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第1話

Prolog
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2019/12/21 15:04

私がバレーに興味を持ったのは小学校1年の頃。

8コ歳上の兄と祖父がしている姿を見て、自分をもしたい。と思ったのが大きなきっかけだった。

最初の頃はバレー=イコール楽しい。

勝ちたいではなく楽しいという気持ちでバレーに触れていた。

放課後は夜遅く待てまで友達や祖父と円になってラリーを続けるのがとにかく楽しかったのを今でも覚えている。

なので勝にこだわる当時中学生だった兄の気持ちなんて分からなかったし、バレーを上手になるためにクラブチームに入りたいとも思わなかった。

ただ、バレーは下手でも繋いでいれば楽しければいい。

そう思っていた。


私が勝ちにこだわり始めたのは1つの大会を生で見てからだ。

その大会は春の高校バレー全国大会 略して

“春高”

当時、祖父が思いつきで春高を見に行くと言い、何故か強制的に私も連れ出された。

毎年祖父がテレビで見ていたが私はバレーを見ることに興味はなく、あー、今年もやってるなぁ。っとチラッと観るぐらいでしっかり見た事はなかった。


会場に着くと外の寒い空気とは変わって、重く緊張感漂っていた。

小学校3年生だった私でも会場と外の中の空気は違う事ははっきりと分かり、試合開始のホイッスル、選手たちの声、床を擦る音。

毎年テレビで聞いているはずなのに、この時は特別に感じた。

そして目の前で行われている試合。

セッターが挙げたトスに対して高く高く飛ぶ選手。

驚いた。

自分が今までしできたバレーと変わりないはずなのに、全く違う種目なのではないかと勘違いする程に。

そして気付かされた、これが本当のバレーなんだと。

高く高く飛んだ選手は綺麗にスパイクを決めた。

ピーッと得点の笛がなる。

スパイクを打った選手もトスを上げたセッターも気持ちよさそうに笑い、仲間と喜んでいる。

兄が勝ちにこだわる理由が分かった気がした。

私も得点を決めて仲間と笑いたい。







“自分も本当のバレーしたい。”



そう思った私は宮城に帰るなり、クラブチームに入り、夕飯前まで練習。

トスが好きだったのでポジションはセッター。

私があげたトスが綺麗にスパイカーが打って決めるのはとても気持ちよく、楽しい・・・

夕飯後は宿題を終え、祖父と練習。

そんな日々が続いており、小学校を卒業する頃には宮城県小学校女子バレーベストセッター賞を頂いた。

順調に進んで行き、中学校は強豪校である北川第一中に進学。

男女共に全国常連校であり、そこでも私はセッターとして頑張っていた。

男子バレー部には同い年の及川徹という同じポジションの子と仲良くなったりした。

そして中学1年の夏のインターハイ。

1年生の中から唯一レギュラーとして選ばれた。

嬉しくてたまらなかった。

先輩達に迷惑かけないように頑張ろうと思った。



だが、


「左膝前十字靭帯断裂ですね、復帰できるのは個人差によりますが、12、3ヶ月後です。」


試合中、私は左膝前十字靭帯断裂を負ってしまい




足は使い物にならなくなった___。





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