前の話
一覧へ
次の話

第123話

I feel most alive with you ② (Draco.M)
295
2026/04/19 09:04 更新












執事が扉を軽くノックをすると、
間を置かず軽やかな声が中から返ってきた。
















『は〜い、どうぞ〜!』














この扉の向こうに彼女がいるんだと思うと妙に緊張して、生唾を飲み込んだ。






静かに扉を開けると、部屋の正面の大きな窓から差し込む夕陽が、僕の顔を一瞬にして照らした。


眩しさに、思わず目を細める。


部屋の奥、大きな窓いっぱいに広がる橙の光の中に、彼女は背を向けて座っていた。

逆光に溶けるようなその背中は、輪郭だけをやわらかく浮かび上がらせている。




そして、手にしていたスケッチブックを高くかかげた。

















『ねぇ、見てこれ!
 やっぱり最近は上手く描けないの
 酷い出来だと思わない?』
















困ったように笑いながら、無邪気に振り返った。

そこにいるのが僕だとは微塵みじんも思っていない、そんな柔らかな表情が見えた。







しかし、その笑顔も僕を視界に入れた瞬間、凍りつくように消えた。

ピタリと動きが止まり、視線だけが揺れる。何か言葉を探すように息を吸うが、僕を見て明らかに困惑こんわくしている様子だった。


部屋には、耳鳴りがするほど静寂が押し寄せる。








執事は気を遣って、静かに部屋の扉を閉めた。








僕は一歩、足を踏み出した。
床を踏む音が、やけに大きく響く気がする。








自分から会いに来たくせに、
いざ目の前にすると言葉が出てこなかった。






突然来たことをまず謝るべきか。
会いたかったと、今の気持ちを素直に言うべきか。

いくつもの言葉が思いつくが、何を口にしても違う気がした。そんな迷いが、僕の喉をふさぐ。



しかし、沈黙が続くなかで、勇気を出して先に口を開いたのは彼女からだった。


















『…お守りのお礼でも言いに来たの…?笑』














無理に空気を明るくしようと、とぼけた口調で話した。この場には不釣り合いだが、その無理矢理なぎこちなさも彼女らしくて。

僕は、思わず頬が緩んだ。
















「礼を言ってなかったな」


『ほんとだよ〜
 あれのおかげで勝てたんだよ〜?
 感謝してね!』















少しだけ、空気が緩んだ気がした。

別れてから一度も交わさなかったくせに、この場に及んで不思議と会話が自然に続いた。まるで、何も変わっていないかのような錯覚さえ覚えた。





けれど、こんな時間もずっと続かないことは分かっている。彼女も同じはずだ。

今更足掻あがいたところで、何も変わらない。


だからこそ、最後くらいは笑って終わらせようとお互い必死にもがいた。
















「突然来て混乱させるとは思ったが、
 これが最後のいい機会だと思った」














そう告げた瞬間。
彼女の笑顔が、ゆっくりと消えていく。















『……最後…か』














そんな独り言を呟きながら、無理にたもっていたものがほどけるように笑っていた。













『うん、そうだね』












自分に言い聞かせてるようにも聞こえた。















『私もずっとモヤモヤしてたし、
 最後に話しておきたかった』


「話し合う暇もなく別れたからな
 君に感謝の一言も言えてなかった」


『何言ってるの
 私の方こそ感謝してる』


「いや、礼を言うのは僕のほうだ」


『ちがうー!
 私のほうがお礼を言わなくちゃいけないの!』















何を言っても彼女は首を横に振った。感謝するべきなのは自分のほうだと、何度も言い切る。

そして、僕もまた同じように首を横に振った。




別れて数ヶ月経つくせに、今さら感謝を言い合うなんてはたから見たら滑稽こっけいな姿だと思う。

しばらくしてやっとこの不自然な言い合いが可笑しいことに気づいたのか、彼女が楽しそうに笑いはじめた。















「あれほどずっと一緒にいたのに、
 最後はあんなに呆気ないんだな」














楽しそうな彼女を見て、僕も思わずフッとかすかな笑いがこぼれた。

しかし、その言葉に強く反応するように彼女の表情が静かに曇っていった。同じように軽く笑い飛ばしてくれると思っていたのに、むしろ逆効果だったらしい。
















『ごめん、私のせいだ』


「違う、君のせいじゃない」


『ううん、
 別れた原因って私の両親じゃん
 ……だから私のせいでもあるよ』


「仕方ない
 僕たちはそういう世界に住んでいる
 あの時それにお互い気づけなかっただけだ」
















そう言った瞬間、彼女の眉がわずかに歪んだ。














『今、仕方ないって言った?』


「…あぁ、言った」


『本気でそう思ってるの』


「思っ……」


『利益でしか成り立たない結婚が?
 仕方ないって本気でそう思うの?
 私はこんな世界を普通だとは思いたくない』

















唇を強く噛み締めたまま、彼女は耐えきれずにソファから立ち上がった。行き場のない感情を押し込めるように、落ち着かない足取りで部屋の中を歩き始めた。


両腕を胸の前で組み、自分を抱きしめるように二の腕をさする。その仕草をする時は、昔から決まって泣きそうなのを我慢するときの癖だった。





以前なら、ここで迷わず手を伸ばしていた。

抱き寄せて何も言わず背を撫でれば、糸がぷつりと切れたように彼女は泣く。




しかし、その役目はもう自分では無い。
ただ少し離れた場所で立ち尽くすことしかできない。
















「すまない、言い方が悪かった」


『……いや、ごめん
 私もムキになっちゃって』


















沈黙が妙に重かった。
耐えきれず、僕は話題を変えた。

















「相手の男が優しそうで安心した
 話したことはないが、噂ではよく耳にする」















