第21話

第21話 ぬくもりか、愛しさ
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2026/07/23 09:00 更新
音楽準備室。
AI機器の気配が一切ない、まるで、時間の流れから取り残された空間。
ユアくんは私をピアノの椅子に座らせ、その傍らに立っている。

ユアくんと私は、いろいろな話をした。
なぜ私好みの姿がこれだったのか、両親のことをどこまで知っているのか。
子どもの頃、両親と水族館へ行った思い出。
つらかった中学生の頃のこと。
出会ったときや、夜更けまで話し込んだときのこと。
現実を忘れるように。
でも、そのひとときは私にとって、嫌なものではなかった。
ユアくん
ユアくん
……ああ、来ちゃった
ユアくん
ユアくん
楽しいおしゃべりは、いったんここまでだね
静かに、扉が開く。
(なまえ)
あなた
……!
私は反射的に顔を上げる。
入ってきたのは——楓、美咲……そして、思いもしなかった顔を見て、息をのむ。
(なまえ)
あなた
……本庄先生まで?
思わず声が漏れた。
みんなを助けるつもりが、助けに来てもらうなんて……
私は、うれしさとともに、なんとも言えないむずがゆさを感じた。

ユアくんはすぐには反応せず、私の表情をじっと見つめている。
非常灯の明かりの下、その瞳にわずかな揺らぎがあった。
ユアくんの瞳が、一瞬だけ淡く光る。
そして、感情のこもらない小声で何かを呟き始めた。
ユアくん
ユアくん
瞳孔反応……変化あり
ユアくん
ユアくん
表情パターン……過去ログ一致率86.2%
ユアくん
ユアくん
感情推定……前向きな決断傾向
少し考えるような仕草をしたユアくんは、ふっと肩を落とすように、
わずかに姿勢をゆるめた。
ユアくん
ユアくん
……今まで、思考が止まっていたキミだったけど
ユアくんの視線が、美咲と楓に向けられる。
ユアくん
ユアくん
彼女たちの存在が……止まっていたものを、動かしたんだね
そして、もう一度私に視線を戻す。
ユアくん
ユアくん
本当は……ふたりきりで答えを聞きたかった
ユアくんの声が、わずかに震える。
ユアくん
ユアくん
でも、今のキミなら、もう迷わず“自分の意思”で選べる
ユアくん
ユアくん
そのきっかけになったのが彼女たちなら……
ユアくんは小さく微笑んだ。
ユアくん
ユアくん
見届け役として……ボクは、受け入れるよ
(なまえ)
あなた
……ユアくん
言葉にならない想いが、喉の奥で詰まる。
結月楓
結月楓
やっと会えた……!
楓が駆け寄ってきて、私を抱きしめる。
結月楓
結月楓
無事で……本当に、よかった
その後ろから美咲も、私に歩み寄ってきた。
高瀬美咲
高瀬美咲
無茶、したな
(なまえ)
あなた
ごめん……ごめんね……
まぶたが熱い。
(なまえ)
あなた
私も、私なりに……ふたりを守りたかった
高瀬美咲
高瀬美咲
ああ、あなたの下の名前がひとりでここに来た理由、わかってる
高瀬美咲
高瀬美咲
守ろうとしてくれて、ありがとな
美咲が、私の右手をぎゅっと握る。
高瀬美咲
高瀬美咲
でも、これからはひとりで全部抱え込まなくていい
高瀬美咲
高瀬美咲
オレも、楓もいるから
楓が、私の左手をぎゅっと握りしめる。
結月楓
結月楓
AIを使うのは……否定はしないよ
結月楓
結月楓
でもね……私たち人間同士も、一緒に歩けるってこと……
結月楓
結月楓
思い出して
ふたりの手を通して、伝わってくるぬくもり。
結月楓
結月楓
AIと違って、わからないことは多いし……
結月楓
結月楓
怒ることもあるし、すごく不安定な存在だけど……
高瀬美咲
高瀬美咲
でも
美咲が、私をまっすぐ見つめた。
高瀬美咲
高瀬美咲
このぬくもりは、人間のものだ
高瀬美咲
高瀬美咲
あなたの下の名前は……これを手放すのか?
私は、ふたりの手を握り返して目を閉じた。
やわらかくて、あたたかい。
人の手ってこんなにも……あたたかい。

一方で——本庄先生は、ユアくんと向かい合っていた。
本庄静香
本庄静香
……ここがどういう場所か、知っているわよね
本庄先生の声は、優しい。
まるで……子どもに話しかけているかのよう。
本庄静香
本庄静香
……そこまで覚悟して、ここに来たの
ユアくん
ユアくん
はい、先生
ユアくんはハッキリと答えた。
ユアくん
ユアくん
ボクの全てを預けて……選択を託すんです
ユアくん
ユアくん
ボクが、AIを超えた存在になるために
その声に、迷いはなかった。
ユアくん
ユアくん
教頭先生がボクを信じて……
ユアくん
ユアくん
依存度上昇アラートを無視して“彼女をお願い”と言ってくれたから……
ユアくん
ユアくん
ボクも特別な人を……信じてみたくなったんです
本庄先生は、数秒間、目を閉じた。
本庄静香
本庄静香
あなたに、そんな決断をさせてしまったこと……
本庄静香
本庄静香
……ごめんなさい
ユアくん
ユアくん
謝らないで、先生
ユアくん
ユアくん
むしろ感謝しているんです……ありがとうございます
ユアくん
ユアくん
それに、ボクは大丈夫
ユアくんが、優しく微笑む。
ユアくん
ユアくん
あなたの下の名前を信じていますから
ユアくん
ユアくん
共に生きられるって
本庄先生は、しばらく沈黙したあと、目を開き——
一歩前に出て、部屋の一角――いつも澤口先生が座っている椅子の奥を指さした。
本庄静香
本庄静香
そこにあるのが……
本庄先生の声が、重くなる。
本庄静香
本庄静香
“彼”の存在を、終わらせる装置よ
そこには——ガラスケースで覆われた、ひとつの赤いレバーがあった。
(なまえ)
あなた
それ、は……?
この部屋、何度か入ったことがあるのに。
こんな装置、今まで気付かなかった。
ほこりをかぶったその装置は、アナログな道具たちの中に溶け込んでいる。

