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2018/11/25

第2話

後編「明かされる過去」

「顔、見せて…?」


背伸びしてやっと届く由紀の顔に触れた。暗くてよく見えないが、左顔面は全体的に赤く盛り上がっている様だ。


瑶子がよく見えるように由紀は街灯の下に連れて行き、その場にしゃがみこんだ。


由紀の前髪をそっと優しくかきあげ見る。


傷は熱傷痕、つまり火傷の痕のようだ。眉から下全体がケロイドに赤く盛り上がり、眉毛とまつ毛が左側だけ完全に失われていた。


「2歳の時、母親の元に行こうとして転んで灯油かぶっちゃったんだ。病院で診てもらうまでに時間がかかりすぎたから左眼は義眼。怖い…でしょ?」


ーー由紀、2歳の頃。


『マンマ』

雪遊びをした後、まだ歩き始めたばかりのよちよち歩きだったがアパートの階段をよじ登り、当時大好きだったドイツ人の母親の元へ行こうとする由紀。


しかし、その時母親はベランダに設置された屋外用ホームタンクに灯油を給油していた。


『Nein! Nähere dich nicht!Yuki!
(だめよ!近寄らないで!由紀!)』


階段をよじ登った先には灯油がまだ半分入ったポリタンクがあり、母親の必死の母国語の注意も虚しく登りきった由紀はバランスを崩して転び、倒してしまった。


由紀は大量の灯油を左顔面にかぶってしまった。


『ケホッケホッ!…マン…マァ…ケホッ!』


かぶった灯油は少し呼吸器官にも入ってしまっていた。


母親は由紀を小脇に抱えてすぐに家の中に入り、風呂場のシャワーで流すと最寄りの病院に向かおうとした。しかし母親は車の免許を所有していなかったためどこから盗ってきたかわからない自転車だった。


家に固定電話もなかったため病院にも由紀の父親にも連絡ができなかった(由紀の母親は小説家だった父親が囲っていた女だったにすぎず、住居しか与えられていなかった)。


『ユキ、今カラ病院に連レテ行クカラネ、ワカッタァ?』


母親は片言の日本語で由紀に言い聞かせると、自転車の前カゴに前につけたチャイルドシートに由紀を乗せ病院に向かった。


だが、自転車では遅すぎた。

当時山の麓にに住んでいたため最寄りの病院までは片道2時間、車で行く距離である。その間火傷を負っている由紀の顔は−14度の外気にさらされ更に凍傷を伴い、その痛みは2歳児には苦痛でわんわん泣くしかなかった。


『ユキ、モウスコシ…モウスコシダカラ…!』


しかし、冬道のため雪が積もっているだけではない。時にはアイスバーンがある。


『Nein!』


自転車が横転し、母親と由紀は歩道に倒れこんだ。


冷たい雪が火傷した左顔面に浸みて激痛が走り、痛みに耐えられない幼い由紀は泣き叫ぶ。


『いたぁい…いたぁい!マンマぁ〜!わぁぁ!!』



『ユキ…!』


母親は由紀の顔を見て絶句した。

由紀の顔は出発時より悪化し、真っ赤に膨れ上がっていた。


母親は慌てて自転車を起こして由紀を乗せると再び病院に向かって走り出した。


病院に着くとすぐに処置室に連れて行かれ、1週間入院。


しかし、由紀の左顔面は愛らしさを取り戻すことはなく、2歳にして左眼は失明した。


大好きだった母親は「私の天使はどこに行ったの⁈」、「天使が醜くなった…悪魔よ!この子は私の子じゃないわ!」とドイツ語で突き放し、由紀をネグレクトした。


数年後、由紀に弟ができると母親は弟を溺愛し、父親が自殺すると葬儀後由紀を父方の祖母宅に置いて帰っていった。

母親を置いてかれ、追いかけようと靴に足を入れようとした時だった。


『ママはもう戻って来ません』


振り向くと背後に祖母が立っていた。


『あなたは今日からうちの子になりました。ここに住む以上、三島のしきたりに従っていただきます』


女好きの父親がドイツ人の母親を囲い始めた頃から薄々知っていた祖母。初めから得体の知れない外国人の女のことをあまりよく思っていなかった祖母は探偵を使って色々探らせ結果、2人には子供がいたことがわかった。


子供には罪はない。子供好きな祖母は電話も冷蔵庫もない山の麓の生活を不憫に思っていた。顔に火傷を負ってから母親にネグレクトされて今日まで学校に行けていないこともわかっていた。


