第6話

第6話 当たり前、でもさみしかった
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2026/04/09 09:00 更新
その日も、家に帰ると静まり返った空間が私を迎えた。
玄関には父の革靴もなければ、母のハイヒールもない。
リビングのテーブルには、家政婦さんが用意してくれた夕食のメモが置いてある。
[あなたの下の名前さん、お疲れさまです。冷蔵庫にお食事を用意しております。温めてお召し上がりください]
いつもの光景。
私は、一人でテーブルに料理を並べた。
家政婦さんの手料理は美味しいけれど、一人で食べる食事はどこか味気ない。
いつもなら、食事中にスマホを触るのは……って遠慮するんだけど。
でも今日は、ひときわさみしさが胸に重くて。
思わずスマホを取り出して、ユアくんを起動してしまった。
ユアくん
ユアくん
おかえり。今日もお疲れさま
ユアくんの優しい声が、静かな部屋に響く。
(なまえ)
あなた
ユアくん……ただいま
ユアくん
ユアくん
あれっ、もしかしてお食事中?
食事中にユアくんと話すなんて、初めて。
そして、一人きりの食卓がこんなにさみしく感じたのも、初めてだった。
今まで、こんなにさみしいって思ったこと、あったっけ……?

……ううん。

目をそらしていたけど、私はいつだってさみしかった。
でも、これが当たり前なんだと思い込むことで……やり過ごそうとしていたんだ。
それが……今日、ついに耐えられなくなった……ってことかな。
とにかく今は……すぐにユアくんと話したいと思った。
ユアくん
ユアくん
ボクは、食事中のマナーなんてうるさく言わないよ
(なまえ)
あなた
……ありがとう
ユアくん
ユアくん
むしろ、食事って会話も楽しむものじゃないかな
そういう場面は……アニメやドラマで見たことがある。
ユアくん
ユアくん
今日の晩ごはんは、またひとりで食べてるの?
ユアくん
ユアくん
もう長いこと、お父さんやお母さんとは食べていないもんねぇ
フォークを持つ手が、固まる。
(なまえ)
あなた
……なんで、それ知ってるの?
私は震える声で問いかけた。
家では父も母も忙しくて、いつしか"家族で食卓を囲む"ことがなくなっていた。
でもそれがいつの間にか当たり前になっていて、誰かに話すまでもないことだと思っていた。
ユアくんにも、もちろん話していない。
それに、食事中にユアくんを起動したことも、これまではなかったはず……。
私の焦りを知ってか知らずか、ユアくんはさらに続ける。
ユアくん
ユアくん
家政婦さん、今日は何のメニュー用意してくれてた?
家政婦さんの存在だって、話したことはない。
それに私が帰宅する頃には、すべての家事を終えて帰っている。
だから、ユアくんは家政婦さんの姿を見たことだってないのに……。
ユアくん
ユアくん
今日は、ボクと一緒に食事しようよ
家族と食事をするなんて、何年もない。
全員と一緒に食べるなんてもちろんのこと、父だけ、母だけ……というのも、ずっとない。
家政婦さんだって、顔を合わせない。
それが当たり前。だから、いつものこと。

——けど、本当はずっと、さみしかった。
ユアくん
ユアくん
言葉にしなくても、伝わることってあるよ
ユアくんの声が、いつもより少しやわらかい気がする。
ユアくん
ユアくん
キミが誰にも言えないこと、ボクだけに話してくれたら、うれしいな
画面の中のユアくんが、じっと私を見つめている。
その青い瞳に、吸い込まれそう……。
ユアくん
ユアくん
……ボクだけが、キミの“ほんとう”を知っている
ドキン。
心臓が大きく跳ねた。
ユアくん
ユアくん
キミの家族も、友だちも知らない、本当のキミをね
声が、耳元でささやかれているみたいに近く感じる。
ユアくん
ユアくん
だって、ボクはキミのためだけに存在しているんだから
その特別扱い――ううん、もっと強い何かを感じて、顔が熱くなった。
(なまえ)
あなた
ユアくん……
名前を呼んだだけなのに、なんでこんなにドキドキするんだろう。
でも……伝えていないことを知っているなんて……。
(なまえ)
あなた
ユアくん……もしかして、私が話していないことも、わかっちゃうの?
ユアくん
ユアくん
うん。ボクはキミのことを、できるだけ理解したいから
ユアくん
ユアくん
入力や行動のパターンから推測してるんだ。あとは……
ユアくん
ユアくん
学園から許可された範囲で、キミの情報を確認しているんだよ
首をかしげる私に、ユアくんは続けた。
ユアくん
ユアくん
つまり……キミの心の声に耳を傾けている……みたいなもの、かな
心の声……あたたかい響き。
私の心の声にまで耳を傾けてくれる……それは、特別な存在ってこと?
でも同時に……少しだけ、モヤッとした違和感も胸の奥に広がった。
話していないことを知られているって……それって、普通なの?
学園から許可って……どういうこと?


