第15話

15)
353
2022/10/31 02:28

15)


 噴水広場やショッピングモールの中のファーストフード店でレイヤーを重ねる。
 ドッグランのある公園では、ゴールデンレトリバーを羽交い締めにした。
 海が見える景色の良い公園なんかも……。

 10年前の拓海と日生椿のいる世界へと向かっては、過去の思い出に新しいレイヤーを重ねていく。

 重ねるレイヤーは拓海と雛子の写真だ。それがたとえ透明なフィルムで、レイヤーの透過率が99%だったとしても、たった1%でも重ねられたのなら、日生椿との思い出の景色は、きっと異なる色を放つはずだ。




 陽も落ちてきたので、おじさんの最寄りのバス停でさよならをする。

 「だいぶ溜まってきたので撮影した画像、おじさんのスマホにも送りますね」

 とスマホを取り出して写真のファイルを開いた。

 「僕、ガラケー」

 と拓海がポツリとつぶやいた。

 「……ガラケーってパカパカする電話?」
 「そうパカパカするやつ」
 「もちろん、冗談ですよね?」
 「いやガチ。電話以外の機能要らない人なんで。むしろ電話も切りたいぐらいなんで」
 「ガラケーの人に画像の送り方わかんない。エアドロップできます? L I N Eは? ツイッターは?」
 「L I N Eする友達いない」
 「……なにか方法考えます」

 思わぬ壁にぶつかってしまい、雛子は空を仰いだ。だいぶ日が落ちるのが早くなっている。気づくと拓海の着物の羽織りも固い麻の素材からウールへと変わっていた。
 雛子は「クシュ」っとくしゃみをついた。ジャケットを着てくるべきだった。コットンのカーデガンでは、夜の風の冷たさは防げない。ふわりと雛子の肩に拓海の羽織がかけられた。

 「え?」
 「風邪ひいちゃダメでしょ? 受験生だしね」
 「……ありがとうございます」
 「お礼は、ニコちゃんの手料理がいいな?」

 と拓海が冗談ぽくあははと笑う。

 「いつか、作りますよ」

 と雛子が告げた。日生椿が手料理を振る舞っている写真はない。けれど、それとは別に拓海に何かしてあげたい。なんて思った。






 鈴虫が凛々と月夜の中で鳴いている。鉄柵を乗り越えて、金網の扉をそっと引いた。鍵は雛子の前の代の先輩が壊した後も放置されたままだ。というのも、今やここは寂れた場所だ。

 到底、日生椿のフルートのレイヤーは重ねられそうにないので、他の思い出にレイヤーを重ねる方向へとシフトチェンジしたのだが、このクエストはレベルが高すぎだ。

 夜に学校のプールに忍び込むなんて……。しかもそれが普通の高校生のデートだとかいう拓海の言葉を信じるなら、10年前、この高校にはクレイジーな人たちが溢れかえっていたということになる。ブルーに塗られたコンクリートの階段には、枯れた木の葉がカーペットのように敷き詰められていた。ローファーが地面を蹴るたびクシャリ、クリャリと葉が潰れる音がする。

 「こんな事をするなんて、校則違反もいいとこです」

 不満気に雛子が呟く。

 「でも昼間におじさんが入っていいもの?」
 「さすがに加賀美先生も止めると思います……」

 と拓海の着物の袂を引っ張る。いくら着物を引っ張られようと、拓海は前に進むことをやめない。諦めて、雛子は拓海の後を追う。階段を数歩登ると、開けた場所へと出た。プールサイドのコンクリート床は普段目にする夏空色ではなく、月の光で闇から這い出てきた死神みたいに青白く染まっている。

 すぐそばに背の高い銀色のパイプが繋がるシャワーがあり、月の明かりを反射して金色に輝くU字形の蛇口が空を向いたまま、整列している。

 拓海は両腕を空高く伸ばして背伸びをする。拓海の影が長く伸びて、雛子の顔に闇を落とした。影をヒョイっと避けて、数字の描かれたスタート台の上に飛び乗る。タールを流し込んだように真っ黒なプールの水面に雛子の影が映っていた。キラキラと輝く水面には、幾つもの木の葉が浮かんでいる。