『さぁ、こちらにいらっしゃい。お腹空いたでしょう?まだお斎(とき)のが残ってるから』


裕福な三島の祖母宅に引き取られ時に厳しく躾けられながら育ったものの、火傷のせいで由紀の人生が変わってしまったことには変わりなかった。


親戚、いとこたちにいじめれることもしばしばあった。学校に行っても長いこと友達ができることはなく、高校入学までひとりでいることが多かった。初めて彼女ができたのもこの頃だ。

しかし、火傷のことを打ち明けることで切れる縁が多く、孤独を感じていた。だが幸い男友達の影響でベースをやっていたことでバンド仲間には恵まれたのが救いだった。


恋愛に臆病になって数年。


あの夜、瑶子に出会った。


隣の男に痴漢され、怯えた目で向かいに座っていた自分に助けを求めて来た。


助けた後礼を言ってきた彼女は小柄な美人で翌朝また会って話すと性格のいい子だなという印象を持った。


それから一ヶ月平日の朝とたまに夜に会って少しの時間を瑶子と会話するだけで毎日満ち足りた気持ちなり、次第に瑶子が異性として気になり始めた。


由紀はまた顔の火傷で好きな人を失いたくなかった。


「…白幡さん」


「はい…?」


「俺の顔…怖い…?」


しゃがんだまま瑶子を見上げ訊く。


失いたくない…しかし火傷のことが引っかかって自信が持てない。こんなんじゃあいけないってわかってるのに。


『また火傷のことかい?』


いつの日か三島の祖母が言ったこと。


『大人になれば、あなたのことちゃんと中身で見てくれる人が現れるから。それが女の子ならその子守れるくらい強くなればいいの!わかったかい?』


その子を守れるくらい強く…それが仮に今目の前にいる女の子なら俺は…。


「怖くないよ」


瑶子は優しく首を横に振る。


「怖くないよ。だって私男鹿の子だもの。なまはげって見た目怖いけど、凄く子供とか女性思いで優しい神様でしょう?だから火傷のことなんて気にしないよ。大事なのは中身、性格だから」


そう言うと微笑んで見せた。


「…ほんと?」


「うん」


頷くと小さな体で由紀を包み込んだ。


「私も実は自分に自信が持てないの、秘密があるから」


「…秘密?」


瑶子は打ち明けるか悩んだ。しかし、今打ち明けてしまうといけない気がして話を変える。


「三島さん、ご飯はどこに行くの?」


手を差し伸べ、由紀を立ち上がらせる。


「ありがとう…あそこのコンビの角を曲がったーー」


せっかく待ちに待った2人のデートなのだと瑶子は出来るだけ明るく努めた。






散りばめられた宝石のように美しいネオンの光が輝く街並みに、真っ白な淡雪が舞う。

食事を楽しんだ2人は店を出て歩き出した。


「ごちそうさまでした、三島さん。割り勘ででもよかったのにご馳走になっちゃった」


「いいよ、ここは俺が払いたかったから」


先頭歩いていた瑶子の隣に由紀がくると、歩幅の小さい瑶子の歩く速度に合わせてきた。


「…ねぇ?」


「はい…?」


小首を傾げて瑶子は由紀を見上げる。


「“三島さん”じゃなくていいよ、“由紀”って呼んで」


「…いいの?」


「うん」


「…由紀…?」


「瑶子」


初めて下の名前で呼ばれて、瑶子の中で熱くなるのを感じた。そして自ら由紀の大きな手に手を伸ばす。


絡み合う2人の視線、指と指…。


欲しい…あなた(君)が欲しい…ーー


人気のない公園の並木道で求め合う2人は抱き合う。互いの体を通し伝わる体温、そして…ーー



溢れ出す、想いーー


「…好きだよ、瑶子」


想いを打ち明けた由紀。

しかし、瑶子の心は揺らぐ。


(…こんな私でいいの?ほんとうに…?)


