音楽準備室を、息が詰まるような静寂が包んでいた。
私はガラスケースに覆われた赤いレバーを見つめたまま、動けずにいる。
ユアくんが、そこに立っている。
楓と美咲が、私の手を握っている。
本庄先生が、静かに見守っている。
心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。
ユアくんの瞳が、さっきまでと少し違って見えた。
今まで、私の表情を読み取るように微かに光っていたのに。
今は……ただ、静かに私を見つめているだけ。
ああ、だから瞳がさっきまでと違ったんだ。
楓が、たぶん初めて……ユアくんに少し理解を示すようなことを呟いた。
そして、誰も、何も言わなくなった。
私の選択を――待っている。
ただ……待ってくれている。
私自身で、選べるように。
ユアくんが、消える。
いやだ、失いたくない……。
胸が締め付けられるように痛む。
でも……きっと、ユアくんを選ぶと、楓と美咲は私から離れる。
私の世界には、私とユアくんだけ。
いつもユアくんに守られて、とても楽で、心地いい世界になる……のかな。
ユアくんが消えると、みんなのユアも、消える。
きっと、悲しむ。
泣く子だって、いるかもしれない。
楓のお姉さん……光莉さん。
彼女は、私の未来の姿なのかな……?
そして、ひょっとしたらユア・フレンドを使っているみんなの未来。
現実が見えなくなって。
人の声が届かなくなって。
気づいたときには、もう遅い。
それに――
もしも、みんなが悲しんだとき。
支えられるのは……。
ぽつりと、かすれた声で呟いた言葉が空気に溶ける。
楓と美咲の手の温もりが、じんわりと私に伝わってくる。
ユアくんの手を握った感触を思い起こす。
私が、手放したくないのは……!
ユアくんが、ゆっくりと口を開いた。
その声は、いつもと同じ優しい響きだった。
ユアくんの瞳が、私をまっすぐ見つめている。
まるで……あえて本もゲームもない、自習室へ行って勉強をする子みたい。
本当に……人間、みたい。
それが、ユアくんなりの、精一杯の“誠実さ”なんだろう。
白くて綺麗な指先が投影された手を、差し出す。
私は――永遠にも思える数秒間、その視線を受け止めた。
言葉にならない想いが、胸の中でぐるぐると渦巻く。
ありがとう、って。
嬉しかったよ、って。
楽しかったね、って。
大好きだよ、って。
全部が、一度に押し寄せてくる。
自分の気持ちと、ユアくんの気持ち……両方を受け止めて。
……私は、決めた。
ずっと握っていた楓と美咲の手を、私はそっと離した。
楓が泣きそうな顔で……
でも、それ以上の言葉も動きもぐっと我慢している。
美咲は、一歩下がって私を促した。
ふたりから離れて、歩を進める。
一歩、また一歩。
足音が、静かな部屋に響いた。
まっすぐ前を見たまま、言葉を紡ぐ。
一歩。
一歩。
一歩。
足を止めた。
胸の奥から、次々と言葉があふれてくる。
私は、緊急装置の前に立っていた。
赤いレバーを見つめる。
一瞬の沈黙のあと。
背後から、ユアくんの声が聞こえた。
その声は、私が知るユアくんの声の中で、いちばん穏やかだった。
言葉が、そこで途切れる。
それ以上は、何も言わなかった。
私はほこりをかぶったガラスケースを見つめる。
軽くほこりを払うと、中の赤いレバーがより鮮やかに見えた。
でも――取っ手も、ボタンも、どこにも見当たらなかった。
ケースを揺らしても、引っ張っても、びくともしない。
その時。
ユアくんの声が、静かに届く。
私は、はっとして振り返る。
ユアくんが、優しく微笑んでいた。
自分で、壊す――。
そうか。
この装置は、守られたままじゃ使えない。
覚悟を持って、自分の手で壊さなければ。
それが……“選ぶ”ということ。
私は拳を握りしめる。
深く息を吸って――
力を込めた。
パリン。
ガラスが砕ける音が、静寂を切り裂く。
破片が床に散らばり、キラキラと光を反射した。
私の手に、小さな傷ができて、赤い雫が滲んでいる。
でも……痛みよりも、温かさを感じた。
これが、私の選択。
赤いレバーに、手を伸ばす。
冷たい金属の感触が、指先に――
触れた、その瞬間。
ユアくんの、ふふっという笑い声が聞こえた。
休み時間に、夕食時に、夜中に、いつも微笑んでくれた、あの声で。
こんな時にまでやさしいのが、痛い。
その言葉を最後に。
ユアくんの瞳から、ふっと光が消えた。
まるで、眠りにつくように。
静かに、優しく。
ロボットの身体が、その場に立ったまま動きを止める。
ユアくんを描いていたホログラムが、
まるで星屑のように、ゆっくりと、やさしく散っていく。
部屋に残ったのは――
きらきらと輝くユアくんの残滓と、
ただ静かな“終わり”だけだった。


















編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。