彼女の足が止まり、ゆっくりとこちらを振り返る。そのまっすぐな視線に一瞬息が詰まり、思わず目を逸らした。















『うん、優しいよ?……全て完璧なの
 何も言うことなんてない』














彼女は続けた。















『これ以上望むことなんてないぐらい
 毎日愛をくれる』


「そうか」


『一緒にいて居心地もいいし、
 私を不安にさせないの、ひとつも』


「……それならよかった」


『優しいからさ。
 喧嘩なんか一生しないんじゃないかな』














そう淡々と話す彼女に対して、僕はうまく笑えているのか分からなかった。それでも、形だけは崩さないように口元を必死に持ち上げた。


これはいつわっているわけではない。

ろくでもない男に傷つけられるより、彼女をきちんと幸せにできる相手のほうが、もちろんいいに決まっている。



初めから望んだ相手ではなくても、きっといつか "良かった" と、そう思える日が来るはずだから。

















「婚約おめでとう
 君が元気そうで安心したよ」















そう言って立ち上がり、脱いでいたジャケットに手をかけた。

自分の指先がわずかに震えていることに気づかないふりをしたまま、「最後に話せてよかった」と言い残し、扉へと足を向けた。





そのときだった。

















『でもね』















小さな声が、僕を引き止めるように背中に触れた。

振り返ると、泣くのを堪えながら必死に笑おうとしている彼女がいた。
















『でもね、
 私はあなたが良かった』















その瞬間。

たったその彼女の一言で、視界が一気ににじんだ。鼻の奥がつんと痛み、胸の奥が深くえぐられる。
















『この先どれだけ幸せになっても、』














気づけば、手にしていたジャケットは床に落ちていた。

帰るはずだった足は、まるで意思を持ったように彼女のほうへ向いた。















『隣にいてほしかったのは貴方だったって、
 一生思い続けると思う』
















聞いてはいけない言葉だった。
こんな言葉、聞かずに帰るべきだった。




無意識に彼女の腕に手が伸びていた。

勢いよく腕を掴んで引き寄せると、驚くほどあっさりと僕の腕の中に収まってしまった。相変わらずの華奢きゃしゃな肩を、壊してしまいそうなほど強く抱きしめた。










当たり前のように触れていたあの頃の時間を突然奪われた僕たちにとって、こうして触れていることがどれほど幸せなことか、

言葉にできない熱がじわりと広がっていく。











これ以上踏み込んではいけないと頭では分かっているのに、そんな理屈なんて簡単に押し流されるほど、どちらからともなく距離がほどけた。










理性なんて、とっくに追いついていない。
こばまれないことが、こんなにも残酷だとは思わなかった。






 
これが最後だとお互い分かっていたから。

これから別々の道へ歩む僕たちは、結局いちばん残酷な形でその別れをしむことになってしまった。
















________________
________















サイドテーブルに置かれたランプの灯りが、
彼女の寝顔を照らす。

さっきまでの熱が嘘みたいに静まり返っていて、代わりにどうしようもない現実だけが残っていた。









何度も名前を呼びかけて、やめた。








窓の外から覗く空はまだ暗い。
掛け時計の針は、深夜二時を指している。








腕の中から聞こえるのは、静かな寝息。
彼女は相変わらず、無防備なまま眠っていた。




白い肌には、まだ赤い火照りが頬に残っていた。
その赤い頬には、長い睫毛まつげの影が、ランプの揺れる光と共に動いていた。








少し乱れている髪を、そっと指でくって耳にかけた。そのくすぐったい感触に反応するように肩が少し揺れたが、またすぐ穏やかに寝息をたてた。









規則正しく刻まれる心臓の音が、
触れ合った肌から伝わってくる。


忘れたくなかった。
この温もりも、この鼓動も。










僕は最後にもう一度だけ、
彼女を強く抱き寄せた。














やがて、時計の針が静かに時を刻む音が、現実へと引き戻してくる。

僕は彼女を起こさないよう、そっと腕をほどき、静かにベッドから抜け出した。









床に散らばった服を拾い上げると、ひとつひとつ丁寧に袖に腕を通した。

タイムリミットまで刻々と近づいていくようだった。









そして、来た時と同じように身支度を済ませると、掛け布団からはだけていた彼女の肩に気づき、そっと首元まで布を上げた。

安心しきったように眠る姿を目に焼き付けながら、少し離れたソファに腰を下ろした。













時間が、ゆっくりと過ぎていく。












やがて空がわずかに白み始めた。
遠くで鳥の声も聞こえてくる。

時計に目をやると、さらに二時間も経っていた。









深く息を吐くと、
ようやく決心するようにソファから立ち上がった。


眠る彼女にそっと近づき、
額に触れるだけのキスを落とした。

小さく、ベッドが軋む音が鳴る。


















「幸せにしてもらえよ、誰よりも」
















ほとんど音にならない声で、そう小さく呟く。

そして、部屋を出ようとした時、













指先に温もりを感じた。

見ると、細く白い指がしっかりと僕の手を掴んでいた。視線を上げると、僕と同じ色をした青い瞳がまっすぐにこちらを見ていた。
















『幸せにして、私を』














消え入りそうな声だった。
胸の奥を直接掴まれるようなその一言に、息が詰まる。
















「なぁ、君を幸せにするのは僕じゃ……」














言い切る前に、さえぎられた。
















『大雨の中で、お互いずぶ濡れに
 なってるくせに構わず喧嘩し続けたり、』


「……あなた」


『くだらない話で盛り上がっちゃって、
 就寝時間過ぎて一緒に先生に怒られたり』









 