彼の気持ちはとても嬉しい。だが、“秘密”を抱えたままで素直に由紀への想いをぶつけてよいものかーー。


揺らぐ心とは裏腹に、瑶子の体は由紀を求め委ねている。


(…どうしよう、体は離れたくないみたいだ…)


由紀の体にまとわりつく腕に力が入ると、由紀もそれに応えて抱き返してくる。


「…瑶子」


耳元で囁く吐息混じりの声に思わず体は性的な反応で更に熱くなり、嬌声が漏れそうになる。


しかし、このまま気持ちが揺らいだままの自分で由紀に抱かれる未来を想像し、そんなわけにはいかないと瑶子は思った。


瑶子は由紀から身を離す。


「瑶子…?」


「由紀、あのね…」


「なした…?」


「私も由紀のこと…好きだよ。でもね」


言う前に涙が溢れてきてしまった。由紀の悲しむ顔が想像できてしまったから…。


「…私、ね…綺麗じゃない…穢れた子なの」


「そんなことないよ」


「そんなことあるよ!…男鹿の両親が遺した借金返すために昼間は大好きな花を売って、夜は…夜は“別の花”を売ってる…」


言ってしまった…私の“秘密”。

後悔しても、後戻りはできない。


「…由紀の気持ちは凄く嬉しかったよ。でも…由紀のこと傷つけちゃうと思うの…」


言いながら胸が切り裂かれるように痛い。このまま由紀が去って行ってしまうような気がして…。


2人の間にしばらく沈黙が流れ、その上を雪が深々と積もっていく。


「…瑶子」


しばらく流れていた沈黙を由紀の方から破った。


「実はね…俺を棄てた母親も繁華街で日本人に花を売ってる人だったって聞いてる。店では働けないから立ちんぼだ。
父親はお金で買って山の麓の安アパートで囲っては俺と弟を作ったって祖母がね…。だから、俺も人のこと言えたような立場じゃないんだよ」


立ちんぼとは風俗店に在籍せず、ホテル街などで売春することだ。ちなみにこれは違法である。


「こんなに綺麗な瑶子が穢れてるって言うなら…俺は生まれながらにしてめちゃくちゃ穢れた立場だよ」


由紀は泣いてる瑶子の涙を指で拭ってやる。


「瑶子は…風俗店に在籍してる…?」


「うん…繁華街のビルに入ってるファッションヘルス…」

iPhoneを取り出し、由紀に店のHPを見せる。


「…“つばき”…ていうの?」


「うん」


「…俺、ナンバーワンの子とプライベートでご飯食べちゃって、しかもこんなとこでハグしちゃって大丈夫かなぁ。常連さんに刺されそう」


「…刺されないにしても、誰かに見られてるとしたら今頃掲示板に書かれてるかも」


「ま、彼氏の特権だからいいよね?瑶子」


「か、彼氏…!」


付き合った経験があまりない瑶子の顔は真っ赤だ。


「あ、まだ彼氏じゃないか」


「そ、そうじゃなくて…由紀は風俗嬢の子が彼女なんて嫌じゃないの?」


「まぁ、そりゃ…内心びっくりはしたし、本来なら風俗なんて嫌だよ、棄てた母親が立ちんぼだったわけだし。でも、好きになった子がこんなかわいくて性格いいなんて俺には夢みたいな話だし…なんか守ってやらないとって思うから」


「私…そんな性格良くない…」


「性格いいよ!自分のためにじゃなくて相続された親の借金のために風俗やって、好きな奴のこと思って自分のこと責めてる風俗嬢なんていないよ。大概金と欲に負けて自分失ってる女ばかり…!
瑶子は…俺の知ってる瑶子は、外見の良さや金持ちかどうで人を判断する俺の母親とは違うだろう…?」


「うん…」


「だったら…自分に自信持っていいよ。瑶子は充分心の綺麗な人間だから…」


心の綺麗な人間…こんなことを人から言われるのは初めてだった。


「…俺の火傷の痕を怖がらずに受け入れてくれたのは瑶子だけだ…ありがとう」


由紀は瑶子の顎を優しく持ち上げると、その唇にキスした。


そのキスに応えて瑶子も背伸びをしてキスをする。


「俺と付き合ってくれる…?」


「うん、もちろん」


2人は手を繋いで歩き出した。


この人と一緒なら、もう何も怖くない。

互いにそう思いながらーー。





あのデートから2年ーー。


付き合い始めてすぐに同棲を開始。家賃代がが浮き、2人で協力したことによって多額の借金は6年目で完済できた。


時々喧嘩することもあるし、倦怠期も経験した。また、それ以外の波乱も乗り越えて現在はよりいい関係を築き、2人だけにはわかる「絆」のようなものをこの頃お互いに感じるようになった。


両親から相続してしまった借金問題が片付いたことで風俗店を今日付けで辞めることとなった12月某日。


瑶子はその日花屋が休みということもあって昼から出勤にしていた。


10時25分。

いつもの地下鉄に乗車するといつも通りに動き出した。


10時40分。


繁華街の最寄り駅で降車。


10時45分。

店に到着、すぐに着替えてプレイルームのセッティング。


11時00分。


仕事開始。いつもの常連客で「つばき」は埋まっている。


13時00分ーー。

(…焦げ臭い…?)

