.
「今すぐ腹筋二百回だすぐやれ!」
「サーイエッサー!」
──大佐は少将に怒鳴られている少尉たちに心の中で合掌をした。あの少将に怒鳴られたらどんな人物であろうと背中がピンと伸びることは間違いなしだ。大将と少将が喋っている現場にたまたま居合わせた者達が、大将ですら彼に敬語を使っていたと噂しているのを聞いたことがある。
訓練の時も休憩時間も、大佐はあの少将の眉間に皺が寄っていないところを見たことがない。疲れないのだろうか、といつも考えてしまう。本人に言ったら即座にあの少尉たちと同じ目に遭うだろうから絶対に口には出さないが。
どうやら彼らは次の訓練の準備を疎おろそかにしていたようだった。それならばむしろ、腹筋二百回で済んでよかったと言えるレベルである。
──自分は絶対に嫌だが。
大佐はそう考えながら、残りの昼食を全て胃の中へとかき込んだ。此処に配属された当初は訓練がキツ過ぎて全て吐いていたが、今ではむしろ食わなければ胃液を吐く。故にいつも腹八分目までキッチリ食べているのだった。
食器を整えていると、「おい」と不意に声がかかった。一瞬誰か分からず体が固まったが、即座に違う意味で固まる。少将の声だった。
何か問題を起こしてしまっただろうか──!? と胸中で戦慄しながら、反射的ともいえる敬礼を行って「は、何でしょう」と焦り口調で言った。
少将は二十代であったが、それに見合わぬ精悍な顔つきで、右目をぎょろりと大佐の方に向けた。
冷や汗が背中を伝う。
「……よく食べるのは良いことだ。十分後にも訓練がある、準備しておけ」
「はっ」
短く了解の声を出すと、少将はぽん、と大佐の頭の上に手を置いた。
──撫でられた。
その事実に大佐が気付くのは、数十秒後、同僚の男が「おい、さっき少将に何を言われたんだ?」と訊いてきた頃だった。何とか目を回してぶっ倒れることは避けられた。
.
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!