第18話

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2022/12/23 09:13

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 そこにいるのは、着物姿ではない拓海だった。
 服もいつもの着物ではなく、くすみグレイのジャケットに白いニット。すらっと伸びた脚に沿うスリムパンツ、そして黒く濡れたように光る革のスニーカー。まるで魔法をかけられたシンデレラのごとく洗練された大人の男が登場して、雛子は不意をつかれて驚いた猫のようにピョンと後ずさった。

 「げ、下駄じゃない……」
 「驚くとこ、そこなの?」

 と拓海が困ったように形のいい眉を下げる。眉毛……、思えば拓海の眉毛はおろか瞳も、ほとんど見ることがなかった。いつもうざったいほどに長い髪が邪魔していたせいで、大きな口元が彼の感情99%を表していた。

 「ま、眉毛があります」

 と雛子は拓海の顔を言及する。すると拓海は、たまらないといった調子でブハッと噴き出した。ゲラゲラと笑いだした拓海へと、周囲の人々の無遠慮な視線が降り注ぐ。

 「ちょ、ちょっと、リアクション大きすぎです」
 
 と雛子は慌てて拓海の笑いを止めようとジャケットの裾を摘んだ。いつものざらっとした固い触り心地の着物の生地ではなく、滑らかなジャケットの布の感触に戸惑った。

 「ああ、ごめん。今時のJ Kはそういう反応するんだなって」
 「J Kを一括りにするのやめてください」
 「はいはい」
 
 と笑いながら、黒縁の眼鏡をジャケットの胸ポケットから取り出して掛ける。眼鏡をかけると、拓海のキラキラした瞳のオーラが少しばかり薄まった。

 髭がないからか、つるんとした頬に尖った顎先、高い鼻筋もより際立っている。綺麗な顔立ちにスラリと伸びた手足、優雅に雛子へと手を差し出す拓海は、先日拓海の家で観た映画のイケメン社長のようだ。

 「えっと、手を取ればいいんですか?」

 と差し出された手を見つめて雛子は戸惑う。

 「言ったでしょ? 今日1日君をお姫様にしてあげるって。だから僕は王子様ね?」
 「っぷ。自分で言いますか?」

 雛子は自信満々に告げた拓海を笑い飛ばす。
 ちょっと恥ずかしいけれど彼の手を握り、園内のゲートをくぐった。





 「えーと。まずこの背景から推測するに、海賊船があるとこです」

 とスマホで日生椿が映る場所を確認しながら拓海へと伝える。
 この広い園内で写真の場所を探すとなると、もうそれだけでアトラクションだ。

 「ここでもレイヤーかけるの?」

 と拓海は広い園内をゆったりとした足取りで歩きながら雛子へと尋ねた。

 「じゃあ、なんのために来たんです?」
 「もち、ニコちゃんをお姫様にしようと思って」

 と、拓海が恥ずかしげもない台詞を口にする。

 「レイヤーとか気にせずに遊ぼうよ。今日はニコちゃんをお姫様にするんだー」

 駄々をこねるように拓海が言う。
 一日そんな甘いセリフを言われ続けたら、耳が虫歯になりそうだ。
 両耳を塞いで頭を全力で振った。

 「そそ! そういうの、い、要らないんで! というかここの遊園地に何回来たんですか? 写真が、めちゃくちゃ多いんですけど」
 「昔の年パスはすごーく安かったんだよ。まあ金のない高校生には高い代物だったけどさ……」
 
 と拓海がしみじみと語り始めた。拓海の発言に雛子のテンションが氷点下まで下がった。

 「今、全世界の非リア高校生を敵に回しましたね」
 「えーなんで?」
 「元リア充のおじさんにはわからないと思います。殺意が湧いてきたので、さっさと行きます」
 「えー。なんか悪いこと言った? 僕が悪いのー?」

 雛子の言葉を理解できずに、文句を告げる拓海の腕をひっ掴んだ。マップを広げて海賊船の場所を探す。すると拓海が「こっち」と腕を引いた。拓海に従いついていく。

 その後も写真に映るヒントを口にするたび、拓海は正解の場所へと迷うことなく向かう。その無駄のない動きに、雛子はリア充の歴史の厚みに押し潰されそうになっていった。





 ソフトクリームで顎先まで汚しながら「さっきから何見上げてるの?」と拓海が隣でぼやいた。
 「……最難関です」
 「最難関? 何が?」と雛子と同じように空を仰ぐ。そこには30階建てのビルの高さはあるだろう巨大な建造物があった。一定のリズムを刻んで回転し続けるオブジェ。メルヘン感満載な音楽が金属と電子音が奏でるゴリゴリの重低音をかき消している。

