吉村里穂子。高校二年、十六歳。
兄はヤンキー、妹はギャル。そして私は三つ編み眼鏡のオタク女子である。
冗談で言ったつもりが親友はあっさり納得した。こらそこの後輩、笑うんじゃない。
春日坂高校漫画研究部の部室は、旧校舎二階に小ぢんまりと存在する。
元は生物化学準備室であった部屋には、ホルマリン漬けにされた謎の生物が今も棚に所狭しと並んでいた。日当たりも悪く、すっぱい薬品の臭いも染み付いていて、部室としてはよろしくない。
良い点があるとすれば、ガス水道のついた小さな調理場の存在である。これだけはどこの部室にも負けていないだろう。
お陰で昼や放課後はインスタントラーメンやコーヒー紅茶が飲み放題。漫画を読みつつ優雅なティータイムも過ごせるという絶好の溜まり場なのである。
話しかけてきたのは後輩の木崎真里。私たちはマリちゃんと呼んでいる。
大人しそうな外見に騙されてはいけない。ときどきこちらがドキっとするような言葉を吐いてくるから要注意だ。今年入部した漫研のホープである。他にも二人の一年生がいるが今は割愛しよう。
勝ち誇っているのは、同じ二年生であり漫研副部長でもある北川麗華だ。
ゴージャスな名前に見合った堂々たる長身にきりりとした顔立ち。実家は剣道場を開いているので、幼いころから武道に親しんでいる格闘少女でもある。愛称はキタちゃん。
問題ばかり起こすヤンキーの兄に、ギャルで甘え上手な末っ子の妹。親はなんだかんだ言って手のかかる子供ほど可愛がるものだ。目立たず大人しかった私はあまり構われることがなく、随分と寂しい思いをしたものである。
しかし中学一年生のとき、友達のお姉さんにイケない道へと誘われそのままどっぷり。寂しさなんてものは忘れ去り、腐れた趣味へと邁進した。今では初恋の人は二次元の住人でしたと言えるほどに立派なオタクと化している。
あっさり否定されてショック! 弟に夢見てただけに、ショーック!
兄弟話に阿鼻叫喚していると、部室の重いドアが開く音がした。
入ってきたのはひとりの男子生徒だった。大きなスポーツバッグを肩から外しながらこちらに駆け寄ってくる。
散々な言われようの男子生徒、その名を五味貴志という。キタちゃんが吐き捨てたとおり、漫研には似つかわしくないイケてるボーイである。テニス部と兼部しており、暇を見つけてはやってくる。
漫研への入部は他の二人より少し遅れての五月。つまりは今月になって入ってきたばかりなのだが、すでに馴染みまくっているという恐るべきポテンシャルを持ったテニス部の王子様である。
薄い茶色の飲み物を片手に、五味は女三人の輪の中に何のためらいもなく入ってきた。
相変わらず空気の読めないイケメンである。
どうせあれだろ、イケメンはたとえバリバリのオタクだろうと結局はイケメンであるから兄弟は嫌ったりしないのだ。人間見た目が九割強、これが悲しい現実なのだ。
表紙が見えないよう黒い袋に入ったそれをキタちゃんにパスする。中から出てきたのは、私が敬愛してやまない某BL作家様の漫画であった。しかもテニス部を舞台にして男子たちが組んず解れつしている内容である。これを熟読し「男子の繊細な情緒を見事に描写していましたね。俺はどっちかというと脇役の男とくっついてほしかったっス」と五味は言ってのけた。
キタちゃんとマリちゃんの驚愕の眼差しが五味に注がれる。腐男子という言葉が囁かれて久しいが、五味はオールジャンルというかストライクゾーンが広いというか、来るもの拒まずというか。偏見がないっていうのは良いことだと思うよ、うん。
四月に入院した部長に会ったことがないのは五味だけだった。ひどく残念そうにしているが、部長だって同じくらい残念に思っているんだぞ。なんせ五年ぶりに現れた漫研の男子部員だ、病室で知った部長の喜びようは凄まじかった。
その幸子部長は三月はじめに不幸にも事故に遭い、現在は入院中である。もうひとりの三年生、トモ先輩は吹奏楽部との兼部でこちらには滅多に顔を見せない。ときどき音楽室があるほうからアニソンを奏でてその存在を主張している。
全員が顔を合わせられるのは、おそらく夏休みになるだろう。一学期の間は私たち一、二年生だけでの活動になる。顔合わせとなる漫研恒例の合宿が、今から楽しみだ。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。