ぽろり、と一粒の涙が溢れたのが見えた。でも彼女は、それに気づいていないみたいに言葉を止めなかった。

拭おうともしない。隠そうともしない。

ただ、真っ直ぐこちらを見たまま、必死に繋ぎとめるように間も与えず喋り続けた。


















『遠くにいても同じタイミングで顔を上げて、
 目が合ったり』


















掴まれた手に、わずかな震えが伝わってくる。
















『作り笑いしてたら、
 誰よりも先に気づいて抱きしめてくれる』


















その涙に、思わず手を伸ばしていた。
親指でそっとぬぐっても、絶えず溢れた。















『生意気なあなたの態度に時々むかついて、
 深夜、親友に愚痴が止まらなかったり』

















言葉を止めないまま小刻みに震えているその手に、静かに指を絡めた。そして、彼女は強く握り返してきた。



















『喧嘩した勢いで「別れる」って叫んで。
 でも、お互いすぐ恋しくなって
 2時間後には仲直りしてたり』















引き寄せるように抱きしめた瞬間、
彼女は迷いなく胸元に顔を埋めてきた。

遅れて、押し殺していた呼吸だけが乱れて、
胸元にじわりと熱が滲んだ。

















『そんな恋をしたあなたと一緒にいたい

 優しくて、たくさん愛してくれて、
 安心させてくれるような完璧な人なんて、
 この世にたくさんいる

 ……でも、私は……』



















嗚咽に言葉が飲まれる。
それでも、必死につむいだ。


















『あなたと一緒にいたい』

















本当は、こうなることをどこかで望んで、ここへ来たのかもしれない。



"離れたくない" という心のなかの本音を、本当は彼女に伝えたかったのに、言ってはいけないことだと必死にふたをしていた。






彼女にとっての幸せが、
別の場所にあることも知っている。

ここで手を離すべきだということも、
嫌というほど理解している。








それでもこの手を振り解くことなんて、
できるはずがなかった。

だって、自分も望んでいたことだから。







目頭がまた熱くなる。男のくせにまた泣くなんて情けないと思う余裕すらない。

僕の手に伸びたその白く細い指を、
割れ物に触るように優しく握った。


















「大丈夫、そばにいる」

















それだけを、静かに告げた。
それだけが、嘘のない答えだった。


















______________
________


















扉が開いたのは、
彼が帰ってから三十分ほど経った頃だった。

顔を覗かせたのは、
私が一番したっている年老いた執事。
















『彼は帰った?』














そう問うと、執事は穏やかに頷く。














「帰りましたよ。
 また今夜来るそうです。
 あなたのご両親とお話しがしたいそうで」














その言葉を聞くと、
私はゆっくりとベッドから身を起こした。






部屋の奥の、写真が並ぶ棚へと歩み寄る。
指先でその棚のふちをなぞるように触れる。









両親、幼い頃の自分、友人はもちろん
婚約者との写真も飾ってある。


その中にひとつだけ、
奥に隠すようにまぎれ込ませた写真がある。










彼との写真だ。

捨てろと何度も両親に言われた。けれど、捨てたフリをして今もまだここに置いていた。









写真が嫌いな彼は、基本顔を背ける。
こっちを見ている写真なんて無い。

なのに、この一枚だけは手放せなかった理由。



それは、彼の視線が無邪気に笑う私へと向けられているから。馬鹿みたいに笑ってる私の隣で、頬を緩めてそんな私を見つめていた。

その瞳は、明らかに私を愛おしく思う愛情で溢れていた。

彼の愛情がこの紙切れ1枚からでさえ溢れていた。


















『怒ってる?』














その写真を手に取ったまま、問いかける。














「何に対してですか?」