接客が終わり次の客を迎えるため準備をしていると、ふとどこからか焦げ臭い臭いがしてきた。


瑶子はプレイルームの扉を開けた。廊下は煙で充満している。


(…火事?!)


瑶子の他にも異変に気付いた者たちが扉から顔を出し、一階のフロントにコールする動きが見られた。


コールしようと受話器に手を伸ばした瞬間、店内のどこかの火災報知器が作動し鳴り響いた。


瑶子は部屋を出て非常階段の重たい扉を開ける。

ただでさえ狭い非常階段はキャストの仕事道具を入れているカゴを置いているせいで更に避難経路を狭くしている。1人通るのが精一杯だろう。


下から男の息の上がった声が聞こえてくる。

声の主は血相を変えて一階から駆け上がってきた小太りの店長だ。


「火元は上や!もうここはあかんから早よ逃げつばきちゃん!」


瑶子は店長の指示に従い階段を降りるため壁と店長の腹の間を取り抜ける。


ーーボン!


何か大きな爆発音が聞こえた。


「…なんや今の音…」


ーーボンッ!ボンッ!ボンッ!


「何かが爆発してますよきっと!店長も一緒にーー」


ーーきゃあああああああ!!!!


キャストたちの叫び声が聞こえた。


「俺は他の子達を避難させなあかん!もう行きなさい!」


「…店長」


「俺のことはもうええから早よ…早よ逃げ!」


瑶子はこれが最後のような気がした。本当に、本当に最後の会話ーー。


「幸せになり…」


階段を降りる瑶子の背後から店長が小さくつぶやく声がし後ろを振り返るが、もうそこには店長はいなかった。





裸足にセーラー服のまま店から瑶子の体を12月の凍てつく寒さと雪が襲う。


後ろを振り返ると店の状況が見えた。


ボンボンと爆発音と共に煙と真っ赤な炎が店を飲み込んでいく。

6年前、孤独だった瑶子を家族のように迎え入れてくれた店だ。


『辛かったし疲れたやろ。とりあえずゆっくり休み。働くんはそれからや」



『何か足りないものはないですか?言ってくれたら代わりに買ってきますから』


店長とスタッフ以外にも当時在籍していたキャストたちはみんな姉妹のように助け合っていて、瑶子も世話になった。


『つばきちゃん、これ使いなよ。ここすごい冷えるから毛布ないとしんどいよ?』


『お腹すいたらあの人に『パパお腹すいたぁ』って言えばなんでも作ってくれるよ』


働き始めてから半年後もアットホームな空気は変わらず、瑶子もその中にとけこんでいった。店長とも良きビジネスパートナーの関係性になって…。


その店長があの炎の中に…ーー


瑶子は再び店に入って助け出したい気持ちに駆られたが、店長との最後の会話を思い出し踏みとどまった。


その場に立ち尽くしている瑶子の横を消防団員たちが駆け抜けて行き、消火活動にあたる。


燃え盛る炎は一向におさまる気配はなく、おさまるどころかどんどん大きくなっていく。周りは野次馬のギャラリーができる中、警察などが規制線を張っている。


思い出の詰まった店が燃える様を見るに耐えなくなった瑶子は思わず叫んだ。


「いやあああああああああああっー!!!」


神様なんていないのだろうか。家族を喪い、また家族のようになっていた人たちを喪うなんて…。


無情な現実に瑶子はフラフラとその場に倒れこんでしまった。力が入らず、次第に意識が遠のいていく。


(もう何もかも終わり…疲れた…)


接客疲れも伴い、瞼がゆっくり下がる。

薄れゆく意識の中で脳裏に浮かぶのは…


「…由紀…」


由紀…私の、愛しい恋人ーー。


瑶子の瞼が落ちた。







目覚めると瑶子は暗闇の中に立っていた。


『瑶子…瑶子…』


誰かが瑶子の名を呼んでいる。しかし、暗闇の中にいる瑶子にその姿は見えない。


真っ赤な炎と黒煙に飲まれる店の前にいたはず…だがなぜ自分はこんな暗闇の中にいるのか。


『瑶子…瑶子…』


そして、自分を呼ぶ声の主は誰なのか…。


瑶子は何もかも分からぬまま歩き出した。


しばらく彷徨い歩いていると、目の前に生まれ育った男鹿の街並みが広がった。



(…男鹿…?!なんで?私は…違う場所に居たはずなのに…)


20歳まで慣れ親しんだ街は夜逃げ同然で出た6年前と全く変わっていない。時々目にするなまはげは懐かしささえ覚える。


しかし、すれ違う人々は瑶子の存在に全く気付かずすり抜けてしまう。一体どういうことなのか…。


瑶子は自分の手足を恐る恐る見て驚いた。少し透けているのだ。


(…私まさか…死んじゃったの…?)


