瞼の向こうにあった光が、じわじわと色を取り戻していく。
目を開くと、そこはモノクロの世界ではなく店の庭だった。
呑気に出迎えてきた鏡月に、手に持っていた破片を投げつける。
突然のことなのに、鏡月は難なくそれをキャッチした。
言葉が止まらない。頭で考えるよりも先に口が動く。
でももう、止めようとは思わなかった。
そこでようやく鏡月の顔を見る。
その目は、俺を見ていなかった。
視線の先にあるのは──俺が投げた鏡の破片。
胸がザワリと変な音を立てて、ここから出ようと訴えかけてくる。
早く帰ろう、早く立ち去ろう。
そう何度も何度も言うように、胸を強く叩く。
言い捨てて店を出る。
店の外はもう暗く、スマホで時間を確認すると補導される時間がすぐそこに迫っていた。
この時間だと……。
そう考えると、足取りが重くなる。家に近付くにつれて、歩幅はドンドン小さくなっていき、やがて止まった。
それだけは面倒だから嫌だ。
帰ろう。
そう意を決して顔を上げると、家の前に人影があった。
スーツを着た、男。父さんだと、一目でわかった。
時間を確認したときから、なんとなく予感していた。
父さんはいつもこの時間に帰ってくる。
俺がひとりで夕飯を食べ、風呂に入り、部屋に籠る時間になってやっと帰ってくる。
それは面倒だ。
顔を合わせて話すことなんて、ここ数年なかった。
あの鬼みたいな顔で怒鳴られるのは、うんざりだ。
ふと、鏡を奪われた時の記憶がよみがえる。
思い出したくもない光景。さっき、付喪神の記憶とやらで見たからフラッシュバックしやすくなってるんだ。
怒られそうになったら部屋に籠ればいい。
そして寝て忘れてしまおう。そうしよう。
そう決めて顔を上げると、父さんはまだ家の前に立っていた。
真っ暗な電気もついていない家を見つめている。
そして、深く、深くため息をついた。
まるで、帰るのが億劫だ、とでも言うように。
それに無性に腹が立ってきた。
毎日そうやってため息をついてたのだろうか。帰りたくもない家を眺めて、帰らなきゃいけないという義務だけで帰ってきていたのだろうか。
母さんがいなくなった家は確かに雰囲気がいいとは言えない。
イライラした感情を抑えることができないまま、俺は家の前にたたずむ父親の横をすり抜けた。
そう吐き捨てて、俺は真っ暗な家へと入った。
誰もいない、何の音もない家。
靴を脱ぎ、まっすぐ部屋へ戻る。
制服のまま、荷物も放り投げて、ベッドにダイブした。
所詮俺たちもこの世界にとっては替えの効く存在だ。
いなくなったとしても、すぐにわすれ去られていく存在。
ボールペンと変わらないのかもしれない。
痛む胸を無視して、俺は目を閉じる。
やがて、意識は微睡みに包まれていった。
玄関の扉が開く音は、最後まで聞こえなかった。















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!