第2話

【①ジョブ→オタク】
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2019/03/11 10:26
吉村里穂子よしむらりほこ。高校二年、十六歳。
兄はヤンキー、妹はギャル。そして私は三つ編み眼鏡のオタク女子である。
吉村 里穂子
吉村 里穂子
兄妹見てると私だけジョブチェンジに失敗したなって思うよ
親友
じゃあオタクやめたら
吉村 里穂子
吉村 里穂子
そんなのできないよ。私からオタクを取ったら眼鏡しか残らないじゃんか
親友
それもそうね
冗談で言ったつもりが親友はあっさり納得した。こらそこの後輩、笑うんじゃない。
春日坂高校漫画研究部の部室は、旧校舎二階に小ぢんまりと存在する。
元は生物化学準備室であった部屋には、ホルマリン漬けにされた謎の生物が今も棚に所狭しと並んでいた。日当たりも悪く、すっぱい薬品の臭いも染み付いていて、部室としてはよろしくない。
良い点があるとすれば、ガス水道のついた小さな調理場の存在である。これだけはどこの部室にも負けていないだろう。
お陰で昼や放課後はインスタントラーメンやコーヒー紅茶が飲み放題。漫画を読みつつ優雅なティータイムも過ごせるという絶好の溜まり場なのである。
木崎 真里
木崎 真里
吉村先輩って三人兄弟なんですか
吉村 里穂子
吉村 里穂子
そうだよ、私以外は二人ともリア充ってやつだよ
話しかけてきたのは後輩の木崎真里きざきまり。私たちはマリちゃんと呼んでいる。
大人しそうな外見に騙されてはいけない。ときどきこちらがドキっとするような言葉を吐いてくるから要注意だ。今年入部した漫研のホープである。他にも二人の一年生がいるが今は割愛しよう。
木崎 真里
木崎 真里
家でどんな会話してるんですか? うち、弟がいるんですけど、ほとんど話したりしないんですよね
吉村 里穂子
吉村 里穂子
うちもそんなもんだよ。むしろ嫌われてるかも。昨日も妹にオタクキモいって言われたしね
北川 麗華
北川 麗華
妹、悪魔ね
吉村 里穂子
吉村 里穂子
そうなんだよ! 私、弟が欲しかった!
木崎 真里
木崎 真里
弟も変わりませんよ
北川 麗華
北川 麗華
一人っ子の私、勝ち組ね
勝ち誇っているのは、同じ二年生であり漫研副部長でもある北川麗華きたがわれいかだ。
ゴージャスな名前に見合った堂々たる長身にきりりとした顔立ち。実家は剣道場を開いているので、幼いころから武道に親しんでいる格闘少女でもある。愛称はキタちゃん。
吉村 里穂子
吉村 里穂子
兄弟の真ん中って一番ナメられるポジションだよね。上からも下からも突き上げられてさあ。親なんて長男と末っ子ばっか可愛がって真ん中の私はスルーなんだから
北川 麗華
北川 麗華
それをいいことに部屋で漫画描いてるくせに
吉村 里穂子
吉村 里穂子
キタちゃんは私を悲劇のヒロインにはさせてくれないよね
問題ばかり起こすヤンキーの兄に、ギャルで甘え上手な末っ子の妹。親はなんだかんだ言って手のかかる子供ほど可愛がるものだ。目立たず大人しかった私はあまり構われることがなく、随分と寂しい思いをしたものである。
しかし中学一年生のとき、友達のお姉さんにイケない道へと誘われそのままどっぷり。寂しさなんてものは忘れ去り、腐れた趣味へと邁進した。今では初恋の人は二次元の住人でしたと言えるほどに立派なオタクと化している。
吉村 里穂子
吉村 里穂子
あと兄弟いるとさ、その友達を家に連れてくるんだよね。兄弟以外のヤンキーとギャルが家にいる間は怖くてトイレにも行けないんだよ
木崎 真里
木崎 真里
うちも弟が部活仲間を連れてくるんですけど、こないだ何て言ったと思います? ダサい姉ちゃん見られるの恥ずかしいから絶対部屋から出るなよ、ですよ!
北川 麗華
北川 麗華
弟、悪魔ね
吉村 里穂子
吉村 里穂子
弟ヒドイ! 弟ってさ、帰り道に偶然会って『姉ちゃん、鞄重いだろ。持ってやるよ』って言ってくれるんじゃないの!? 深夜にプリンを買いに行ってくれるんじゃないの!?