執事は不思議そうに首を傾げた。
答えに詰まって視線を逸らすと、小さく笑う気配がした。














「彼を選んだことですか?」














彼を選んだと一言も発していないのに、
どうして分かったのだろうか。

私は何も答えられずに突っ立っていると、またクスッと笑う声が聞こえた。















「お二人の表情を見れば分かりますよ
 一緒にいることを選んだようですね」















その言葉に、もう一度写真へと目を落とす。









覚悟は、できている。

どれだけ足掻あがいても現実は変わらないかもしれない。それでも、彼の為なら足掻あがく価値があると思えた。

それほど、愛している。

















「私はあなたに幸せになってほしいだけです」


『…ありがとう
 でも、それが正しくない道だとしても?』
















馬鹿なことをしていると自分でも自覚している。

軽く笑いながら婚約者との写真を隠すように、彼との写真を棚の一番目立つところに置き直した。

すると、執事の声がわずかに低くなった。
















「あなたの人生ですよ」















ぴたりと、手が止まる。














「あなたが言うその“正しさ”とは、
 一族のための正しさであって、
 あなたのためのものではないでしょう。」


















静かに、言葉が重ねられる。
















「周りに決められた道でなくていい。
 誰かの人生ではなく、
 自分の人生を生きなさい」
















その言葉は優しく包み込むようなものでもあり、厳しくも感じた。ただ、逃げ場のないほど真っ直ぐだった。



























それから私はその言葉通り、自分の人生を歩んだ。

静かなはずのイースター休暇は、その日を境に酷く騒がしいものへと変わっていった。








婚約を望んでいないと告げたとき、一族の空気は不自然なほど静まり返った。

誰も声を荒げない。
ただ、冷たい視線だけが一斉に向けられた。

一族の長に呼び出され、繰り返し語られるのは決まって同じことだった。家の名、守るべきもの、捨ててはならないもの。君の将来の為とも言っていた。







どれも納得させるようにうまくつくろった説得ばかりで、心に響くものは何一つなかった。








幾度となく積み重ねられる言葉に対して、私は一度も目を逸らさなかった。そのたびに、一族との距離ができていく。

自宅につかえる家政婦や、他の執事たちからは次第に名前で呼ばれることはなくなり、すれ違う視線は一瞬で逸らされる。




 




かつて当たり前だった居場所が、
少しずつ輪郭を失っていった。









話し合いの場には必ず婚約者がいた。
窓際に立ったまま何も言わず、ただこちらを見ていた。

その視線を背負いながらも、私は選択を変えなかった。


























休暇が明け、ホグワーツへ戻る。

卒業まで、あと二ヶ月。短いはずのその期間で、状況は歪なほどに変わっていった。








廊下を歩けば、ひそやかな声が後を追う。

婚約破棄の理由は、いくらでも形を変えて広がっていった。誰かの憶測が、いつの間にか事実のように語られる。

向けられる視線の多くは冷たく、
距離を測るようなものだった。








元婚約者の周りには、なぐさめるように多くの人が集まった。








けれど、その中にも私たちを庇うような、静かな擁護ようごする声も少なからずあった。
 



かつて私たちが恋人だったこともあり、今回の婚約の話そのものが初めからゆがんでいたのではないか。

二人はむしろ被害者だったのではないか、と。




そんな声が表立つことなく、
静かに寄せられることもあった。










しかし、どちらにせよ擁護ようごも非難もどちらも同じくらい遠く感じた。

何を言われても、何を思われても、
私たちの間にあるものは、もう揺らがなかったから。

























やがて、婚約は正式に破棄された。

それは拒み続けた末の結果だった。
けれど、望んだ形で終わったわけではない。

 













