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第14話

一章 かかしと妖精 13
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2022/11/02 09:00
 ──しくじった。

 シャル・フェン・シャルは月に目を向けながらも、背後に横たわっているアンの気配を感じていた。緊張が伝わってくる。この様子では、再び彼女が眠ったとしても、シャルの気配が近づいただけで目を覚ますだろう。今夜は再び、羽を盗むのは無理だ。

 だが、焦っていなかった。

 妖精狩人の手に落ちて、人から人に売られて。

 シャルは常に、使役者を殺して、逃げ出すことばかりを考えて過ごしていた。

 しかしそれは、容易ではなかった。人間どもは冷酷で、用心深かった。

 レジントンの妖精市場に売り出されてからは、できるだけ間抜けな人間に買われようと努力した。間抜けな奴が買ってくれれば、そいつを殺すか、もしくはそいつの目を盗み羽を取り戻して、逃げ出せるだろう。

 しかし戦士妖精を求めてくる客は、どいつもこいつも抜け目なく、冷酷そうだった。だから客が妖精商人と交渉に入るたびに、できる限りの悪態をついて客を怒らせた。

 今日は、どんな客が来るだろう。間抜けが来ればいい。そう願いながらぼんやりと座っていると、ふと鼻先に甘い香りを感じた。銀砂糖の香りに似ている気がした。

 目をあげると、麦の穂色の髪をした瘦せた少女が、じっとこちらを見ていた。

 その少女が、戦士妖精を買いたいと言い出した。千載一遇のチャンスだ。

 アンが彼を買うと決めた瞬間には、内心笑った。

 妖精をお友達のように扱う、お友達になろうと、なにやら子供っぽい戯言を口にしている小娘。剣を血で汚すまでもない。これならば、簡単に羽を盗めると踏んだ。

 しかし思いのほかアンは敏感で、気づかれた。

 羽を盗もうとしたのだ。羽を痛めつけられるくらいの罰を、受けるだろうと思った。

 だがアンは、罰を与えなかった。それどころか、ルイストンに到着したら羽を返すことを再度約束し、そしてその後に友達になろうと言った。

 不思議だった。何を考えているのか、わからない。しかし。

 ──何を考えているにしても、馬鹿だ。

 これほど甘い小娘ならば、チャンスは山のようにあるだろう。焦ることはない。

 七十年近く、人間に使役され続けてきたのだ。自由になるのが一日先になろうが、三日先になろうが、かまわない。

 ふとまた、甘い香りを感じた。ちらりと背後を見る。確かにアンの髪や指先から、その香りはする。思い出を刺激し、官能をあおるような、銀砂糖の香り。

 シャルは無意識に、指を唇に当てた。遠い昔に知っていた甘い感覚。羽を優しく撫でられる快感。優しい指。その感触を背筋に思い出し、我知らず吐息が漏れる。

 ──リズ……。

 背後で、アンが寝返りを打った。それにはっとして、唇から指を離す。

 背中ごしに、ちらりとアンを見る。彼女は目を閉じていた。

『ママ、お願い。どこへも行かないで!』

 先刻、アンはそう叫んで目を覚ました。そのことに、ふと疑問を感じる。

 ──こんな小娘一人、旅をさせて。母親は何をしている?

 シャルの指を握った手は、いかにも頼りなかった。

 その感触が、なぜかくっきりと心に残った。

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