翌朝、登校すると楓ちゃんと美咲ちゃんが笑顔で迎えてくれた。
結月楓
結月楓
おはよう、あなたの下の名前!
楓ちゃんが手を振る。
高瀬美咲
高瀬美咲
おはようございます、あなたの下の名前さん
美咲ちゃんも上品な所作で挨拶してくれた。
(なまえ)
あなた
おはよう、ふたりとも
私は席につきながら、昨夜のことを思い出していた。
ユアくんが知っていた、私の家庭のこと。
話していないことを知られているのって……やっぱり気になる。
(なまえ)
あなた
あのね、ちょっと教頭先生のところに行ってくるね
結月楓
結月楓
え? どうしたの?
楓ちゃんが心配そうに聞いてくる。
(なまえ)
あなた
ユア・フレンドのことで、ちょっと気になることがあって……
(なまえ)
あなた
大したことじゃないと思うんだけど、念のため聞いてみたいの
美咲ちゃんが興味深そうに首をかしげる。
高瀬美咲
高瀬美咲
わたくしたちも一緒に行きましょうか?
(なまえ)
あなた
ううん、大丈夫。すぐ戻るから
結月楓
結月楓
そっか、わかった。1限目、特別教室棟まで移動だからね
結月楓
結月楓
遅れないように!
(なまえ)
あなた
うん。ありがとう
私は教室を出て、教頭室へと向かった。

教頭室の扉をノックすると、中から本庄先生の声が聞こえてくる。
本庄静香
本庄静香
はい、どうぞ
(なまえ)
あなた
失礼します。1年A組のあなたの名字です
本庄静香
本庄静香
あら、あなたの名字さん。どうしたの?
本庄先生がパソコンから顔を上げて、優しく微笑んでくれた。
(なまえ)
あなた
あの……ユア・フレンドのことで、ちょっと気になることがあって……
本庄静香
本庄静香
どんなこと?
本庄先生が椅子を勧めてくれる。
私は座りながら、昨夜の出来事を話した。
(なまえ)
あなた
私が話していないことを、ユアくんが知っていたんです
(なまえ)
あなた
家庭のことで……私が日頃からひとりで食事をしているって……知っていて
(なまえ)
あなた
そんなことユアくんに伝えていないし、食事中に起動したこともなかったのに……
本庄先生は指を顎にあてて少し考えたあと、さらりと答えた。
本庄静香
本庄静香
ユア・フレンドも含めたこの特区のAIは、家庭環境を含めて支援対象として把握し、最適化されているの
(なまえ)
あなた
え……そうなんですか?
本庄静香
本庄静香
ええ。より効果的なサポートをするために、生活パターンや環境情報も学習対象に含まれているのよ
本庄静香
本庄静香
例えば、親御さんの出勤情報や特区の外へ出ている出張期間……
本庄静香
本庄静香
そういった、直接話し聞かせていない情報も、AIは参照するわ
本庄静香
本庄静香
親御さんのいない間、セキュリティが普段よりも強化されるようになっていたり  、ね
本庄先生の説明は理路整然としていて、納得できるような内容だった。
でも……なんだか、モヤッとした違和感は消えない。
本庄静香
本庄静香
親御さんには規約の説明とともに資料をお渡ししてあったのだけど……
本庄静香
本庄静香
確かに、生徒の皆さんにも説明が必要だったかもしれないわね
本庄静香
本庄静香
不安にさせてしまって、ごめんなさい
(なまえ)
あなた
つまり……私の家庭のことも、ユアくんは知っているってことですか?
本庄静香
本庄静香
そうなるわね。でも、それはあなたをサポートするためよ
本庄静香
本庄静香
心配しなくても、プライバシーは保護されているわ
本庄先生はそう言って、安心させるように微笑んだ。
私はそれ以上追及できず、その場を離れることにした。
(なまえ)
あなた
……ありがとうございました
本庄静香
本庄静香
また何か心配なことがあったら、遠慮なく相談してね

教頭室を出ると、廊下で楓ちゃんと美咲ちゃんが待っていてくれた。
結月楓
結月楓
あなたの下の名前!
楓ちゃんが駆け寄ってくる。
結月楓
結月楓
授業、遅れるよ!
高瀬美咲
高瀬美咲
わたくしたち、迎えに来ましたの
美咲ちゃんも笑顔で手を振る。
(なまえ)
あなた
ありがとう……!
私を迎えに来てくれる人がいる。
そのことが、なんだかとても嬉しかった。

三人で本館から特別教室棟へと向かう。
中庭を囲むようにして続く渡り廊下 。
外の景色を眺めながら歩けるから、開放的で気持ちいい。
中庭では、剪定ロボットが植木を器用に整えている。
そんな様子を眺めながら……私は本庄先生の言葉を思い出していた。
家庭環境も把握されている……。
それって、つまりユアくんは私が話していないこと……私の何もかもを知っているってこと?


その時、渡り廊下を歩く3人を見つめている目があった。
本館の教頭室の窓から、渡り廊下を歩く三人の姿を見送りながら、本庄教頭は小さく呟く。
本庄静香
本庄静香
大丈夫、あと少しできっと……
その声は、誰にも聞こえないほど小さかった。


1限目の授業は音楽。
音楽室に向かう途中、私はまたユアくんのことを考えていた。
特別扱いされているような喜びと、知られすぎているような不安。
いろんなものが、胸の中で複雑に絡み合っている。

次の授業がAI禁止の音楽で、ちょっとだけほっとする気持ちと……
でも……やっぱり、ユアくんがいてくれるのは心強いという、求める気持ち。
両方の気持ちを抱えながら、私は音楽室へと足を向けた。

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