第11話

第十一話
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2025/12/30 09:00 更新
目の前にいる小さな俺は、ただ無力だった。
散らばった鏡の破片を拾い上げようとして、指先を切った。
けれど痛みはなかった。
それよりも、もっと痛い場所があることに気が付いて、赤にひとしずくの透明が混ざった。
子供の頃の唯
……ごめん、ごめんなさい……ッ!
ごめんなさいぃ……
散らばった破片をどうすることもできず、小さい俺はただ何度も謝っていた。
何度も見た光景だ。
何度も繰り返された光景だ。
記憶に焼き付いて、こびりついて、考えたくもないのに勝手に再生される記憶。

大切にしていた母の形見である鏡を、父に壊された時の記憶。

唯
(あぁほんと、これが嫌なんだよ)
大切にすればするほどこうなる。
大切にすればするほど、苦しいほどに心は痛くなる。

何度も見せられて、何度も思い出して──もう、反吐が出そうだった。





そんな嫌気の中、不意に別の声が混じっていることに気がついた。
その声も泣いている。震えて、謝っている。

ハッとして顔を上げると、目の前にいた鏡月が立ち上がったところだった。
鏡月
鏡月
帰って来た
その言葉に視線を庭に移すと、そこには何かを抱えて蹲る老婦人の姿があった。
老婦人
ごめんね、ごめんなさいね、ごめんなさい
何度も何度もそう謝る老婦人が大切そうに抱えていたのは、茶碗だった。
割れてはいるものの破片ではなく、ちゃんとした茶碗。
鏡月
鏡月
ちゃんと会えたのだな
老婦人
えぇ、えぇ、会えたわ、
本当に待っていてくれたみたい
鏡月
鏡月
あぁ、その付喪神は心から
貴女に会いたがっていた。
今も喜んでいる
老婦人
ごめんなさいね本当に、
痛かったでしょう
老婦人
でもまた会えてよかったわ。
本当に良かった。
ありがとう、呼んでくれて
老婦人は涙を流しながら何度も、そう何度も言ってお茶碗を抱きしめる。
心の底から喜んでいるその姿に、俺は何も言えなかった。
言ってはいけない気がした。
鏡月
鏡月
後悔はなかったか?
老婦人
後悔?
鏡月
鏡月
苦しい記憶を呼び起こさせただろう
老婦人
あぁ……とても懐かしい夢を
見ていた気分だったわ
老婦人は話してくれた。
あの井戸の先で何があったのか。
老婦人
きっと夢なのね。
だって、随分若かったの。
このお茶碗を買いに行った時だったわ
老婦人
私が一目惚れをして、
でも少し悩んでた時に
あの人が色違いを持ってきてくれたの
老婦人
普段は渋るくせに、その時は
『それがいいんだろ』って言って、
私の返事も聞かずに
買い物かごに入れたのよ?
老婦人
ふふ、でも私もこのお茶碗が
良かったから嬉しかったわ
鏡月
鏡月
そうか。それは良い思い出だな
老婦人
……あれはこの子の記憶なのかしら?
鏡月
鏡月
あぁ。この井戸の先は
付喪神の記憶で作られている。
貴女が見たのは、その茶碗の記憶だろうな
老婦人
そうなのね。
……この子はずっと、
見守ってくれていたのね
老婦人
……主人が亡くなった時の
記憶もあったの
少し伏目になった老婦人は、優しく割れた茶碗を撫でた。
その目に涙が溜まっていることを、俺も、そして鏡月も気付いてる。
唯
(やっぱり嫌な記憶って言うのは、
何度見ても慣れないものなんだ)
老婦人
主人が亡くなった日。
『あの茶碗でご飯が食べたい』って
言い出したの。だからお医者さんに
許可をもらって、二人でおそろいの
お茶碗で食べたわ。久しぶりだった。
主人はずっと入院していたから
老婦人
その時に、主人が言ってくれたの。
『幸せだった』って
そこまで話した老婦人は、耐え切れなくなったのかボロボロと涙をこぼし始めた。
けれど悲痛な声ではなかった。嬉しそうな、少女のような声でたおやかに笑っていた。
老婦人
忘れていなかったつもりだったけれど、
やっぱり抜けている部分があるのねぇ
鏡月
鏡月
辛い記憶があると、
そちらの方が残りやすいからな
老婦人
ふふ、普段は口下手な人だったのに……
あのときだけは、『幸せだった』って
言ってくれたのよ
老婦人
……この子に会えたおかげで、
思い出すことが出来たわ
老婦人と鏡月の会話を聞きながら、俺は割れた茶碗を見ていた。
茶碗の付喪神も、きっと、再び会えたことを喜んでいるに違いない。
もしかしたら、この付喪神も「忘れないで」って言ったのだろうか。
唯
(俺にも、忘れている記憶が
あるんだろうか?)
それを、付喪神は見せようとしてくれているのだろうか。

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