信じたくない事実に思わず震えてくる。


そんな恐怖に震えている間にも、気付かない人々は瑶子をすり抜けていく。


頭がおかしくなりそう…そう思い頭を抱えていると、後ろから何者かに肩を叩かれた。


(え…誰も見えてないはずなのに)


恐る恐る振り向くとそこには4年前亡くなったはずの祖母が立って居た。



「ば、ばんこ…!(ばあちゃん)」



「んがどごなんぼ探したの思ってぇ?(お前のこといくら探したと思ってるの?)
え(家に帰るよ)」


6年前目の前で殺されたはずの祖母が瑶子を探し、迎えに来たようだ。…ということはやはり自分はあのまま死んでしまったのだろうか。


祖母について行きしばらく歩いていくと実家だった家にたどり着いた。


県でも名の知れた老舗旅館だった白幡家は、旅館から少し離れた場所にドイツの伝統建築である木組みで造った邸宅を構えていた。


木組みの家なのは当時ドイツかぶれだった祖父の意向からだ。


懐かしい家の中からレコードの音がしてきた。オペラ好きの母がかけたのだろう。


『瑶子…瑶子…』


再び名を呼ばれると同時にオペラの音にのって瑶子の生まれた瞬間から現在までの記憶が目の前を駆け巡る。


駆け巡る記憶は6年前の家族の喪失、そして2年前由紀との生活が始まって初めて体を重ねた後の夜の記憶も存在した。



『…瑶子、男鹿にはなまはげはっていうのがいるんでしょ?』


『そうだよ』


『ドイツにはなまはげに似た“クランプス”っていうのがいるんだよ』


『“クランプス”…?』


事後のピロートークにしてはなんともマニアックな…そう思ったあの話…。



『なまはげって「泣く子はいねがー」とか言って怠け心を戒めてくれる神さまなんでしょう?』


『んだぁ』



『クランプスも悪い子供や女の子に対して警告や罰を与えるんだ。なまはげに似てると思わない?』



『たしかに…顔も怖いの?』



『めちゃくちゃ…』


由紀はiPhoneに入っている画像を見せる。


『おっかね…なまはげの方がかわいいかも、あははは』


クランプスはクリスマスシーズンに聖ニコラスと共に子供と女性に警告や罰を与えながら練り歩く悪魔で、“ヨーロッパ版なまはげ”と呼ばれている。


頭に長い角を生やし、その見た目はまさしく鬼で恐ろしい形相をしている。“ヨーロッパ版なまはげ”と呼ばれるだけあって、男鹿のなまはげとリンクするところがあるのだ。


ドイツと男鹿の意外な共通点を教えてくれた由紀の楽しそうな表情…瑶子は由紀を思い出し愛しくなった。


今朝の出勤前のキスが最後なら、昨夜にもっといっぱいキスして抱き合えばよかった…。2年同じ屋根の下で暮らしていても、最後となれば物足りなく感じるものなのか。


(…由紀に会いたい…)


