第13話

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2022/09/19 14:49

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 大学受験の前日、椿に呼び出された。

 「渡したいものがあるから、18時に駅前ね」

 試験勉強をそこそこに切り上げて家を出た。家から一番近いバスから駅まで10分で着ける。余裕を持って家を出たけれど、昨日の積雪の影響でバスは遅延していて、結局、約束の駅のロータリーへと着いたのは約束時間の30分後だった。

 椿はいつもの場所で待っていた。手元へと視線を落としていた椿は、僕を見ると途端に笑顔に変わる。

 「君はいつも遅刻するね」

 と椿の口元が、ゆっくりと言葉を紡いだ。
 彼女へと駆け寄ろうとした時、車のブレーキ音とガードレールの鉄がぐにゃりと歪む音が耳に届いた。
 一瞬のうちに椿の姿は白いトラックの向こう側に消え、僕の目の前には煙を上げるトラックのオレンジ色のテールランプが、ピカピカと点滅していた。今もなお回り続ける車輪、アスファルトの上に落ちた椿の片割れのスニーカーの異様なほどの白さが、目に焼き付いた。

 そこに椿がいる。
 僕の目の前に、大好きな彼女がいる。
 けれど、僕は彼女のそばに駆け寄ることもできずに、その場に立ち尽くしたまま、まるで舞台を見つめる観客(オーディエンス)のように、彼女の音楽が止まる瞬間を見守っていた。





 僕は、ずっと観客でいる自分が嫌で、過去の自分を消し去りたくて、舞台に立った。彼女と同じ場所に立てば、彼女が見ていた世界を知ることができる。弱かった自分が何か変わるかもしれない、と思った。

 あれから10年。俳優としてステージに立ち続けてみたけれど、結局、僕は変われなかった。ずっと過去に囚われたままで、たかがタイムカプセル一つ開けられないで、何がステージの上が僕の場所なのだ? ただ現実を見たくなくて、空想の世界に逃げているだけのくせに。






 瞼を持ち上げると、レースのカーテンの隙間から、羊雲が見えた。
 雲は厚く影がかかっている。どこか湿った風が頬を撫でて、「あっ」と声を漏らした。老人のような掠れた声は僕の声帯を通して出た音だった。

 パタパタと足音が近づいてくる。
 僕の顔を覗き込んだのは、白いナース服を着た女性の看護師だった。

 「末吉さん、目が覚めました?」
 「……はい」

 瞬きをして、質問に答える。額がズキッと痛んだ。
 意識を失う時にぶつけたんだろう。

 「先ほどまで、お見舞いに来ていた女性がいたのですが」

 と看護師が告げた。

 「誰ですか?」
 「制服を着た女の子です。高校生ぐらいの」
 「……」
 「これ、その子から預かってましたので、お渡ししますね」

 と白い封筒を僕へと差し出した。






【雛子side】



 陽が落ちかけた人気のない公園に、カランカランと下駄の音が近づいてくる。雛子はワイヤレスイヤフォンの片方を外して、音のする方へと顎先を向けた。ゆらゆらと波打つ曲線が描かれた紺色の小紋姿の拓海がこちらへと向かっている。

 「やっと来た」
 「一応、僕、怪我人だからね」

 と拓海はおでこの大きな絆創膏を指差した。

 「呼び出すなんて、もしや僕に告白ですか?」

 と、いつものようにおちゃらけながら下駄を鳴らして雛子へと近づいてくる。そんな拓海の前に雛子は仁王立ちで立ち塞いだ。

 「物申したいことがあります。写真一枚で、死にかけるおじさんを見て考えを改めました」
 「ん、うん?」
 「タイムカプセルを今の状態のおじさんに渡すことは、ミサイルボタンを赤子に渡すのと同じぐらい危険だと、気づきました」
 「え、ぼく、赤ちゃん?」
 「先日、独居老人の孤独死ってニュースを見たんです。それで1人孤独に過ごしているおじさんのことを思い出して……」
 「赤ちゃんの次は、おじいちゃん……」
 「勝手に死なれてても後味悪すぎるので、タイムカプセルは私が安全だと判断した時に返却することにしました」
 「ねえねえ、タイムカプセル開けたら死ぬこと前提とされてる気がするんだけど。僕のメンタル、そんなしょぼくないよ?」
 「写真一枚見たぐらいで息できなくなってる大人がよく言いますね」
 「ううっ。それはだねえ!……」

