と呼ぶ。