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第1話

花をうめる 1
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2020/05/28 08:59
 その遊びにどんな名がついているのか知らない。

 まだそんな遊びをいまの子どもたちがはたしてするのか、町を歩くとき私は注意してみるがこれまでみたためしがない。あのころつまり私たちがその遊びをしていた当時とうじでさえ、の子どもたちはそういう遊びを知っていたかどうかもあやしい。いちおう私と同年輩どうねんぱいの人にたずねてみたいと思う。

 なんだか私たちのあいだにだけあり、後にも先にもないもののような気がする。そう思うことは楽しい。してみると私たちのなかまのたれかが創案そうあんしたのだが、いったいたれだろう、あんなあわれ深い遊戯ゆうぎをつくり出したのは。

 その遊びというのは、ふたりいればできる。ひとりがかくれんぼのおにのようにをつむって待っている。そのあいだに他のひとりが道ばたや畑にさいているさまざまな花をむしってくる。そして地べたに茶飲茶碗ちゃのみちゃわんほどの――いやもっと小さい、さかずきほどのあなをほりその中にとってきた花をいい按配あんばいに入れる。それからあな硝子がらす破片はへんでふたをし、上にすなをかむせ地面の他の部分とすこしもかわらないようにみせかける。

「ようしか」とおにが催促さいそくする、「もうようし」と合図あいずする。するとおにがをあけてきてそのあたりをきょろきょろとさがしまわり、ここぞと思うところを指先でなでて、花のかくされたあなをみつけるのである。それだけのことである。

 だがその遊びに私たちが持った興味きょうみは他の遊びとはちがう。おににかくしおおせて、おにを負かしてしまうということや、おにの方では、早くみつけて早くおにをやめるということなどにはたいして興味きょうみはなかった。もっぱら興味きょうみの中心はかくされた土中の一握ひとにぎりの花の美しさにつながっていた。

 すなの上にそっとはわせてゆく指先にこつんとかたいものがあたるとそこに硝子がらすがある。硝子がらすの上のすなをのける。だがほんのすこし。ちょうど人さし指の頭のあたる部分だけ。あなからのぞく。そこには私たちのこのみなれた世界とは全然別の、どこかはるかなくにの、おとぎばなしかゆめのような情趣じょうしゅを持った小さな別天地べってんちがあった。小さな小さな別天地べってんち。ところがみているとただ小さいだけではなかった。無辺際むへんさいに大きな世界がそこに凝縮ぎょうしゅくされている小ささであった。そのゆえにその指さきの世界は私たちをひきつけてやまなかったのである。

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