その日も、家に帰ると静まり返った空間が私を迎えた。
玄関には父の革靴もなければ、母のハイヒールもない。
リビングのテーブルには、家政婦さんが用意してくれた夕食のメモが置いてある。
[あなたの下の名前さん、お疲れさまです。冷蔵庫にお食事を用意しております。温めてお召し上がりください]
いつもの光景。
私は、一人でテーブルに料理を並べた。
家政婦さんの手料理は美味しいけれど、一人で食べる食事はどこか味気ない。
いつもなら、食事中にスマホを触るのは……って遠慮するんだけど。
でも今日は、ひときわさみしさが胸に重くて。
思わずスマホを取り出して、ユアくんを起動してしまった。
ユアくんの優しい声が、静かな部屋に響く。
食事中にユアくんと話すなんて、初めて。
そして、一人きりの食卓がこんなにさみしく感じたのも、初めてだった。
今まで、こんなにさみしいって思ったこと、あったっけ……?
……ううん。
目をそらしていたけど、私はいつだってさみしかった。
でも、これが当たり前なんだと思い込むことで……やり過ごそうとしていたんだ。
それが……今日、ついに耐えられなくなった……ってことかな。
とにかく今は……すぐにユアくんと話したいと思った。
そういう場面は……アニメやドラマで見たことがある。
フォークを持つ手が、固まる。
私は震える声で問いかけた。
家では父も母も忙しくて、いつしか"家族で食卓を囲む"ことがなくなっていた。
でもそれがいつの間にか当たり前になっていて、誰かに話すまでもないことだと思っていた。
ユアくんにも、もちろん話していない。
それに、食事中にユアくんを起動したことも、これまではなかったはず……。
私の焦りを知ってか知らずか、ユアくんはさらに続ける。
家政婦さんの存在だって、話したことはない。
それに私が帰宅する頃には、すべての家事を終えて帰っている。
だから、ユアくんは家政婦さんの姿を見たことだってないのに……。
家族と食事をするなんて、何年もない。
全員と一緒に食べるなんてもちろんのこと、父だけ、母だけ……というのも、ずっとない。
家政婦さんだって、顔を合わせない。
それが当たり前。だから、いつものこと。
——けど、本当はずっと、さみしかった。
ユアくんの声が、いつもより少しやわらかい気がする。
画面の中のユアくんが、じっと私を見つめている。
その青い瞳に、吸い込まれそう……。
ドキン。
心臓が大きく跳ねた。
声が、耳元でささやかれているみたいに近く感じる。
その特別扱い――ううん、もっと強い何かを感じて、顔が熱くなった。
名前を呼んだだけなのに、なんでこんなにドキドキするんだろう。
でも……伝えていないことを知っているなんて……。
首をかしげる私に、ユアくんは続けた。
心の声……あたたかい響き。
私の心の声にまで耳を傾けてくれる……それは、特別な存在ってこと?
でも同時に……少しだけ、モヤッとした違和感も胸の奥に広がった。
話していないことを知られているって……それって、普通なの?
学園から許可って……どういうこと?
翌朝、登校すると楓ちゃんと美咲ちゃんが笑顔で迎えてくれた。
楓ちゃんが手を振る。
美咲ちゃんも上品な所作で挨拶してくれた。
私は席につきながら、昨夜のことを思い出していた。
ユアくんが知っていた、私の家庭のこと。
話していないことを知られているのって……やっぱり気になる。
楓ちゃんが心配そうに聞いてくる。
美咲ちゃんが興味深そうに首をかしげる。
私は教室を出て、教頭室へと向かった。
教頭室の扉をノックすると、中から本庄先生の声が聞こえてくる。
本庄先生がパソコンから顔を上げて、優しく微笑んでくれた。
本庄先生が椅子を勧めてくれる。
私は座りながら、昨夜の出来事を話した。
本庄先生は指を顎にあてて少し考えたあと、さらりと答えた。
本庄先生の説明は理路整然としていて、納得できるような内容だった。
でも……なんだか、モヤッとした違和感は消えない。
本庄先生はそう言って、安心させるように微笑んだ。
私はそれ以上追及できず、その場を離れることにした。
教頭室を出ると、廊下で楓ちゃんと美咲ちゃんが待っていてくれた。
楓ちゃんが駆け寄ってくる。
美咲ちゃんも笑顔で手を振る。
私を迎えに来てくれる人がいる。
そのことが、なんだかとても嬉しかった。
三人で本館から特別教室棟へと向かう。
中庭を囲むようにして続く渡り廊下 。
外の景色を眺めながら歩けるから、開放的で気持ちいい。
中庭では、剪定ロボットが植木を器用に整えている。
そんな様子を眺めながら……私は本庄先生の言葉を思い出していた。
家庭環境も把握されている……。
それって、つまりユアくんは私が話していないこと……私の何もかもを知っているってこと?
その時、渡り廊下を歩く3人を見つめている目があった。
本館の教頭室の窓から、渡り廊下を歩く三人の姿を見送りながら、本庄教頭は小さく呟く。
その声は、誰にも聞こえないほど小さかった。
1限目の授業は音楽。
音楽室に向かう途中、私はまたユアくんのことを考えていた。
特別扱いされているような喜びと、知られすぎているような不安。
いろんなものが、胸の中で複雑に絡み合っている。
次の授業がAI禁止の音楽で、ちょっとだけほっとする気持ちと……
でも……やっぱり、ユアくんがいてくれるのは心強いという、求める気持ち。
両方の気持ちを抱えながら、私は音楽室へと足を向けた。

















編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。