これは、私がまだ小学6年生の頃の話
私は入退院を繰り返していた。
そんな日々の中で、一度だけ
たった一度だけ……
死にたいと言った日がある。
あれは…………
夏祭りの日だった。
学校ではお祭りの話で賑わっていた。
私はそう誘われて、行きたい気持ちが強まった。
朝倉先生にお祭りには行けないと一ヶ月前から言われて、行けないって分かってるのに。
私がそう返すと、クラスの女子は残念と言いながら他の人の所へ向かう。
その残念は他人事なのだと、悟った。
私はそんな地域の行事や何かのイベントがあるたびに断っていた。
そんな私に声をかけるのも無駄だと思ったのだろう。
私を誘う人も残りわずかになっていった。
私はお祭り当日、病院にいた。
お母さんは花の手入れをしながらそう言った。
その日……
その時……
私は限界に達した。
私は自分をコントロールできなくなった。
そして私は……
ついにこの言葉を口にしてしまった。
病気が見つかってからの2年間。
どんなに苦しい治療があっても
何があっても
この言葉だけは……言わなかった。
いや、言えなかった。
周りの人の悲しむ姿が想像できたから。
悲しむ姿を見たくなかったから。
でも…………
もう限界。
私は一度言葉にすると抑えきれなくなった。
私はそう叫びながら病室にあるものを投げ、落とし、壊した。
その言葉は私を壊した。
お母さんは涙を流しながら、後ろからそんな私を必死に抑える。
こんなに声を荒らげたことは私もお母さんも初めてだった。
お母さんの目には必死に堪えていた涙があった。
きっとその目には色々な感情が混ざっていたのだろうと思う。
実際、それからあの言葉を口にしてはいない。
思ったことはあったけれど。
私は……溜め込んだ。
自分で抱え込みすぎた。
その翌日。
ゆうかさんは私の話を聞いてくれた。
ゆうかさんはそう言ったあと何も言わずにそばに居てくれた。
必要以上に話すことも無く、ただただそばに居てくれた。
私は、すごく安心して
気持ちを落ち着けられた。
それから、私は冷静になって、病気に向かい合った。
病気だけではなく、お母さんとも。
こうやって
ふと思い出すんだ。
病気だった頃のことと
樹吹のことを。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!