少しだけでも自我が残っているなら、
名前を呼べば元に戻るかもしれない。
かすかな希望にすがって、彼の名を繰り返す。
だけど、相変わらず目の焦点は合わない。
彼は少し首をかしげるだけ。
ゾンビになった影響で、
知能や言語機能が低下しているのかもしれない。
そう言って起き上がると、彼は私の隣に立った。
のろのろと廊下を徘徊していたゾンビたちが
こちらに顔を向ける。
私がまだ人間であると気づいたのか、
複数のゾンビたちがこちらへと向かってくる。
するとゆっくりと目の前に立ちはだかった涼太が、
小さく唸り声をあげた。
まるで、こいつは俺の獲物だと言わんばかりに
威嚇している。
それに怯んだゾンビたちはずず…と後退っていく。
無意識の中でも、私を守ってくれる彼。
涼太はいつもそうだった。
ゾンビになっても、そこだけは変わらない。
私の目の前で威嚇している涼太にポツリと呟くと、
彼は小さく首をかしげた。
私は彼の冷たくなった手を握って、
まだ威嚇している彼を引っ張って歩く。
───1年2組の教室前。
かつての私達の教室だ。
でも今ではバリケードに囲まれた
避難場所になっている。
涼太の手を離して閉じられたドアを小さくノックする。
すると、中から怯えた声が聞こえてきた。
私の提案を大きな声ではねのける男子生徒。
男子生徒の大声に反応したのか、
涼太がゆっくりとドアの近くにやってきた。
私に敵意があると思ったのか、
彼はドアに向かって唸り始めた。
なにやら揉めているような会話が聞こえた後、
上の小窓が開いて何かが投げつけられた。
涼太に当たったのは黒板消しだった。
特に痛みは感じないのか、不思議そうに飛んできた
黒板消しを拾って眺めている。
その言葉の後、間髪入れず小窓から
ありとあらゆるものが降ってきた。
教科書、筆箱、体操着、教室の後ろで育てていた
小さな鉢植えまで……。
私は降り注ぐモノたちを避けて涼太の手を握る。
のそのそと私の後ろをついてくる涼太。
投げつけられるものを避けるでもなく、
ただ無表情で身体で受け止めている彼を見て
なんだかすごく泣きたくなった。
きっとこの先、見た目がゾンビというだけで
涼太にはあらゆる敵意が降り掛かってくるはず。
だけどそんなもの、私が跳ねのけて
絶対に人間に戻してあげるんだから。
そう固く決意をして私達はその場を去った。
私達が無事学校から脱出した時、
背後でかすかに悲鳴が聞こえた気がした。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!