 「夜のプールサイドってさ、やっぱエモいね」

 と拓海が背後から声をかけてきた。

 「夜のプールに忍び込むなんて、悪い学生ですね」
 「これぐらいで、悪い学生とかいうニコちゃんは、とっても平和な時代に生まれたってことだよね」

 と雛子の皮肉に、皮肉を重ねられた。

 「リスクを負いたくないんです。いつどこで転ぶかわからないのに、わざわざ失敗する道を歩むなんてどうかしてますから」
 「じゃあ、僕が、君を悪の道に引き入れたんだ」

 と拓海が何やら嬉しそうに足元に溜まった落ち葉を蹴り上げた。パッと広がる落ち葉は、少し重たい音をさせて広がりまたコンクリートの地面の上へと舞い落ちていった。

 「……いえ、私が言い出したことですから、さ、写真を撮ってさっさと帰りましょ」

 とスマホを取り出す。スマホの中には拓海のタイムカプセルに入っていた写真をスマホで撮影したものが入っている。その中から夜のプールで日生椿と肩を寄せ合い映る少年の拓海の姿を見つけた。写真と同じ場所へと移動しようと、スタート台の上、ひょいひょいと飛んでいく。

 3番のスタート台に足先がついた瞬間、ぐにゃりと泥水の中に靴が埋まる感触がした。と同時に身体がタールの沼の中へと吸い込まれていく。

 「きゃ!」

 と、悲鳴をあげると同時に雛子の腰に拓海の腕が伸びた。強い力で引っ張られて、枯れ葉のカーペットの上に倒れ込む。雛子は「ううっ」と呻いた。雛子の下敷きになった拓海が「大丈夫か?」と水気を吸いこんだ枯れ葉の上で心配げに尋ねる。雛子は拓海の胸を両手で押して、上体を持ち上げる。

 「ご、ごめんなさい! 怪我は?」
 「大丈夫、問題ない」

 そう言って、拓海は唇をエクボができるほどに引き上げた。

 「よ、よかったー。プールに落ちるかと思ったー」
 「間に合ってよかった。よかった。で、そろそろ退いてくれる?」

 と拓海に言われて雛子は両手を置いた場所へ、視線を戻した。そこには着物の胸元がはだけ、胸をあらわにした拓海がいた。腰の上に跨ったままだったことに気づき、慌てて彼から降りる。

 「す、す、すみません!」

 ゆっくりと拓海が立ち上がる。襟元を正すようにスッと手を鎖骨へと持っていく仕草をぼんやりと見つめた。青白い月明かりの中、拓海の肌は真珠のようにキラキラと艶を浴びていて、ゴツゴツとした指先は優雅に踊るように着物の布の上を滑っていく。

 「……綺麗」

 つい、つぶやいてしまった言葉に拓海は気づいたかのように、着物の裾を指で摘んで口元を隠した。

 「何見てんの? やーらしいー」

 白い歯を剥き出しにして、ニヤニヤとし出した拓海に両手を振る。

 「ち、違います! 月が綺麗ってことです!」
 「……それは告白だよね?」
 「もう! ささっと写真撮りますよ!」

 冗談ばかりを口にする拓海を無視して、スタート台のコンクリートの上に腰掛け、スマホをスタンバイする。拓海が近寄るなり、シャッターを押した。途端にフラッシュがパパパと瞬き、瞳を焼く。

 「はや! 今のって、僕、映ってた?」
 「大丈夫です。バッチリ撮れてます」
 「ウッソ、顔全然キメ顔してないよ!」
 「そんなのどうでもいいです!」
 「やだもう一回、撮ってよ!」
 「わがままだなー。はい」

 再びフラッシュが瞬く。

 「うわ! 今、絶対目を閉じてたし! 絶対早い!」

 と拓海が自分の写りに抗議をする中、こちらへと近づいてくる光に気づいた。一直線に近づいてくる光に、拓海の肩をバシバシと叩く。

 「誰か来た!」
 と小声で拓海へ警告する。拓海が光へと視線を向ける。小さかった光が大きくなっていく。光が徐々に近づくと人のシルエットを浮かび上がらせた。紺色の上下の服。学校の警備員だ。

プリ小説オーディオドラマ