コンクールの結果発表の時間、私はその時間が一番楽しみで、一番嫌いだ。自分の名前がよばれるかもしれないというドキドキと、もし呼ばれなかったらどうしようという不安がひとつになって押し寄せてくる。
そんなコンクールの結果発表の時間、私は一人心のなかで怯えていた。勿論自分の出来る限りの演奏はしたし、最善は尽くした。しかし、なにか嫌な予感がするのだ。
そんな不安な気持ちは置いてきぼりにされ、授賞式が始まり番号順に銅賞、銀賞、金賞と呼ばれていく。
とうとう、私の番が来た。
緊張でドキドキになりながら返事をした。
そう言われた瞬間、目の前は真っ暗になった。
違う違う違う、私は銅賞なんかじゃない。私は……
ガバッと自分のベットの上で飛び起きた。どうやら先程の光景は全て夢だったらしい。
この人は、音霧 彩葉。私の二つ上のお姉ちゃんだ。そんなお姉ちゃんが私の顔を心配そうに覗き込んできた。
あの夢とは、さっきの夢である。私がコンクールで、一番下の賞をとったという夢だ。
姉の言うとおり、この夢はただの夢ではない。本当にあったことなのだ。
この夢はきっと、去年のコンクールの記憶から作り出されたものである。きっと、一生忘れることのない苦い思い出から。
私が返事をすると、お姉ちゃんは部屋を出ていった。
今日は日曜日だ。とりあえずいつもの洋服でいいかなと思い、私はいつものワンピースに着替え、そのまま鏡の前に座って髪をとかした。いつもにセットして…これで完璧だ。
そのまま、部屋の扉を開けて階段を下りた。ちょっと足を滑らせてしまっただけで骨折しそうなほどに急だが、もう慣れた。階段を下りたら廊下を通り、リビングへと入った。
すると、お姉ちゃんが笑顔で迎えてくれた。とりあえず、おはようと一言呟き椅子に座った。
まぁ、食事は普通に美味しかった。それ以上でもそれ以下でもない。つまり、特筆すべき所はないということだ。
そのままお皿を下げようとすると、お姉ちゃんが言った。
そういえば、最近お姉ちゃんの前では演奏をしていなかったからな…久しぶりに聞かせてあげるか。
はいはい…と心のなかでいい、お皿をシンクの上に置いた。
そのまま、リビングのはしっこにある鍵をとって、お姉ちゃんに言った。
てきとーに返事をして、私は姉に鍵を投げた。そのまま、扉を開けて図書室のなかに入った。図書室に譜面を全ておいてある。
本棚をがさがさ漁ると、ひとつの楽譜が出てきた。
この曲は、モーツァルトが作曲した曲である。名前は、ソナタ第17(16)番K.570, 第三楽章だ。大体、高校生位のランクで中学生ではちょっと難しい。けど、これを小学生でも弾いている子がいるのは驚きだ。
楽譜をある程度眺めたあと、そのまま私は楽譜をもって部屋を出て、リビングへ行き、廊下に出た。そのまま階段をかけ登り、二階の楽器室に入った。
このグランドピアノは、最近海外出張などで普段いない両親に買ってもらったものだ。そのせいでしばらく誕生日プレゼント等はもらえないが後悔はない。
このピアノの他にもさっきまでいたリビングにアップライトピアノがある。幼い頃は、こっちのピアノでよく練習したものだ。
ピアノ椅子をちょっと後ろに引いて座った。そして、鍵盤に手を置く。
深呼吸をして、心を落ち着かせたあと、そのまま指を動かし始める。
最初は軽快に、軽く跳ねながら弾く。そこに気をつけながら、強弱もはっきりと。
思いっきりつっかえてしまった。
こんなところで間違えるなんて…いつぶりだろうか?普通ならここは間違えない。スランプなのかな?
お姉ちゃんは部屋を出ていった。一人になった部屋を見回して私は呟いた。
結局、最終的に二時間くらい練習したが結局上手くいかなかった。コンクールは、夏だ。このままのペースで練習していては到底間に合わない。
そう考えれば考えるほど、焦りは増していく…
散歩、いこうかな…気分転換に
ということで、私はふらふらと楽器室を出て自分の部屋に入り、帽子と上着をとった。そのまま下に降りて、お姉ちゃんに声をかけた。
そのまま廊下に出て、玄関に出た。そこから靴を履いて、ポツリといった。
玄関を開けると、私の黒い心とは裏腹に、世界には綺麗な青い空が広がっていた。そんな空を見ていると余計にため息が出た。
心から思ったことをそう、一言口にした。
誰だよ、私の独り言に突っ込んでくるやつ。と思い、後ろを振り向くとそこには…
この人は、室井風君。私が、想いを寄せる人物だ。凄い勉強ができる人でとにかく優しい。
私の恋愛感情について軽く補足しておこう。私は、多分他の人が抱える好きという感情となんとなくずれている。なんというか私の感情は、親愛みたいなものなのだ。
こいつ、私と同じような考えをしているなとか、そんな簡単なことで私は好きになったりする。といっても、私と同じような考えを持つ人ってかなり少ないけどね。
そんな私の恋愛感情についてはどうでもいいとして、室井くんに話しかける。
言葉が軽くつまっているのは仕方ない。コミュ症とはこういうものだ。
ちなみに、いつも散歩するときは私はなるべく遠くにいく。人に会いたくないからだ。まあ今日が特別なだけだ。
へぇ…室井君ってこの辺り散歩するんだね。初めて知ったよ。私はいつも部屋に引きこもっているから外にあまりでないから。
これって、ある意味デートのお誘い?なんていう狂言はさておき、一緒に散歩いっても大丈夫だよね?だって予定があるわけでもないし、かといってピアノも今はうまく弾けるわけないし。
こうして、男の子と二人で歩く事なんて小学生一年生?のとき以来だな。昔、仲が良かった男の子と一緒に遊んだ時が私の記憶するなかで最後だと思う。
まあ特筆すべきことはない、どうでもいい雑談をしていたら、すぐに公園についた。
二人で、ブランコに座る。そしてまた雑談をした。すると、室井くんがこんなことを聞いてきた。
なんか、思った以上に饒舌に喋ってしまったな。
ちょっとだけ、心にたまっていた黒いものが綺麗になって消えていった。すっと、軽くなっていく。
そして、私はこう室井くんに言った。
こうして、私は一心不乱で走って家へ向かった。
鍵を開けて、家のなかに入った。
洗面台に駆け込み、手を洗う。手を洗い終わると、お姉ちゃんにちょっとピアノ弾いてくると一言声をかけてすぐに部屋に戻った。
そして、私は鍵盤に手をおいて、押しはじめる。
軽く軽快な音で楽しそうに聞こえるように、これはさっきと同じだ。そこに今の私の新しい、綺麗な気持ちをのせた。
さっきとは違う手応え、さっきは違う音。ピアノが嬉しい、楽しいと言っているようだ。
重くなったり、軽くなったり大きくなったり、小さくなったりする音を切り替える。そして最後の音を押した。
こうして、私は春に抱えていた黒いものを壊し、新しい気持ちに切り替えられた。
すぐに夏のコンクールがやって来る。今の気持ちを忘れずに、素晴らしい演奏をしてピアノを純粋に楽しみたい。私は、心からそう思ったのであった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!