今、私の隣に彼はいない。














望んだものがすべて簡単に手に入るほど、
現実は甘くなかった。

それでも、
彼を完全に失ったわけではない。













ホグワーツを卒業してからの5年間。

それぞれの道を歩み、与えられた役割を果たす。その上で尚、まだお互いの想いが変わらなければ、そのとき初めて共にあることを認めるということ。

その代わりに、5年間は一切会うことを禁じられた。










若い私たちにとって、あまりにも長い時間だった。









さらに告げられた条件はどこまでも現実的で、その5年間の間にどちらかが他の誰かを想うことがあっても恨まないこと。












試すようなその言葉を、私たちは静かに受け入れた。









5年という時間が、どれほど残酷か分かっていた。
それでも認められるのなら、それでいいと。

迷いはなかった。
彼もまた、同じように覚悟を決めていた。















会うことも、触れることも、
手紙でさえも繋がることを許されないまま、






ただ時間だけが、静かに過ぎていった。






信じるしかなかった。


どこかで元気に生きていること。
そして、変わらず自分を想ってくれていることを。


それだけを支えにした。















_______________
_________















扉が控えめにノックされた。

軽く返事をすると、湯気の立つ紅茶を手にした執事が扉の向こうから顔を出した。















「仕事ははかどっていますか?
 少し休憩なされては」














差し出されたカップを受け取り、机へと置いた。




視線を落とせば、山のように積まれた書類。
休む暇などない。
寝る時間も惜しいほどだ。

でも、仕事自体は嫌いではない。働くということが思っていた以上に、自分に適していたのだ。








ただ、
心のどこかに埋まらない空白があった。
 






何をしていても、どこかが足りない。
完璧に仕事をこなしても、何かが足りない。

そんな感覚だけが、ずっと残り続けている。

















『ありがとう
 少し休憩させてもらうね』















そう言うと、執事は静かに一礼し、部屋を出ようとした。














しかし、その足がぴたりと止まる。
ゆっくりと振り返り、こちらを見つめた。


そんな不思議な執事の行動に、私は首を傾げる。

















「よくこの5年間、頑張りましたね」
















その一言に、
胸の奥を強く掴まれたような感覚が走った。


" 5年間 " という言葉を聞いた途端、心臓が暴れるみたいに打って、何かが喉元までせり上がってくるような感覚になった。


















「待っていますよ、彼が」
















そう言って、執事は窓へと視線を向けた。



次の瞬間、私は考えるより先に駆け出していた。
窓辺に勢いよく手をついて、外を見た。
















三階から見下ろしたこの景色も、もうすっかり見慣れた。どこに何本の木が立っているのか、どこから朝日が昇るのかも全て分かっている。



しかし、いつもとは違う見慣れないものが一つあった。













整えられたスーツ姿に、風に柔らかくなびく白銀の髪。その手には、ひときわ鮮やかな赤い花束が握られていた。













変わらないはずの風景が、その一人の男のおかげで全てがまるで違って見えた。

いつもと変わらない同じ空なのに、どこまでも続いているような気もした。













ゆっくりと深呼吸するように息を吐いた。

胸の奥に溜まり続けていた時間が、静かにほどけていく。













頬に伝うものが、窓の光を受けてかすかに揺れた。


窓ガラスに映る自分と目が合うと、涙に滲んだ顔のままほんの少しだけ口元を緩めた。



















『あの人といると、
 やっと自分でいられる気がするの』


















独り言のようにこぼれた言葉に、
執事は静かに微笑む。










私は袖で涙を拭うと、そのまま扉へと駆け出した。








あの人といるときだけ、
ちゃんと息ができている気がした。

ちゃんと自分はここにいるんだと、そう思える。










やっと、自分は生きていると感じられる。










彼は、
私にとって "生きている証" のような存在だ。





















【 I feel most alive with you 】 fin.






プリ小説オーディオドラマ