目の前にいる小さな俺は、ただ無力だった。
散らばった鏡の破片を拾い上げようとして、指先を切った。
けれど痛みはなかった。
それよりも、もっと痛い場所があることに気が付いて、赤にひとしずくの透明が混ざった。
散らばった破片をどうすることもできず、小さい俺はただ何度も謝っていた。
何度も見た光景だ。
何度も繰り返された光景だ。
記憶に焼き付いて、こびりついて、考えたくもないのに勝手に再生される記憶。
大切にしていた母の形見である鏡を、父に壊された時の記憶。
大切にすればするほどこうなる。
大切にすればするほど、苦しいほどに心は痛くなる。
何度も見せられて、何度も思い出して──もう、反吐が出そうだった。
そんな嫌気の中、不意に別の声が混じっていることに気がついた。
その声も泣いている。震えて、謝っている。
ハッとして顔を上げると、目の前にいた鏡月が立ち上がったところだった。
その言葉に視線を庭に移すと、そこには何かを抱えて蹲る老婦人の姿があった。
何度も何度もそう謝る老婦人が大切そうに抱えていたのは、茶碗だった。
割れてはいるものの破片ではなく、ちゃんとした茶碗。
老婦人は涙を流しながら何度も、そう何度も言ってお茶碗を抱きしめる。
心の底から喜んでいるその姿に、俺は何も言えなかった。
言ってはいけない気がした。
老婦人は話してくれた。
あの井戸の先で何があったのか。
少し伏目になった老婦人は、優しく割れた茶碗を撫でた。
その目に涙が溜まっていることを、俺も、そして鏡月も気付いてる。
そこまで話した老婦人は、耐え切れなくなったのかボロボロと涙をこぼし始めた。
けれど悲痛な声ではなかった。嬉しそうな、少女のような声でたおやかに笑っていた。
老婦人と鏡月の会話を聞きながら、俺は割れた茶碗を見ていた。
茶碗の付喪神も、きっと、再び会えたことを喜んでいるに違いない。
もしかしたら、この付喪神も「忘れないで」って言ったのだろうか。
それを、付喪神は見せようとしてくれているのだろうか。















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!