第16話

16)
353
2022/11/14 01:17

16)


 拓海が立ち上がるなり下駄を脱いで枯れ葉の上に足袋を履いたつま先を下ろした。袂の中に下駄を差し入れると、腕を組んで上半身を折り曲げると雛子へと近づける。

 「どうしようか? 逃げる? それとも謝る?」

 当然逃げるの一択だが、拓海はその場から動かない。選択肢を10歳も年下の少女へと投げてくるなんて、なんて酷い大人なんだ。と雛子は唖然と拓海を見上げた。

 刻一刻と迫る光に焦り、「逃げます!」と雛子が叫んだ。すると拓海が雛子の手を力強く掴んだ。金網の扉を勢いよく開け放ち、校庭を駆ける。2人を追う光が方向転換をして、夜の闇の中で「C」を描いた。
いつのまにか奪い取ったスマホに向かい笑顔を振り撒きながら、拓海はありえないほどの速度で走る。雛子は足がちぎれそうなほど痛んだが、それでも拓海は雛子の手を離さず、走るのをやめない。






 「うまくまけたかな?」

 と、拓海が背後へ振り返る。ここは学校からだいぶ離れた住宅街の中だ。
静かな住宅地には家族の談笑する声や食卓の食器の音が通りに溢れでているだけで、追う光も誰かを呼ぶ叫び声も聞こえない。

 「……多分」

 肩で息をしながら、返事をする。

 「あー。楽しかったね」

 と、ガードレールに寄りかかり、拓海は空を仰いだ。

 「楽しかったって……、こっちは進路がかかってるんですよ。もっと真面目にやってください」
 「すみませんでした」

 と謝罪を口にした後、拓海が片足を持ち上げて、足袋のこはぜへと手を掛ける。銀色の竜の鱗のようなこはぜを外して踵を掴むと、灰色の足袋を脱いだ。下駄を袂から取り出して、アスファルトへと放った。ころんと転がって、こちらへ下駄がやってきた。

 拓海が立ちあがろうとするのを制して、「手伝います」と、下駄を拾った。裸になった足先へと下駄を入れる。鼻緒に手を添えて、拓海の親指をくぐらせる。地面に下駄先をスッと落としてから、もう片方の降ろされたままの足の踵を掴む。
 プールサイドの落ち葉の水を吸い込んだのか、ぐっしょりと濡れて重たくなった足袋を脱がした。もう片方の下駄を履かせていると、頭上から、ふっと笑う拓海の呼吸が耳に届いた。
顔を持ち上げると、拓海が目を細めて微笑んでいる。

 「な、なんですか?」
 「ううん。なんか逆だなって思ってね」
 「逆? って何がですか?」
 と話をしながら、下駄を引き寄せた。

 「ガラスの靴を履かせるのは王子様の役割なのに、今僕がシンデレラみたいじゃない?」

 と指摘され、下駄を掴んでいた手をパッと離した。ころんと下駄がひっくり返って、あお向けになった。

 「き、着物だから、下駄を履くの大変かと思って手伝っただけです。あ、あとは自分でしてください!」
 「え、自分でするの?」

 と、悲しげな声を出した。

 「知りません。ご勝手に!」

 拓海に背を向けていると、カランと下駄の音がした。もう履けたのかと思い、振り返る。と拓海が雛子の肩を掴み、ニコッと満面の笑みを浮かべた。「ありがとね。王子様」と、拓海が雛子へ囁いた。






 「黒川さん、先週の宿題、出し忘れてますよ」

 と進路指導室に入室するなり加賀美に指摘された。

 「すみません! 放課後までに出します」
 「最近どうしました? 授業中もあくびしてましたし、寝不足ですか?」

 ここ数日、拓海と思い出のレイヤーを重ねる日々を続けていた。そのせいで宿題をしたりする学業の時間が足りないでいる。あくびを噛み締めながら心配げに雛子を見つめる加賀美先生と視線を交わした。

 「最近少し忙しかっただけですので、すぐに改善しますから」
 「……宿題は夕方まで待ちましょう。まだ合格したわけではないんですから、気を引き締めてください」
 「はい。すみません」
 と頭を下げた。先日提出した小論文の添削を先生にしてもらっている間に、気づかれないようにこっそりあくびをする。
 「あ、先生、そういえば日生椿さんのタイムカプセルは、お亡くなりになった後、ご両親が取りに来られたんですか?」
 「それは……彼女のタイムカプセルは埋められてないんです」
 「でも学園祭の時はまだ」
 「まだ彼女は生きていた。けれど、なぜか彼女のタイムカプセルだけはリストになかったんです」
 「そうだったんですか……。もし彼女のタイムカプセルがあったら、きっとあの末吉さん宛の手紙でも入ってるんじゃないかなって思ったので」
 「そうですね。もし埋めていたなら、日生はどんな言葉を残していたのか、気になりますね」

