きょーちゃんの金属バット事件の翌日。
私は休日のおかげで
彼に会わなくて済むことに心底ほっとしていた。
血の着いたバットを引きずる彼を思い出し
ゾッとする。
たとえ彼が例の連続殺人犯じゃなくても
あんなことしちゃいけないよ!
彼女の私がなんとかしなきゃ。
湧き上がる正義感で自分を奮い立たせ
私は本棚の奥から一冊の本を引っ張り出した。
『子犬の躾け方』
それは小さい頃に飼っていた
ポン太のために買った本だった。
これ以上サイコパスな彼が
悪の道へ進まないように犯罪を阻止しなきゃ!
私は本を抱きしめ、きょーちゃんを
まっとうな人間に躾けることを心に誓った。
と、その時──。
ピンポーン…ピンポーン…ピンポーン…
一定の間隔で玄関のチャイムが鳴り響く。
急いで玄関のドアを開けると
ぬっと現れたのは紛れもなく彼だった。
とっさにドアを閉めてしまって後悔する。
静かな声がドアの向こうから聞こえてきて
私はごくりと息をのんでからそっとドアを開けた。
彼はその場から一歩も動かず不安そうな顔で俯いた。
すがるような瞳を向けられ、慌てて答える。
そう言うと、なぜか彼はぱっと笑顔になった。
彼は心底意味がわからないという顔で
首をかしげた。
きょーちゃん、暴力が悪いことだって
わかってないんだ…。
ドアノブを握りしめた手にじわりと汗がにじむ。
怖いけど、彼女の私がしっかりしなきゃ!
まるで一世一代の告白のように
勇気をだして彼に宣言した。
彼は何かを考えるように無言になった。
そしてまたぱっと心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
突然ぐっと近くなる距離。
彼が楽しそうに私の耳元で囁く。
吐息が耳にかかり一気に顔が熱くなる。
まるで子犬に言うように慌ててそう叫ぶと
彼は素直にワンと答えてその場にしゃがみこんだ。
くぅ~ん…と鳴きそうな上目遣いでそう言われ
私は恐る恐る彼の頭を撫でた。
幸せそうに笑う彼に少しだけ
ドキリと心臓がハネる。
思わず私までほほえみそうになりはっとする。
いやいやいや!ちょっと待って!!
完全に彼のペースに流されてない!?
混乱真っ最中の私の隙をついて
彼は私の手を取り軽いキスをした。
くすりと笑う彼に私は頭を抱える。
なんか、思ってたのと違う…!
私はとんでもない狂犬を
躾けることになってしまったのかもしれない。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!