第2話

一章 かかしと妖精
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2022/08/10 09:00
 正面から太陽が昇る。生まれたての陽の光は、やわらかく白いアンの頰を、明るく照らした。

 御者台の上で、アンは手綱を握った。木綿のドレスの裾から、すうっと冷たい風が吹きこんだ。質素ながらも清潔な裾レースが、わずかに揺れる。

 深呼吸して空を見あげた。

 昨夜の雨が、大気の塵を洗い流したらしい。秋の空は、高く澄んでいた。

 今日は旅立ちの日だ。手綱を両手で握りしめ、前方を見つめる。

 道はぬかるみ、馬車の轍がいくつも盛りあがっていた。

 自分は今から、この道を一人で歩き出す。不安と緊張は、瘦せた体いっぱいに広がっている。

 だがわずかな希望も、胸に感じる。

 その時だった。
ジョナス
ジョナス
アン!! 待って、アン
 背後から声がした。

 アンが乗る箱形馬車の背後には、素朴な石造りの家々が点在している。ハイランド王国北西部に位置する、ノックスベリー村だ。この半年、世話になった村だ。

 アンは生まれてからずっと、母親のエマと二人で、旅から旅の生活をしていた。そのために半年もの間、同じ場所に留まったのはノックスベリー村がはじめてだった。

 その村の方から、金髪で背の高い青年が駆けてくる。ノックスベリー村で砂糖菓子店を営むアンダー家の一人息子、ジョナスだった。
アン
アン
わっ、やば!
 首をすくめ、アンは馬に鞭を当てた。馬車が動き出すと、背後に向けて手をふった。
アン
アン
ジョナス! ありがとう。元気でね!
ジョナス
ジョナス
待ってくれ。アン。待って! 僕が嫌いなの!?
アン
アン
そういう問題じゃないから──、気にしないで──
 大声を返すと、息切れしながらジョナスが叫ぶ。
ジョナス
ジョナス
じゃあ、じゃあ、待ってくれよ!!
アン
アン
もう、決めたから。さよなら!
 二人の距離は、みるみる離れる。ジョナスは徐々に歩調をゆるめて、立ち止まった。息を切らしながら、呆然とこちらを見つめる。

 アンは今一度大きく手をふり、再び前を向いた。
アン
アン
見守っていて……ママ
 今年の春先。元気と陽気がとりえだったエマが、病に倒れた。

 そしてその時、たまたま逗留していたノックスベリー村で、身動きがとれなくなった。

 よそ者のアンとエマに、村人たちは親切だった。

 エマの病が治るまで村に逗留するようにと、村人たちは勧めてくれた。ジョナスの一家など、彼女たち親子に半年もの間、ただで部屋を貸してくれた。同業のよしみだったのだろう。

 けれど。エマの病は治らなかった。半月前に、帰らぬ人となった。
『自分の生きる道を見つけて、しっかり歩くのよ。あなたならできる。いい子ね、アン。泣かないで』

 それがエマの、最後の言葉だった。