 「なんで、こんなものに人は乗りたがるんでしょうか」

 そう呟く雛子の腕を拓海が引っ張った。

 「乗っちゃえば案外平気―ってなるから! さー行こー」
 「ぜ、絶対無理です! 高いの、嫌ぁー!」

 と雛子は絶叫する。だが気がついた時には観覧車という檻の中に閉じ込められていた。

 何かにつけてがたんと揺れるゴンドラに怯えて、雛子は箱の壁に取り付けられたステンレスの手すりをぎゅっと掴んだまま目を閉じる。椅子の上で身を縮こまらせていると、対面の座席に座っている拓海が声を押し殺して笑っていた。

 「わ、笑わないでください!」
 「いやー。ニコちゃんの恐怖で怯える顔。さいっこーだわー」
 「見ないでください! 空とか蟻みたいな人間とか見るものいっぱいあるでしょうが!」
 「で、ここではレイヤー重ねないんだ?」

 と余裕綽々な拓海に尋ねられ、何をしにきたのかを思い出させられた。先ほどまで、「レイヤーなんかいいからニコちゃんをお姫様にしたい」なんて言っていた口から、悪魔のような台詞が飛び出した。

 「し、しますよ。もちろん撮ります」

 恐々ショルダーバックの中からスマホを取り出した。と同時に、拓海が立ち上がり、雛子の隣へと移動した。どすんっと拓海が雛子の隣に腰掛けた途端に、雛子たちを乗せたゴンドラが大きく揺れた。

 「ぎゃああー!!」

 と雛子は必死に暴れて隣にいる拓海の腰に両腕を巻き付けた。目を開けると、視界が白い。拓海のシャツに顔を埋めていることに気づいて、慌てて上半身を持ち上げる。するりっと、雛子の指先からスマホが離れてゆく。「あ!」と思ったのも束の間、スマホが空を切る。と、パッとスマホを拓海が掴んだ。

「セーフ……」

と、拓海にスマホを差し出された。

「いきなり動いたら危ないじゃないですか!」

とスマホを受け取りながら、拓海を怒った。

「レイヤー重ねるんだと思って。彼女とはいつも隣に座ってたから移動したんだよねえ」

 と拓海は照れたように顎先を指先で掻いた。確かに写真での2人はいつも隣同士だった。自分が移動するよりは、移動してもらった方がまだマシだが、ゴンドラのシートは狭い。そのせいで拓海とかなり距離が近かった。雛子はドキドキする気持ちを抑え込んで、スマホをカメラモードに切り替えた。緊張からか、手が震えてぶれてしまう。

 「すみません、ちょっと、手が」
 と断ると、

 「ひゃ!」

 拓海に肩を掴まれて引き寄せられた。

 「ここは僕が撮った方がうまく行きそう」

 拓海が雛子のスマホを奪いとり角度を調整し出した。

 「撮るよ」という拓海の吐息が、雛子の頬にぶつかる。

 雛子は、早く終われ、終われー。と呟きながら、
 でもこのまま拓海のそばにいたいと祈りながら、
 シャッターがおりるまでの短い時間を過ごした。





 「うまくレイヤー重ねられた?」

 拓海に尋ねられてスマホの中を覗き込んだ。少し動くだけでも簡単に揺れてしまうせいか、拓海が雛子の身体が固定するように腰に腕を回して揺れを抑え込んでくれている。先ほどまで拓海が食べていたソフトクリームのバニラの香りが鼻先をくすぐる。あまりにも近い距離感のせいで、脳がバグってしまい、”拓海”のフォルダーまで、なかなか辿り着けない。ようやく開いて、画像を確認してから、スマホをバックの中に押し込んだ。

 「だ、大丈夫でした」

 パチンとバックをしめる。つい視線を地面へと落としたら、足元のパネルが透明なことに気づいた。地上の景色が目に入ると、忘れていた恐怖が足先から這い上がってきた。つい拓海の腕をぎゅっと握ってしまう。

 「ご、ごめ、さっ」

 と、雛子は慌てて、拓海の腕から手を離した。が、拓海に両腕をつかまれ、顔を覗きこまれた。

 「な、なんですか?」
 「しー。黙って」

 拓海が真剣な表情で雛子の瞳を見つめた。とろんと濡れる拓海の黒い瞳の中に、狼狽えた表情を浮かべる雛子が映り込んでいる。ミラーハウスで見た、歪んだ鏡に映る姿のように、ぐにゃりと曲がった顔は、間抜けそのものだ。そんな情けない顔を拓海が見ているのだと思うと、恥ずかしい。

 パッと顔を背けようとすると、拓海が「こっち見て」と強い口調で言った。その言葉に弾かれるようにして、俯きかけた視線を再び拓海へと戻す。雛子の腕を掴んでいた拓海の指先が離れるなり、雛子の頬に触れた。



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