物語の中で何度も耳にしたような在り来りな命乞い。だがもう聞き飽きた。
マフィアに成り立ての自分だったなら、まだ考えたかもしれないが、こういうのは大抵逃したら後から自分が後悔する羽目になる。
少なくともこの裏社会ではそうだ。
だから、“僕”はなるべく無心になり、銃の引き金を引く。
状況で見逃す時もあるが、慣れとは怖いもので……撃ち慣れたら意外と躊躇いは無くなるのだ。
一発の銃声音が部屋の中に響くと、命乞いをした小太りの男性は胸から血を流し、ドサッと音を立てて床に倒れる。
銃を持つ腕を静かに下ろした後「そして、僕もそのうち……ね」と付け足すように呟いた。
僕は任務で裏切り者を始末するよう命じられ、部下を連れて裏切り者の居る屋敷に来ている。
其れが目の前で倒れている小太りの男性だ。
男性は富豪で、ポートマフィアの物資を無断で横流しにするだけでは飽き足らず、ポートマフィアに関する情報をマフィア反組織に売ろうとしていた。
ポートマフィア首領の森さん曰く、生け捕りはナシに終わらせてきていいよとの事だったので颯爽と終わらせるが、殺す前の男性の証言に違和感を覚えた。
マフィア反組織と男性は今夜、この屋敷で情報の受け渡しをする予定になっていたが、屋敷に乗り込んでみれば小太りの男性が一人だけ。
僕の異能は“エネルギー感知”が出来るのだが、室内からは僕の部下以外誰のエネルギーも感じない。
樋口さんに名前を呼ばれ、少し考える。
静かな夜中に銃声音が響けば、起きた近隣住民に通報されるかもしれない。
だとしても差程問題はないが、面倒だ。
なので「そうですね。先に外に出ていて下さい」と指示を出す。
樋口さんが他の部下達を外に向かわせ撤退している最中、聞き覚えの無い二人分の声が鏡の中から微かに聞こえた。
男性が倒れている後ろの壁には、フレームが金色の大きな丸鏡が飾られてあり、上半身が映る。
耳を澄ませば、この鏡の中から二人分の声がよりハッキリと聞こえる。
恐る恐る鏡に触れると、鏡に一瞬フードを被った何者かの姿が映り、次の瞬間鏡の中に手を引きずり込まれる。
部屋から出ようとしていた樋口さんが異変に気付いたのか、「寺戯幹部!」と名前を呼んで銃を構える。けれど、時既に遅し。
僕は浮いたように鏡の中へ軽々と身体まで引きずり込まれ、別の場所へと投げ出された。
投げ出される僅かな間に僕が見たのは─────
合わせ鏡の“異空間”だった。
床に落ちた僕は体を打ちながらもゆっくりと立ち上がり、服に着いた埃を払う。
マフィア反組織。鏡の中の人物。
合わせ鏡に異空間……。
裏切り者の男性は、恐らく鏡の中の“異空間”に潜む男の声を聞いていたのだろう。
だから裏切り者の男性は姿を見ていないと言った。
鏡の中に潜み、姿を隠せば姿の無い“声だけの人物”を演じることが出来る。
また、鏡の中なら僕のエネルギー感知は効かない。謎の人物を演じ、隠れんぼするには持ってこいの異能だ。
猫の発言からして、“この世界”は恐らく魔法が存在する世界なのだろう。
僕のエネルギー感知能力はこういう時にも役立つ。
屋敷からこちらへ投げ出された時、全体の“気”が一気に変わったのだ。元の世界では感じたことのない気がそこらじゅうを漂って居る。
僕の素性を正直に言える訳もなく、「魔法士ではありませんよ。ただの一般人です」と答えた。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!