水瀬くんの視線はまだ定まらない。
何をそんなに動揺しているのか分からないけれど、一時的な関係に、呼び方の変更が本当に必要なのだろうか。
これ以上、距離が縮まることには、さすがに抵抗があった。
水瀬くんの力説に押され、私は渋々ながら頷いてしまった。
彼は言質をとって安心したのか、ほっと息を吐く。
響希くんの時はどうやって呼び方を変えたのか、全く覚えていない。
今回は強烈に記憶に残りそうなくらい、恥ずかしかった。
何度目かの練習の後、水瀬くんは更に要求を増やしてくる。
思っていたより、意外としっくりきた。
遠慮がとれた分、呼びやすくなったのかもしれない。
水瀬くん、もとい悠は、呼び捨てを確認するなり満面に笑みを浮かべた。
しかし――呼び方を変えたことで、歯車がひとつ、狂ってしまったのかもしれない。
悠はそっと私の手を取って、握りしめた。
驚いた私は、悠の手を思い切り振りほどいてしまった。
さっきまで笑っていた悠は、一瞬にして、傷ついた表情を見せる。
そんな表情をさせてしまったことに、胸の奥が痛むけれど、ここが明確な線引きなのかもしれない。
私の正直な気持ちを、悠も察して謝ってくれた。
けれど、私たちの間にあった不思議と和やかな雰囲気は、壊れてしまった。
しばらくの沈黙の後、悠が口を開く。
唐突な質問に、私は頷いた。
下手に不正解を出せない都合上、まだ挑戦できていない。
調子を取り戻そうとしているのか、悠が肩をすくめて言う。
その声も表情も、なんだか私の胸を締めつけた。
意を決して、もっとも自信のある考えをまとめる。
彼の言動を総合すれば、これが一番可能性が高い。
私の一回目の挑戦は、果たして正解なのか。
【第13話へつづく】
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!