小さな手で、一生懸命手鏡を守る。
だってこれは、母からもらった大切な手鏡なのだから。
母との唯一の繋がりだから。
でも、子供の力では、大人に敵うわけもない。
一生懸命守っていた手鏡は、父の手に奪われた。
そして……
父はためらうことなく、それを床へとたたきつけた。
まるでスローモーションのようだった。
手鏡が父の手から離れ、床へとまっすぐ落ちていく。
手を伸ばしても、もう遅い。
ガシャン。
耳の奥で音がこだまする。
これは鏡が割れた音? それとも……。
心が割れる音だったのだろうか。
くい、と腕を引かれ我に返る。
その拍子に、手から何かがこぼれた。
目の前にあるのはモノクロの世界で、そこにはもう父親も、割れた手鏡もなかった。
いるのは、こちらを見上げてくる水先だけ。
そう聞かれても、ずっと何かを訴えてくる心臓の音が何も答えさせてはくれなかった。
痛い。
心臓が、何かに刺されたようにずきずきして、息が苦しい。
忘れないで、って、この時のことを言っているのか?
付喪神は俺に復讐しようとしてるのか?
守れなかった俺に、辛い記憶を思い出さないようにしてる俺に、あの時の記憶を、全部忘れるなと突き付けているのか?
あぁそうだ。そうに決まってる。
じゃなきゃ、「忘れないで」なんて言葉を投げかけてくるはずがない。
あんな光景を見せるはずがない。
問い詰めれば、水先は答える代わりに視線を動かした。
その先にあったのは、落ちた鏡の破片。
さっき手から落ちたのはこれだったのか。
水先が頷いたのを確認して、俺は落ちた破片を掴んだ。
「忘れないで」
瞬間広がった白い空間に、俺は固く目を閉じる。
そう何度も見せられてたまるか。
ずきずきと痛む心臓に舌打ちをして、俺は強く目を閉じ続ける。
俺は鏡を守ろうとした。守りたかった。
だってそれがあれば母がずっと傍にいてくれるような気がしていたから。
「忘れないで」
ずっと一緒に居たかった。離れたくなかった。忘れるわけがない。
そう思う度に、胸のずきずきがより深く、強く、鮮明になっていく。
鏡を大切にしていたのは紛れもない本心。
母さんとの約束も、出まかせなんかじゃなくて心からの約束だった。
だからこそ、父さんに鏡を壊された日。あの日から心にぽっかりと大きな穴が開いたような虚無感がまとわりついている。
「忘れないで」
あの日から俺は大切にするのをやめた。
こんなにも痛いなら。こんなにもつらいなら。もう、こんな思いはしたくないから。
「忘れないで」
耐え切れず声を荒げる。
忘れたことなんてない。忘れるわけがない。忘れたかった。
大切にしたくない。大切なものを作りたくない。大切な人を作りたくない。
物は失くしたら新しく買えばいい。人とも付き合わなければいい。
一人で生きて行けば、もう失うことなんてないんだから。
そうやって生きてきた俺に、これ以上何を求めるっていうんだ。















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!