 もし、私が拓海と同じ、28歳になって、10年前の高校生の私と出会ったなら……
 “大切な人が死ぬことを知らない私“ へ、何を伝えるだろう。

 「今の私は、あなたの大好きだった恋人が消えた世界で生きています」
 
 と、未来に夢や希望を抱く私に、そんな残酷な未来が待っていると告げられるだろうか。






 丘の上の公園のベンチでくつろいだ。
 いつしかレイヤーを重ねた後は、ここで一服するのが定番となっていた。

 「ミルクティーとレモンティーどっちがいい?」と、拓海が缶を二つ差し出した。

 「どっちも紅茶なんですね」
 「J Kはコーヒー飲める子なの?」
 「高校生ってそんなに子供じゃ無いですよ」
 「へえ。あ、僕レモンティね」
 「人に聞いておいて、自分が先に選ぶんですか?」
 「J Kはミルクティー飲む生き物でしょ?」
 「……どっちかと言うと、ですね」

 と大人しくミルクティーの缶を受け取る。

 「今日は飲まないんですか? お酒」
 「ああ……酒とは別れたんだ」
 「賢明だと思います」
 「おかげで甘いもの食べたくって、食べたくって、辛い」

 ほんのりと温かな缶を開けるとアールグレイの茶葉の香りがふいと鼻先をくすぐった。

 「昔さ、校長先生の銅像にビールをかけると合格するとかいう伝説あったんだけどさ、今もあるの?」
 「私が知ってるのは、銅像を磨くと合格するってやつですね」
 「ええ? 変わってんじゃん。じゃあ、他は?」
 「赤いベンチの下に宝があるとか?」
 「知らないなあ。もし宝が埋まってるなら、もう誰かが掘り起こしてるんじゃない?」
 「確かに」
 「てゆうか赤いベンチなんかあったっけ?」
 「うーん。学校の中にはありませんね」

 夕陽が降り注ぐ景色を眺める。頭を悩ました。赤いベンチというのはなにかの暗喩なのだろうか? 本当は別の意味が隠されているとか……

 ミルクティーの缶を両手で抱きしめていると、ふと目の前を白い影がよぎった。
 はっと顔を向けると、銀色の蝶が白い粉を周囲に振り撒きながら空を泳いでいる。

「こんな季節に蝶?」

 夕陽を浴びて赤く染まる雛子の足先を過り、ベンチの影が真っ直ぐに伸びている先へと向かって泳いでいった。夕陽に染まったベンチの影の上で蝶は羽を休めた。ざっと風が流れ、木立ちが大きく揺れる。雛子は突風に逆らえずにぎゅっと瞼を閉じた。

 「……え?」

 雛子が目を開けたときにはもう蝶はいなかった。雛子は立ち上がり、ベンチの影を追った。そこには大きな桜の木がある。夕陽を浴びて燃えるように赤く染まる樹木には、ベンチの影が今も映っていた。雛子は足元へと視線を向けた。

 「おじさん。イヌノフグリのネタって、日生椿にも言いました?」

 と視線を落としたまま、拓海へと尋ねた。

 イヌノフグリは春に花をつける越年草だ。群生する小さく儚い花は太陽の光と共に花を開き、日が落ちるときには萎んでしまう。もし鳥が種子を運んだとしても、絶滅危惧種の花がこんな場所で生息する可能性は低い。野草という日常の普通に紛れ込む、”特別な花”だ。
 ここには明らかに繁殖を示す枯れた花の茎が木の根元に絡みついている。スマホで見た花の情報と同じ景色が、目の前にある。

 「……そうだけど。椿も雛菊と同じ2月の花だから」

 不思議そうに答える拓海を追い越して、砂場の中へと足を踏み入れた。
 ローファーの中に砂が入るのもお構いなしに、放置されたプラスティックのスコップを砂の中から引き抜いた。砂場で遊んだ子供たちが放置していったものだろう。子供騙しなスコップだけれど、湿気のある土なら掘れるはずだ。蔦のように這う雑草をかき分けて、スコップを突き立てた。野草が根を張っていたため土は脆く柔らかい。


 「ニコちゃん? なにしてんの?」
 
 と拓海は雛子の様子に戸惑ったように声をかける。

 「日生椿のタイムカプセルは、タイムカプセルを埋めたリストにありませんでした」
 「そっか、埋めてなかったんだね……」
 「おじさんも知らなかったんですね」
 「亡くなったあと、親御さんが持っていったものだとばかり……」
 
 と拓海が応える。
 
 「日生椿はタイムカプセルを“みんなと同じ場所に埋めなかった”んです。おかしくないですか? タイムカプセル実行委員をしておいて自分のタイムカプセルだけ埋めなかったなんて。でもわかった気がします。彼女が“タイムカプセルを学校に埋めなかった理由”」
 
 「……どういうこと?」
 「学校のタイムカプセルは10年後の自分に向けてメッセージを残すものです。だからタイムカプセルの受け取り人は、中身を入れた自分自身になります。そういうルールだったから。
 
 でも日生椿は違った。
 タイムカプセルは、10年後の自分ではなく、別の誰かのために贈りたいものだった。だから、学校のみんなと一緒の場所には埋めなかったんです。
 日生椿は、贈りたい誰かのために、なんらかの方法でメッセージが伝わるように残したんでしょう。それが学校の伝説になったのは偶然なのか必然なのかわかりません。けれども隠されたメッセージに気付くのは、たった1人だけだと信じて……」

プリ小説オーディオドラマ