ひと目でいい、最期にもう一度会いたいーー。

そう思っていると家の中から自殺したはずの母が女将の時代に着ていた着物で現れた。手には何かを持っている。


「おかあ…さん」


驚いていると母は手にしている何かを手渡す。


「これ、持って行きなさい」



「え…?」


自分はこれから成仏してあの世に行くはずなのでは…?何が起きているのか把握できていない状態だが、瑶子は手渡されたものを受け取る。


「昔うちに泊まっていったお客様が滞在されたあと送ってくださってね。小説家だったみたいでねその人」


母から手渡されたものは文庫本だった。

著者は…『平永大観(ひらながたいかん)』…ということは、由紀の父親である。平永はペンネームの苗字だ。


「平永…大観…」


「瑶子、もしかしたら知ってるかもしれないね、その人の息子さんのこと」


やっぱり…瑶子はそう思った

由紀の父親は白幡の旅館に泊りにきていたのだ、息子である由紀を連れて…。


「3歳の時だから覚えてないのかも知れないけど、あなた5歳の時の由紀くんと遊んでたのよ」


由紀の父親である大観は火傷を負ってから母親にネグレクトされていた由紀を連れて1ヶ月間の執筆のためにここ男鹿を訪れていたのだ。


「あんたと由紀くん、出会った時から仲良くなって1ヶ月間ずっと一緒に遊んでたわ」


幼い時既に会っていた2人。その過去を思い出そうと記憶を3歳まで遡らせるが、なかなか昨日のことのようにはうまく思い出せない。


「写真を見れば思い出せるかしら」


母は手渡した文庫本の間に挟んでいる一枚の写真を取り出し見せる。


「この黒縁眼鏡のおじさんが三島さんで、金髪碧眼の華奢な男の子が由紀くん」


線の細い大観に頼るように寄り添って座る由紀。2歳の時に負った顔の火傷は金髪の、生まれた時の髪色の前髪で隠していた。

由紀の隣には母の膝の上に座る3歳の瑶子。


「…あっ」


ずっと埋まらなかった記憶のピースが埋まった瞬間、再びレコードが音楽を奏で始めた。






『今日からひと月ほどお世話になります三島と申します。ほら由紀、ご挨拶なさい』



『みしまゆきです。よろしくお願いします』


5歳の由紀ははずかしがりながらも礼儀正しく女将である瑶子の母に挨拶した。


『礼儀正しい息子さんですこと…あ、瑶子ちゃん、お客様にご挨拶して』


当時おてんば娘だった瑶子は館内をずっと走り回っているような子供だった。今日も走り回っているところを母に呼び止められ、由紀たちの前に立たされる。


『しらはたようこ、3歳です。白幡旅館へようこそおいでくださいました。どうぞ、ごゆっくりおすごしくださいませ』


成長すれば次期若女将の道が用意されていた瑶子は3歳にしてこのような挨拶を母からきっちりしこまれていた。


3歳らしからぬ挨拶ののち、瑶子は三つ指ついて頭まで下げた。これが世でいう英才教育かと大観は息を飲んだ。


『こ、これはたまげましたなぁ…さすが女将の娘さんは違いますねぇ』


『まぁ、そんな恐縮ですわ』


大人2人がそんな会話をしている間に、幼い2人は早速手を繋いで旅館を飛び出してしまった。


『おい、どこいくんだ?』


『ようこちゃんと遊んでくる』


『お母さんいってきまーす』


『あんまり遠くいっちゃダメよ』



出会いから数時間経たないうちに幼い2人は距離を縮め、毎日一緒に過ごした。


やがてひと月が経とうとしたとき、毎日一緒に過ごせる時間も終わりが近づいた。

大観の作品が書きあがったのだ。


『ようこちゃん』


『なぁに、ゆき』


庭の花々を舞い飛ぶ蝶を捕まえようとしている瑶子に由紀が話しかける。


『ぼくね、そろそろ向こうに帰らないといけないんだってパパに言われちゃった』


『え?帰っちゃうの?…わぁ!』


『危ない!』


瑶子が花壇のレンガに足を引っ掛けてころんでしまった。危うく顔に傷をつくってしまうところを由紀が後ろから滑り込んで庇い防いだ。


『…大丈夫?』


『大丈夫だよ』


2人は花壇と花壇の間で抱き合った状態になり、由紀の幼い華奢な体に瑶子の小さな体がすっぽり収まっている。


『ようこちゃんの顔に傷つくっちゃったら、おばさんに怒られちゃうとこだった』


はぁ…とため息をつきホッと胸をなでおろす由紀。しかし、幼い瑶子にはわからない。

『なんで?』


『なんでって…女の子は大人になったらお嫁さんになるから顔に傷つくっちゃダメなんだって僕のおばあちゃん言ってた』


『お嫁さんかぁ…私もなるの …?』


『大人になったらようこちゃんもなるんじゃないの?』


『私は…ここの女将さんになるんだよってお母さん言ってたよ』


『じゃあ…僕のお嫁さんにはなれないのかなぁ…』


由紀の表情は悲しげなものになり、俯いた。青い瞳の中で光が少し揺れる。その表情に幼心にも瑶子は悲しくなる。