 拓海が何も言えなくなり、身体を縮こませる。

 「だから今はタイムカプセルは返しません。捨てることも許しません」
 「僕のなのに……」
 「ですから、タイムカプセルの危険度を無効化するために、アプデしようと思います」
 「アプデ?」と拓海が首を傾げた。

 「ジャジャーン!」と雛子は銀色のフルートを拓海へと見せつけるように胸の前に出した。そんな雛子を見て拓海がうずくまった膝の間から顔を覗かせた。

 「フルート……、ニコちゃん、吹けるの?」
 「まあ……」

 ふふんと鼻を鳴らし、雛子はフルートへと唇を押しつけた。吸った酸素を思い切り肺へと送り込んで、一気に吐き出す。すると黒板を爪で引っ掻いた時のような悲鳴が、銀色の横笛から押し出された。

 「ぬあー! がち騒音!」
 と、拓海がたまらずに両耳を塞ぐ。そんな正直すぎる拓海の反応に、雛子は頬を膨らませる。

 「おかしいな、Youtubeではこうしたら、できてたのに」
 「ネット民さんよ。見ただけでできたら、誰でもプロになれるでしょが」
 「もう一回。えっと姿勢はこうで、顔とフルートが並行になるようにして……」

 マニュアル通りに指の位置を確認し、唇を押し潰し過ぎない程度につけてもう一度。
 「ノワー」と、拓海が断末魔をあげるので、一小節を吹き終える前に諦めた。

 雛子は涙目の拓海を恨めしげな目で睨んだ。すると拓海はようやく両耳を隠していた手を下ろす。

 「努力は認めよう。ただ、その曲は初心者が選ぶ曲じゃないのだよ」
 「でもこれがタイムカプセルの中に入ってたので」
 「……うーむ。そういうこと」

 納得したように拓海が頷く。
 
 「今度は、倒れないですね」

 とぼそっとこぼすと、拓海が血相を変える。

 「僕を殺そうとしてたの⁈」
 「じゃないですけど、この前倒れたので」
 「ああ、それはね、息の仕方、忘れちゃっただけだから」

 当然のように拓海が言ってのけた。

 「……忘れませんよね? 普通」
 「僕、“フツー”じゃないから」

 拓海の傷。それは目に見える傷じゃない。“普通”じゃない経験をした彼の心臓は、一度バラバラに壊れてしまったから、今はツギハギだらけの心臓を無理やり動かしている。だからふとした瞬間に、自然に出来るはずの生きる方法を忘れて、生きることが特別になってしまうんだろう。

 「一体、かがみんは教え子に何をやらせてるのかなー」
 「先生は関係ないです。個人的に思いついたことなんで」
 「ふーん。それでアプデですか?」

 未だに疑う素振りを拓海はみせる。銀色の横笛をぎゅっと掴んで、言葉を絞り出した。

 「前に友達が呟いてたんで。過去の失恋を断ち切るには、過去の思い出がある場所を、別の人と一緒に行って、思い出のレイヤーを重ねてアプデをするといいって」
 「失恋じゃないけど」
 「でもでも! 有効だと思うんで。何度も何度も思い出を重ねることで、過去の記憶はどんどん下に追いやられていって、古い思い出は薄れていくって……。人間だって、アップデートは必要です。アプデできるって、生きている人間の特権ですよね?」
 「人の呟きを鵜呑みにするのは、ちょっと……なあ……」

 と、拓海はあまり乗り気じゃない様子を見せる。

 「行動あるのみですよ! 思い出の上書きして、レイヤー重ねまくって、人生のアップデートしましょう! そしたらいつかタイムカプセルを開けられる日が来ますから!」
 「もしかして……、僕のこと慰めようとしてるの?」

 と拓海が雛子の顔を覗き込んだ。拓海の瞳は全てを暴き出しそうなほどに澄んでいる。
 風が通り過ぎ、木の葉がざあっと音を立てた。

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