水瀬くんの、モデルをする時の名前は、『花瀬カミル』。
『みなせはるか』という本名を、アナグラムで並べ替えただけだ。
これで気付かれないなんてことがあるのかと疑ったけれど、確かに、雑誌に載っている彼の姿はもはや別人のようで。
他のモデルさんを見学させてもらっていると、衣装へ着替え、ヘアメイクを終えた水瀬くんがやってくる。
髪を上げ、額を見せ、綺麗に施されたメイク。
そして、カメラマンの指示で次々と変わるポーズと表情。
学校で風紀委員長をやっている彼からは、想像もつかない色気。
私は息を呑んで、撮影現場を食い入るように見ていた。
スタジオのスタッフが、珍しそうに話しかけてくる。
響希くんしかこのことを知らないと水瀬くんも言っていたので、その通りなのだろう。
スタッフたちの好奇心に、居たたまれなくなる。
いずれ別れるというのに、水瀬くんはなぜ、誰にも秘密にしているモデルの仕事を私に教えたのだろうか。
疑問はつきないけれど、ひとつだけ確かなことがあった。
私も、彼のように自信のある堂々とした人間になりたい。
そう思わせるくらい、水瀬くんの新たな一面は、私の心に電撃を食らわせた。
***
あっという間に、水瀬くんの今日の分の撮影は終了した。
それでも、数時間は経過していたことに、私自身が驚いた。
彼を待っている間に行われた他のモデルの撮影も、時間を忘れて楽しんで見ていたからだろう。
メイクを落とし、撮影時よりは少しおとなしくなった髪型の水瀬くんが制服姿で戻ってきた。
その表情は、満たされているようだ。
「その分、自分の担当ページも減るけど」と、彼は笑った。
一緒に外へ出ると、もう日が落ちかけて薄暗くなっている。
がっかりが半分、あと半分は安堵だ。
例えば、カップルらしいことを強要されたところで、困っていただろうから。
もうこれで帰れると思っていたら、水瀬くんは急に角を曲がって、ファーストフード店へと入っていった。
焦る私に、水瀬くんはそう時間はかからないと言う。
小首を傾げてねだられると、その姿に先ほどまでの花瀬カミルが重なって、ドキリとした。
とてもじゃないが、今の私には断れる力が残っていない。
私は母に【少し遅くなる】と連絡だけして、水瀬くんのわがままに付き合うことにした。
テーブル席に向かい合って座る私の仏頂面を見て、水瀬くんは吹き出した。
人の顔で笑うなんて、とことん失礼な人だ。
からかわれているのだと悔しくなりながらも、私は結局カフェラテを奢ってもらうことにした。
水瀬くんは大きめのハンバーガーとフライドポテトを注文したようで、目の前からおいしそうな匂いがする。
気休め程度にお腹を押さえたところで、ぐううっと大きな音がした。
耳が熱くなるのを感じながらも、水瀬くんを睨みつけて抗議する。
すると彼は、ポテトを一本、私の目の前に差し出した。
【第8話につづく】
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。