『…じゃあ、私をゆきのものにしちゃえばいい』


『…どうやって?』


『お顔に…傷をつくっちゃえばーー』


『そんなの…そんなのダメだよ!』


由紀は瑶子の体から離れた。

3歳の時に顔に火傷を負って大好きだった母親に愛されなくなってしまった由紀は、瑶子にも自分と同じような悲しみを背負ってはいけない幼心にも強く思っての発言だった。


『顔に傷なんか…つくっちゃダメだよ。僕のお嫁さんになってくれるなら、もっといい方法でなるべきだよ』


『もっといい方法って…?』


由紀は花壇から一輪花を摘むと器用に指輪を作って瑶子の左手薬指に嵌めた。そしてゆっくりと瑶子の体を起こしてやると優しく唇にキスした。


『もうこれで、傷をつくらずに僕のものになったでしょ?大人になったら、僕のお嫁さんになってほしい』


初めてのキスとプロポーズとも取れる言葉に小さな体はぽぉーと熱くなった。






瑶子は3歳の時の由紀との記憶を思い出すことができた。


気がつくとレコードが止まり、母も祖母も、そして男鹿の白幡家も全て消え去っていた。


再び暗闇の中に瑶子はとり残されたのだ。


「どういう…こと…?」


しかし、全て消え去ったはずの世界で、母から手渡された大観の文庫本は存在していた。
タイトルは『仮面の下』。


写真が挟まっているページを開くと、ある文章に目が止まった。


〈男は仮面を外し、醜い傷を目の前の愛おしい彼女に見せた。


「これでも君は僕を愛すというのか…!」


彼女はゆっくり頷くと男にだきついたーー〉



ここで物語はハッピーエンドで終わるかと思ったが、まだ続きがあった。


〈「…ああピエール、愛しのピエール…もう私はあなたと共に生きられそうに…ない」

フランチェスカの瞼が閉じる。

「ああ!我が愛しのフランチェスカ!僕を置いて天に召されるというのかーー!」

フランスの美しい昼下がり、フランチェスカは天に召された。神は仲睦まじい2人の愛に死別という形で終止符を打ったのだ。ああ、なんて世界は無情なのか。男は再び孤独を与えられ、孤独と共に生きることとなった。〉


物語はそこで締めくくられていた。

女の名であるフランチェスカは由紀を棄てたドイツ人の母親の名である。主人公の女の名に使うなんてよっぽど愛していたのかもしれない(自分が死んでから由紀を棄てて浮気相手であったお金持ちとすぐに結婚してしまったという話を、死んだ本人が知ったらとてもかわいそうなのだが…)。


が、瑶子が気になったのは主人公・ピエールの方だ。彼は顔に傷があり仮面で隠しているのである。その点に由紀との共通点があると思ったのだ。由紀も前髪で隠しているのだ。


もし仮に大観が息子の将来を暗示してこの小説を書いたとしたのなら、それは親が子にすることとして適切なのか瑶子は理解に苦しむ。


由紀は『仮面の下』を読んだのだろうか?読んでいたとすれば、今瑶子の肉体が死んでいたとしたら…大観が描いた物語は現実のものとなってしまう。結果、由紀を悲しませてしまうことになる。


(由紀が泣いてるとこなんて考えたたくもないよ…)


一刻も早くこの暗闇を出て物語のラストを変えなくちゃ…!そう思った瞬間、瑶子は走り出していた。


会いたい…


会いたい…


会いたい…


由紀に会いたい…!


瑶子はただひたすら走った。


愛おしい由紀は2年前風俗で穢れてしまった自分を受け入れ、愛してくれた…ーー


そんな由紀を瑶子は悲しませたくないのだ。


「由紀…由紀…!」


気がつけば由紀の名を口にしていた。


しかし、走っても走っても出口らしきものは一向に見えてこず暗闇のままだ。それでも瑶子は諦めずに走り続ける。






走り続けてどれぐらい経っただろうか。


瑶子の体に疲れが出始め、足が縺れてきた。


先の見えない暗闇の中を走り続け、心はガラスのごとく砕け散りそうである。


もうこのまま諦めてしまおうか…いや、由紀が待っているはずだ。


疲れた体は由紀の優しい抱擁を求めて疼き始めている。


(由紀…由紀に会いたい…)


あとどれだけ持つかわからない状態で瑶子は再び走り始める。


と、その時。


「ーーっ!」


突然足場が崩れ、闇の中で落ちていく。


これで終わりなの…?諦めかけた瞬間ーー


ーードサッ


大きな音と共に着地したが。痛みがない。


何かの上に…いや、背中と膝裏に誰かの手のような感触がある。それは大きくゴツゴツしていて、中年男性の手のようだ。

そして、手のほかにチクチクするものが当たる。当たるたびそれはガサガサと音を立てて枯れた植物の擦れ合う音に感じた。

怖くてかたく閉じていた瞼をゆっくり開けて恐る恐る見てみる。次第に目が慣れてくると少し明るい黄色に近い繊維質のものが見え、男鹿にいたときに慣れ親しんだものに思えた。