木崎 真里
木崎 真里
そんな天使いませんよ
あっさり否定されてショック! 弟に夢見てただけに、ショーック!
兄弟話に阿鼻叫喚していると、部室の重いドアが開く音がした。
五味 貴志
五味 貴志
しゃーっス!
入ってきたのはひとりの男子生徒だった。大きなスポーツバッグを肩から外しながらこちらに駆け寄ってくる。
五味 貴志
五味 貴志
あ! なんかいい匂いがする! 何スか、紅茶!? アップルティー!? 俺も飲みたい!
吉村 里穂子
吉村 里穂子
うるさいのが来たよ
北川 麗華
北川 麗華
イケメン帰れよ
木崎 真里
木崎 真里
五味君、部活は?
散々な言われようの男子生徒、その名を五味貴志ごみたかしという。キタちゃんが吐き捨てたとおり、漫研には似つかわしくないイケてるボーイである。テニス部と兼部しており、暇を見つけてはやってくる。
漫研への入部は他の二人より少し遅れての五月。つまりは今月になって入ってきたばかりなのだが、すでに馴染みまくっているという恐るべきポテンシャルを持ったテニス部の王子様である。
五味 貴志
五味 貴志
今日はミーティングだけだったんだ。ねえねえ先輩、これ飲んでいいっスか
吉村 里穂子
吉村 里穂子
いいよ
五味 貴志
五味 貴志
やったー! ……って薄いっ、色が出ない!
北川 麗華
北川 麗華
すでに三人分出したからな
五味 貴志
五味 貴志
もっと早く来ればよかったぁ
薄い茶色の飲み物を片手に、五味は女三人の輪の中に何のためらいもなく入ってきた。
五味 貴志
五味 貴志
何の話してたんっスか
吉村 里穂子
吉村 里穂子
兄弟の話
北川 麗華
北川 麗華
妹と弟は悪魔だったよ
五味 貴志
五味 貴志
そーなんスか? うち、妹も弟もいるけど、俺に懐いてめっちゃ可愛いっスよ?
相変わらず空気の読めないイケメンである。
どうせあれだろ、イケメンはたとえバリバリのオタクだろうと結局はイケメンであるから兄弟は嫌ったりしないのだ。人間見た目が九割強、これが悲しい現実なのだ。
五味 貴志
五味 貴志
そうそうリホ先輩、借りてた漫画返します。続きはないんスか?
北川 麗華
北川 麗華
なんの漫画?
表紙が見えないよう黒い袋に入ったそれをキタちゃんにパスする。中から出てきたのは、私が敬愛してやまない某BL作家様の漫画であった。しかもテニス部を舞台にして男子たちが組んず解れつしている内容である。これを熟読し「男子の繊細な情緒を見事に描写していましたね。俺はどっちかというと脇役の男とくっついてほしかったっス」と五味は言ってのけた。
木崎 真里
木崎 真里
五味君……
北川 麗華
北川 麗華
お前というやつは……
キタちゃんとマリちゃんの驚愕の眼差しが五味に注がれる。腐男子という言葉が囁かれて久しいが、五味はオールジャンルというかストライクゾーンが広いというか、来るもの拒まずというか。偏見がないっていうのは良いことだと思うよ、うん。
吉村 里穂子
吉村 里穂子
そうだ、キタちゃん。幸子部長のお見舞い、いつ行く?
北川 麗華
北川 麗華
再来週あたりならいいわよ
木崎 真里
木崎 真里
私も行きます。メグちゃんにも言っておきますね
五味 貴志
五味 貴志
俺も行きたいけど、テニス部あるし……
四月に入院した部長に会ったことがないのは五味だけだった。ひどく残念そうにしているが、部長だって同じくらい残念に思っているんだぞ。なんせ五年ぶりに現れた漫研の男子部員だ、病室で知った部長の喜びようは凄まじかった。
その幸子部長は三月はじめに不幸にも事故に遭い、現在は入院中である。もうひとりの三年生、トモ先輩は吹奏楽部との兼部でこちらには滅多に顔を見せない。ときどき音楽室があるほうからアニソンを奏でてその存在を主張している。
全員が顔を合わせられるのは、おそらく夏休みになるだろう。一学期の間は私たち一、二年生だけでの活動になる。顔合わせとなる漫研恒例の合宿が、今から楽しみだ。

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