余命はとうに過ぎたらしい。
医者の宣告から1ヶ月が過ぎていた。
もはや健康には過ごせず死を待つのみの彼女は、重苦しい病室を出て昔から馴染みの平家に戻ってきた。
細くなった腕は健康だった時とは
比べ物にならないように弱々しかった。
「無様な事」
今じゃ、手を握る事も一苦労。
治療を止め、自宅の平家に戻ってきた彼女。
比較的体調の良い日は、こうして上半身を起こして庭の景色を見るのが日課だった。
「お茶でも飲まれますか?」
「いいえ、大丈夫よ。今年も立派に咲いたわね。」
「えぇ。何回見ても素晴らしいです。」
「そうね」
この景色が最後に見れて本当によかった。
満開の桜は、彼女のいる畳の部屋から障子を開けて縁側の奥。その庭はかつて侍と呼ばれた人達が稽古をしたり、笑い合い、賑やかだった。
今じゃ、静かにししおどしの音が響くだけ。
ひらひらっと縁側に落ちる桜の花弁。
いつだかその縁側に座って、
未来の事を語り合った事もある。
「この家は、思い出だらけね。」
ボソッと呟いた声。
「本当によろしかったのですか?」
この家は、彼女が亡くなった後は企業が買い取るそうだ。立地的にも、建物的にも何より庭が魅力的なのだという。
「えぇ。この庭の景色や建物の作りを気に入ってくださったらしいわよ」
「でも、よろしいんですか?ここは大切な思い出が沢山あるのでは?」
「えぇ。だからこそ、これからもこの家は沢山の思い出を増やして行って欲しいのよ。人が居ればまた誰かの心の拠り所になるでしょう?」
彼女の拠り所、それは沢山の思い出。
皆が暮らしたこの家だ。
「それより、片付けは進んでる?任せてしまって申し訳ないわね」
自分が亡くなった後の荷物は全て
一緒に燃やそうと思っている。
「はい。それは順調です。本当に宝石やら貰っていいのですか?」
「勿論よ。貴方には病気になってから、とてもお世話になったもの」
「ありがとうございます...そうだ。探していたオモチャの指輪って、これですか?」
「!あったの?」
「はい。襖の奥に転がってました」
「あららそんなところに...見せて?」
そう言ってオモチャの指輪を手に取る。
一見、本物に見える仕様だが、よく見ると作りも荒く、軽い。
手渡されてすぐに左手の薬指にはめる。
細々くなった指には、その指輪もぶかぶかだ。
「嬉しいわ。とっても。」
指輪眺める彼女の姿は、とても優しい微笑みで愛しそうに指輪を眺めている。
「それに、何か思い出でも?」
「これはね、私の最愛の人がプロポーズしてくれた時に貰ったのよ」
「おもちゃを...ですか?」
「ふふ、そうなの。笑うわよね、でもねとっても嬉しかったのよ。」
その指輪を貰った時の彼の顔が鮮明に浮かぶ。
今日のように穏やかな日差しと桜の花が舞う頃だった。
「プロポーズされた瞬間にどっと風が吹いて彼の髪の毛の頭から胸元まで、落ちてきた桜の花弁が沢山着いたの。それで大笑いしちゃったり、」
「?髪の毛が長い方だったんですか?」
「そうよ、黒髪で私よりサラサラな髪の毛だったわ」
思い出を慈しむように目を閉じた彼女。
「彼とは...」
「行方がわからなくなったわ。お互いにね。私もほらこう見えて侍もどきだったでしょ?だから、戦場に出て何日も戻らない日もあった。それに、彼も何か目的があって戦場に参加していたみたいで、ある日を境に帰ってこなかった。」
「では、彼は。」
「わからない。とても強い人だから亡くなってないと信じてるけど、もう何年も音沙汰はないわ」
信じてまったけれど、
それより先に彼女の病気がみつかり、
この家を離れなければいけなくなった。
「もう忘れてるんじゃないかな。それか向こうも私の事、死んだと思ってるかもね。あ...もうすぐ本当に死ぬんだけど」
「そんな事言わないでください」
「ふふ、最後にこの指輪を見れてよかった。私の最初で最後の初恋。はじめてのプレゼント」
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柔らかな陽だまりを歩く2つの影。
1人は長髪、1人は白いペンギンのような....
「ごめんください..葵さんいますか?」
「....あなたは....」
その手に本物の指輪を持って.....。
END
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。