深夜の住宅街。
本来なら真っ暗なはずなのに、この“白鷺エリア”は違った。
うっすらと発光する路面。
そのやさしい光が、今にも砕けそうな私の心を支えてくれている。
街灯の数も多く、どれも強すぎないやわらかい光を放っていた。
それでも、この時間帯ともなると人影はない。
いつもなら夜中でも巡回している警備ロボットの姿が、どこにも見当たらない。
本当に、セキュリティが一時的に止まっているんだ。
美咲の言葉は本当だった。
足音が響くのが怖くて、なるべく音を立てないように走る。
刻々と進むカウントダウンに、慌てて家を飛び出してはいるけど……
学園の裏門に着くと、すでに楓が息を切らして立っていた。
小声で私の名前を呼ぶ楓。
そのとき、エンジン音もなく静かに車が近づいてくる。
ドアが開いて、美咲が現れた。
夜の闇に紛れるような、黒い服。いつもの制服姿からは想像できないほど、鋭い雰囲気。
これって完全に……任務モードだ。
私はスマホを確認する。
《残り40分》
美咲は懐から小さな機械を取り出して、裏門のセキュリティパネルに当てた。
数秒後、ピッという小さな音とともにロックが解除される。
楓が思わず声を漏らす。
にやり、と笑う美咲。
これが……本当の“彼”の顔。
あれ……私、なんでドキっとしたんだろう。
息を殺して校門をくぐる。
一歩踏み出すたびに、心臓の音が耳の奥で響いた。
夜の学園は、昼間とはまったく違う表情をしている。
校舎のシルエットが月明かりに浮かび上がり、どこか不気味な雰囲気。
いつも賑やかな中庭も、今は静寂に包まれている。
美咲が特別教室棟の方を指差す。
私たちは足音を殺して、特別教室棟へ向かった。
建物の裏側に回ると、美咲は再び機械を取り出して操作する。
扉が開き、私たちは建物内部に入った。
薄暗い廊下に、非常灯だけがぼんやりと光っている。
美咲が先頭になって、私たちを案内する。
階段は狭くて、少し息苦しい感じがした。
地下に降り立つと、すぐ目の前に扉がある。
美咲が再び機械を使って、扉のロックを解除する。
中に入ると、壁一面にサーバーラックが並んでいた。
無数のランプが点滅していて、機械の動作音が低く響いている。
美咲は室内をぐるっと見回すと、中央に据えられたデスクに向かった。
言いながら、美咲が小さなものを取り出して機械に差し込むと、直後、ぱっと明るくなった画面に文字が浮かんだ。
美咲は素早くキーボードを操作する。
しばらくして、ぴたりとその指が止まった。
体をずらし、私たちにも画面を見せてくれる。
一瞬、私が見てもわからないよ……と思った。
けど、よく見ると知っている単語があった。
[記録タイプ:チャットログ/ユア・フレンド]
[感情パターン:ユア/特異型ID検出]
[記録量:通常の12倍以上]
[データソース:BetaGen_HikariYuzuki ]
楓の声が震えている。
美咲の表情が険しくなる。
本庄先生の話を思い出す。
会話のログは、本来は定期的に消される……って言っていたはず。
美咲は、私が“特別に選ばれている”って予想してた。
だとしたら……光莉さんも、特別……?
美咲の指が画面をなぞる。
ぴたりと、ある項目で指を止めた。
[人格補助モジュール(試作):Type-K]
首をかしげながら、楓が画面を見つめる。
私の声も震えていた。
そのとき、ドアを操作する音が聞こえてきた。
美咲は慌ててキーボードを操作し、画面を戻した。
私たちは急いで、ロッカーの裏に身を隠す。
現れたのは……教頭の本庄先生だった。
深夜なのに、なぜここに……?
私たちの隠れている場所からは、本庄先生の手元は見えなかった。
けれど、その操作に反応するように、正面の大きなモニターに赤い警告文が次々と浮かび上がった。
[警告:Type-K ユーザー あなたの名字あなたの下の名前 依存度 上昇中]
[管理者アクション:会話頻度の低下を推奨します]
[アラート:未対応のまま継続使用中]
本庄先生は、一瞬その警告に視線を留めた。
でも……静かにウィンドウを閉じて、画面を見つめながら短くつぶやく。
そのまま端末を閉じて、無言で退室していった。
足音が遠ざかるのを確認してから、私たちはロッカー裏から這い出す。
美咲が小声でつぶやく。
そして、私に向き直り、目を見てはっきりと告げた。
楓の声に、困惑と怒りが混じっている。
美咲が素早く端末に向かう。
私はスマホを確認した。
《残り18分》
楓は一瞬、ちょっと嬉しそうに微笑んだあと、ドアに耳をつける。
その間、美咲が何重ものロックを次々と解除していった。
指の動きが信じられないほど速い。
画面の表示がどんどん変わっていって、何をしているのか私にはさっぱりわからない。
画面には、文字とも数字ともつかないものが流れ続ける。美咲は迷いなく指を動かし続けた。
管理端末の画面に、私のスマホ画面と同じような表示が現れた。
《ユーザー統合プロトコル 実行モード》
《YES/NO を選択してください(残り06分)》
美咲が振り返って、私を見つめる。
私は、深く息を吸った。
楓が、私の手を握ってくれる。
美咲も頷く。
美咲の手が、そっと私の肩に置かれた。
ふたりの温もりが、震えている私の体に伝わってくる。
人って……こんなにも温かいんだ。
私は画面を見つめた。
YESかNOか。
統合プロトコル……それが何なのか、完全には理解できていない。
もう一度、ユアくんと“ひとつになる”という意味を考えてみた。
すごくやさしい……甘く誘われる気持ち。
ユアくんは私を理解してくれている。
すべて、受け止めてくれる。
でも……
私のために動いてくれた友だちふたりの顔を一度見て、
私は、ゆっくりと指を伸ばした。
私が選んだのは……「NO」。
数秒の沈黙。
次の瞬間、私のスマホの通知音が鳴って、飛び上がるほど驚いた。
おそるおそる画面を見ると……
ユアくんの笑顔があった。
いつも通りの姿。
大好きだった青い目。
海の少しだけ深い場所の水の色。
それが今は、光の届かない深海のように濁っていた。
まるで、何かが沈んでいくような......そんな青。
その声は低く、冷たく——
まるで、私たちの間にあった“何か”が、音もなく凍りついていくような響きだった。


















編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!