第3話

一章 かかしと妖精 2
386
2022/08/17 09:00
 葬儀の手配や、国教会への埋葬手続きなど。雑務に追われているうちに、哀しみは心の表面を滑るように流れていった。哀しいと思うが、大声を出して泣けなかった。

 エマは今、ノックスベリー村の墓地の隅に眠っている。そう知っていながら、ぼんやりした靄が心を満たしているように感じるだけだ。

 こまごました雑用が終わったのは、エマが死んで半月後。それと同時に、アンは旅立ちを決意した。

 三日前の夜。アンは世話になったアンダー家の人々に、旅に出ると告げた。
『アン。君が一人で旅を続けるのは無理だよ。君はこの村に残ればいいじゃないか。そして……そうだな。僕のお嫁さんになる?』

 旅立ちの決意をしたアンの手を握って、ジョナスはそう囁いた。そして柔らかな金の前髪をかきあげると、微笑みながら、艶のある瞳でアンを見つめた。
『ずっと、気になっていたんだ。君のこと』

 アンとジョナスは半年、同じ家に寝起きした。だが親しく話をしたことは、ほとんどなかった。そんな相手に求婚されるとは、思ってもみなかった。

 ジョナスの整った顔立ちの中で、青い瞳はとりわけきれいだった。南の国から輸入される、高価なガラス玉のようだ。

 好き嫌いを意識したことのない相手でも、その瞳で見つめられると、戸惑った。

 求婚されるのが、嬉しくないわけはない。しかしそれでもアンは、旅立つことに決めたのだ。

 ジョナスに別れを告げると、ひきとめられると思った。だから早朝、こっそりと村を出ようとした。けれどやはり感づかれたのだろう。ジョナスは追ってきた。
アン
アン
結婚……
 ぼんやりと、口に出してみる。まるで自分とは、縁のない言葉に感じる。

 ジョナスは村で、女の子の人気を一身に集めていた。

 彼の家が裕福な砂糖菓子店であるということも、もちろん、人気の理由の一つではある。

 ノックスベリー村のような田舎に住んでいても、ジョナスは、砂糖菓子職人の大派閥の一つ、ラドクリフ工房派の創始者の血筋にあたる。

 彼は、次期ラドクリフ工房派の長に選ばれる可能性があるらしい。

 近いうちにジョナスは、派閥の長となるための修業で、王都ルイストンへ行くのではないか。村では、もっぱらそう噂されていた。

 砂糖菓子派閥の長といえば、運が良ければ、子爵になる可能性だってあるのだ。

 そんなジョナスは、村の娘たちからすれば、まさに王子様にも等しい存在だろう。

 それに比べてアンは、十五歳の年齢にしては小柄だ。瘦せていて、手足が細くて、ふわふわした麦の穂色の髪をしている。行く先々で「かかし」とからかわれた。

 ついでに言うと、財産といえば古びた箱形馬車一台と、くたびれた馬一頭だ。

 裕福な金髪の王子様が、貧しいかかしに結婚を申し込んだ。夢みたいな話だ。
アン
アン
まあね。王子様が、本気でかかしに恋するはずないもんね
 アンは苦笑混じりに呟くと、馬に鞭を当てる。

 ジョナスはもともとプレイボーイで、女の子には特に優しい。その彼が、アンに結婚を申し込む気持ちになったのは、彼女の身の上に同情したとしか考えられなかった。

 同情で結婚など、いやだった。それに王子様と結婚して、めでたしめでたし──そんなお伽話のお姫様が、生きがいのある人生だとは思えない。

 ジョナスは嫌いではなかった。だが彼と生きる人生に、魅力を感じない。

 自分の足で生きている実感を踏みしめる、そんな生活がしたかった。

 アンの父親は、アンが生まれて間もなく内戦に巻き込まれて死んだという。

 けれどエマは女一人、アンを育て、生きてこられた。

 それもこれもエマには、銀砂糖師という、立派な職があったからだ。