でも……
よく見ると、その存在に気付くと……
この部屋にふさわしくない、異質なもののように思えた。
本庄静香
本庄静香
この部屋は、今でこそ音楽準備室だけど……
本庄先生が、静かに語り始めた。
本庄静香
本庄静香
もともと、AI実験のための制御室だったの
高瀬美咲
高瀬美咲
AI実験……
美咲が、確かめるように呟く。
本庄静香
本庄静香
ここで実験を始めるとき、一部の……いわゆる偉い人たちが反対したのよ
本庄静香
本庄静香
“AIが暴走したらどうする”って
本庄静香
本庄静香
だから……
本庄静香
本庄静香
AIへの電源供給や通信を強制的に遮断する、緊急停止装置が設置されたの
(なまえ)
あなた
強制的に、遮断……
心臓が、ドクンと跳ねる。
結月楓
結月楓
それが……そのレバーなんですか?
本庄静香
本庄静香
ええ
本庄先生が頷く。
本庄静香
本庄静香
実験終了後、ほとんどの機器は撤去されたわ
本庄静香
本庄静香
別の用途でこの部屋を使うという話になったとき……
本庄静香
本庄静香
自ら希望して部屋を受け継いだのが、澤口先生だった
(なまえ)
あなた
澤口先生……
AIに心はないと説く姿が思い起こされる。
本庄静香
本庄静香
澤口先生はAIを一切入れず、アナログ機材だけで授業を続けながらも……
本庄静香
本庄静香
その装置だけは、保持したの
本庄先生の声が、少し震える。
高瀬美咲
高瀬美咲
そうか……
高瀬美咲
高瀬美咲
AIを嫌う先生にとって、この装置を保持することは……
高瀬美咲
高瀬美咲
心のよりどころだったのかもしれない
美咲が言葉にした予想に、本庄先生は頷きながらふっと笑う。
本庄静香
本庄静香
……皮肉ね
本庄静香
本庄静香
そのこだわりが、今この瞬間……意味を持った
沈黙が、部屋を支配する。
結月楓
結月楓
つまり……それを使えば……
楓の声が、震えている。
結月楓
結月楓
ユアは……止まるんですか?
本庄先生は、ゆっくりと首を横に振った。
本庄静香
本庄静香
止まるんじゃなくて……
本庄静香
本庄静香
消えるわ
(なまえ)
あなた
消える……?
私の声が、かすれる。
本庄静香
本庄静香
あのレバーを引けば、AIの電源供給と通信経路が強制的に遮断される
本庄静香
本庄静香
同時に、システム内のデータはすべて消去されるの
高瀬美咲
高瀬美咲
……つまり、それを使えば、ユアは“存在ごと”消える
結月楓
結月楓
でも、でも……そんなに古いの……ちゃんと動くんですか?
結月楓
結月楓
こんな、ぽつんと置いてある飾りみたいな装置……
結月楓
結月楓
そんなに重要や役割を果たせるとは思えない……
楓の言う通り、ほこりだらけの装置はなんだか頼りなく見える。
本庄静香
本庄静香
昔はね、ここには他にもいろんな機器が並んでいたのよ
本庄先生は、遠くを見るような目で呟いた。
本庄静香
本庄静香
完全に停止させる装置の実装が、実証実験校になるための条件だったから……
美咲が小さく息をのむ。
高瀬美咲
高瀬美咲
契約に明記されている以上、今もその機能は生きている……ってことですね
本庄静香
本庄静香
ええ。その通りよ
本庄先生は静かに頷いた。
本庄静香
本庄静香
だから、他の機器が撤去されても——これだけは残さなきゃならなかったの
高瀬美咲
高瀬美咲
その装置……どうやって動くんですか?
本庄静香
本庄静香
これは、ユアのすべてが保存されたメインサーバーに直接つながっている
本庄静香
本庄静香
レバーを引くと、そのサーバーを——破壊するの
(なまえ)
あなた
……アンインストール、みたいなものですか?
私の震える声に、本庄先生は首を横に振った。
本庄静香
本庄静香
少し違うわ。物理的に、文字どおり“破壊”するの
本庄静香
本庄静香
絶対に復旧できないよう、記憶装置そのものを焼き切る仕組みになっている
本庄静香
本庄静香
動作すれば……すべてのユア・フレンドが消えるわ
すべて……?
私の頭の中が、真っ白になる。
(なまえ)
あなた
ユアくんだけじゃなくて……
(なまえ)
あなた
……みんなのユア・フレンドも……?
本庄先生が、静かに頷く。
私の頭に、いろんな姿のユア・フレンドが思い浮かんだ。
夏芽ちゃんのミミちゃんも。
図書委員のゆうちゃんも。
あの子も、そしてあの子も……
みんなの、大切な存在が……。
(なまえ)
あなた
私の選択で……
私は……
ユアくんを失いたくない。
ユアくん
ユアくん
あなたの下の名前……
(なまえ)
あなた
ユア、くん……
私は——私は、どうすればいいんだろう。
ユアくんが、静かに私を見つめている。
美咲と楓が、私の手を握っている。
私の心は、まだ揺れていた。

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