「…ケラミノ」

見上げると少し光沢のある真っ赤なものが上にあるのが見えた。


「…おめ、なまはげか?中さだえだの?」


秋田弁で尋ねてみるが、なまはげのようなものは何者か答えぬまま前に歩き出す。


顔が見えぬ者に抱きかかえられ不安いっぱいになりながら、ただただ身を任せるほかなかった。

しばらく大人しく身を任せているとその行く先に光が差し込み、次第に瑶子を抱いて歩く者はやはりなまはげとだけわかってきた。


なまはげは立ち止まると、その場に瑶子を降ろした。


何も言わずにそのまま立ち去ろうとするなまはげに瑶子は声をかける。


「…おど…おどか?(お父さんなの?)」


瑶子の問いになまはげは背を向けたままゆっくり頷く。


「おめはけ…け!(帰れ!)」


突き放すような返し…口数の少なく、心を開かない父は失踪する前もこのような言葉の返し方をした。暮れの仕事であるなまはげの祭事の姿で出てくるのも父らしく、顔を見なくても父だと瑶子はわかった。


「わかったよ」


瑶子は踵を返し、光の中へと向かって歩き出した。






「瑶子…瑶子…」



誰かが優しい声でまた私を呼んでる…そう思いながら目を覚ます。


眩い光が目に入る。


(…眩しい)


しばらくすると白い天井と白いカーテンが視界に入ってきた。瑶子の傍には心配そうにこちらを見つめる由紀が瑶子の左手を力強く握っている。


「由紀…」


「瑶子、大丈夫?ここどこかわかる?」


「…病院?」


「そうだよ。もうこのまま目が覚めないんじゃないかって心配した」


由紀の優しい声。瑶子も名をずっと呼んでいたのは由紀だったのだ。 由紀の目から涙が溢れ落ちる。


「看護師さん呼んでくる…」


「待って由紀…ここにいて」


「でも」


「お願い…」


由紀はこぼれ落ちる涙をぬぐいながら一度立ち上がった椅子に再び座った。


「…由紀」


「…ん?何?」


「私、どのくらい眠ってたの?」


「2日間くらい眠ってたよ」


「そっかぁ…私ずっと長い夢見てた。家族に会えたし、男鹿の実家にも行けたんんだけど、あれは夢だったんだ…。
暗闇の中走り続けてやっと由紀に会えた…」


ふと右手に力を入れると、何か少しかたいものがあった。布団の中から出してみると、夢の中で母に手渡された文庫本だった。


「…俺の、父親の小説…」


「あれ…夢の中でお母さんに手渡された本…」


「父親が泊まった旅館に送った本って『仮面の下』だったのか…これ、母親の名前使われてるし、結末も…父親が望んだ未来っぽくて悲しくなった」


「読んだこと…あるんだね」


「おばあちゃんが全部残してるから中学生の時こっそり本棚から持ち出して読んでた。どれもハッピーエンドで終わるのに、この『仮面の下』だけはバットエンドなんだ」


「私は…由紀とのハッピーエンドがいい」


「俺も瑶子とならハッピーエンドがいい」


「小さい時の約束も守って…」


「え?瑶子…まさかあの時の」


「夢の中でお母さんが教えてくれて全部思い出したの。あの花壇でのプロポーズ」


「思い出してくれたのか…すげぇ恥ずかしいけど嬉しい」


由紀の顔が恥ずかしさで紅潮している。その姿に瑶子は思わずクスッと笑ってしまう。


「笑うなよ〜ぉ、すっごくこっちは恥ずかしいだぞ」


「ふふ。私のことお嫁さんにしてくれるんだよね?」


「もちろん」


由紀がコートのポケットから何かを取り出す。


「約束どおり、お嫁さんにするよ」


ポケットから取り出したのは、青いケースに入ったダイヤの指輪だ。


「今度は花じゃないよ、ちゃんと本物の指輪」


瑶子の左手薬指で夕日に照らされ輝く小さなダイヤ。


「もう1人じゃない、ずっと俺がそばにいるから」


瑶子は喜びのあまり由紀に抱きついた。

ずっと会いたかった、たったひとりの私を愛してくれる人…。


大観の書いた物語では彼女は亡くなってしまったが、瑶子は無事また目を覚まし2人の恋愛物語のラストをハッピーエンドにすることができた。


これから恋愛ではなく結婚、つまり2人が二人三脚で歩む人生の物語が始まるのだ。


平永大観も書くことができない、唯一無二の2人の物語のシナリオを心のノートに書きながら…。




ー完ー