奏汰side
僕は、手紙の方を手に取って恐る恐る開いてみた。
これより先に茜さんの名前が書かれている日記を見るという選択肢もあったが、そんな選択をする勇気は僕にはなかったし、何よりどんなことが書いてあるのかを知るのが怖かった。
と、いうわけで弱虫な僕は先に真由美さんからの手紙を読むことにする。
『拝啓 茜さんのご学友・“かなた”様へ
前略
この度は茜さんのお通夜にご出席いただきまして誠にありがとうございます。
“かなた”さんにお渡ししたお土産の中に、突然この手紙が入っていて、驚いていらっしゃるでしょう。
私の無礼、何卒ご容赦下さい。
私がこの手紙を書くために筆をとったのは、——“かなた”さんも、もう予想はしていらっしゃるでしょうが、、、——そう、茜さんのことです。
先日、茜さんは交通事故で亡くなりました。
けれども、
「本当に交通事故で亡くなったのだろうか。」
私は母親ながらそんな疑問を抱いてしまったのです。
それは、娘の死を信じたくない母親の感情なのか、それとも家で茜さんのためになることを全くしてあげられなかったという罪悪感からくるものなのかは私にも分かりません。
そんな時に見つかったのが、——一緒に入っていたでしょう——茜さんの書いた日記なのです。
私は茜さんに母親らしいことを何もしてあげられませんでした。
自分の子でないからではありません。
嫌われてしまうのが怖かったのです。
言い訳じみていると軽蔑してくださって構いません。
だって、茜さんの私への負の感情は今までの私の行動のせいなのでしょうから。
主人は、一人娘である茜さんを可愛がっておられましたが、仕事が忙しくなるにつれ、茜さんに構える時間も少なくなっていったように感じます。
娘が死去したことで、自責の念に駆られている主人を私は見るのが心苦しいです。
主人は、茜さんという存在がこの世から消えてしまったことで、より一層仕事に依存してしまうような気がします。
おそらく、茜さんが死去した今、主人にはもう仕事しか信じられるものがないのでしょう。
やればやるだけ結果が出る、仕事しか。
私も、幼い茜さんに「本当の母親じゃない」と言われてから、茜さんのことを無意識に避けていました。
そして、呼ぶときは『片桐さん』と呼んでいました。
私に『茜』という可憐で清楚な子の名前を呼ぶ権利はない気がしたのです。
茜さんも、私のことは名前で呼びはしませんでした。
『葛西さん』と呼んでいたのです——私の結婚前の苗字です——。
『お母さん』など夢のまた夢です。
当然でしょう。
最初に関係を築くことを諦めたのは私なのですから。
今思えば、何で自分の方から歩み寄らなかったのだろうとつくづく思います。
「今からこの人がお母さんだ」と言われて納得できる子供などいるわけがありません。
茜さんのあの時の言葉は、正当かつ切実な言葉だったのです。
別に、茜さんのことを愛していなかったわけではないのです。
そんなの、今となっては戯言にすぎませんが。
でも、あなたは茜さんを変えてくれました。
救ってくれました。
いつもなら、家に帰ってきても、笑顔なんてひとかけらもなかったのに、ある日突然家でも少しずつ笑うようになったんです。
ありがとう。
本当に感謝しています。
一緒に入っていた日記は“かなた”さんに差し上げます。
いいえ、もらってください。
私が上に書いた疑問を晴らすため、茜さんの自室に入ったときに本棚から見つけたものです。
一緒にメモ帳が挟まっていたのですが、そこには『かなたくんに渡して』と一言だけ書かれていました。
明らかに茜さんの筆跡でした。
私は中を一度も見ておりません。
だって、茜さんが他でもないあなたに見てほしいと言っているのです。
では、それを叶えてあげるのが私ができる最低限の行いではないでしょうか。
茜さんが死去した今、日記の所有権は、“かなた”さんにあります。
どうしていただいても構いません。
処分しても、保管していただいても構いません。
お邪魔であれば、私がお預かり致しましょう。
いつでも我が家にいらっしゃってください。
念のために地図も同封してあります。
敬具
葛西真由美より』
僕は、この手紙を読み終わった時、しばらく何も言えなかった。
それくらい、この手紙にはいろいろな感情が詰まっている気がしたのだ。
よく目を凝らしてみると、花があしらわれた便箋に、少しシミがあることが分かった。
それでも、この手紙を書いてくれた。
辛い記憶もあるだろうに、一所懸命思い出して。
そして、最後の『葛西真由美』という書き方。
娘と理解しあえなかった自分には、片桐姓を名乗る資格もないと思っているのだろうか。
それとも、ご主人との離縁を考えているのかもしれない。
なんにしろ、真由美さんの決意が表れた書き方だと思って間違いなさそうだ。
真由美さんの手紙を見て、僕は余計怖くなった。
僕は誰かのためにここまで自分の弱みを人にさらしたことがあるだろうか。
ひとりの人のためにここまで必死になれるのだろうか。
答えが分からないから、怖い。
僕は本当に『幽霊』なのだろうか。
僕は心の片隅でこだまする空しさと苦しさに蓋をして、茜さんが僕に宛てて書いたという日記を手に取った。
が、開くことはできなかった。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。