第6話

はじめて
1,237
2023/09/09 11:00
倉木みてぇなふざけたやつが社長だし、
事務所的には無名だし。
メジャーデビューしているわけじゃないので、
今のところ動画配信がメインだ。
とはいえ、アイドルという仕事は
俺が想定していたよりもずっと忙しかった。
歌やダンスのレッスンはほぼ毎日あるし、
SNSの更新も定期的にやらなきゃいけない。
もっとも、俺はしょっちゅうサボってるけど。
そんなアイドルになってから久々のオフの日。
丸一日、なんの予定も入っていないのは珍しい。
履修りしゅうしている講義はあったが、
単位を落とさないギリギリのラインはキープしているので、
わざわざ大学に行く必要はない。

せっかくの休みなら一日休みてぇ。
のんびりベッドでスマホをいじっていた俺は、
ふと先日の生配信ライブを思い出す。
あの日、俺は確かにアイドルなんて辞めようと思った。
なのに俺はまだここにいる。
事務所所有のマンションで、
芦原とルームシェアしているこの部屋に。
海星
海星
(……何してんだか……)
芦原は思っていたよりもずっと
トップアイドルになるということに執着しゅうちゃくしていた。
トップに立つためなら、そのためになるのであれば
自分が作った演出でさえも壊していいらしい。

あいつは一度も「出来ない」とは言わなかった。
ただ、出来ないことを悔しがった。
あんなやつ初めてだ。
ため息を隠さず吐き出そうとしたその時、
玄関から大きな音が聞こえてきた。
乱雑らんざつにドアが開く音と、勢いよく閉められる音。
芦原が帰って来たのか。
……あいつ、こんなうるさく音立てるやつだったっけ。
ドアは意外と繊細せんさいなんだ。
勢いよく閉めるとネジが緩んで
ちゃんと閉まらなくなる可能性だってある。
いつもレッスンであいつの方が口うるせぇし、
一言文句言ってやるか。

そう考えて自室を出て玄関に向かうと、
やはり芦原が帰ってきていた。

だけどその様子がおかしい。
ドアチェーンをかけようとしているらしいが、
ガチャガチャと音が鳴るばかりでうまくいっていない。
見かねた俺は、思わず手伝おうとして
ドアチェーンに手を伸ばす。
すると、俺の手が触れた途端とたんに、
芦原は大げさなほどに体を跳ねさせた。

明らかに様子がおかしい。
顔面蒼白そうはくで怯えたようにこちらを見る芦原は、
尋常じんじょうではなかった。
海星
海星
どうした?
朔
…………そと、
海星
海星
外?
朔
そと、誰もいない?
聞いたこともない、か細く震える声。
……なんだこいつ、何があったんだ。
仕方なく今さっきかけたチェーンを外して、
ドアを開けようとしたその瞬間。
朔
あけるな!
海星
海星
ぅおっ
悲鳴のような声と共に、勢いよく腕が引かれる。
振り返れば、顔面蒼白そうはくのまま息を荒げる芦原がいた。
手加減なしに俺の腕をぎゅうぎゅうと掴んでくる。
その細っこい体のどこにそんな力があるのか。
海星
海星
……わかったって。
腕いてぇから離せよ
まだ震えている芦原の手をそっと振りほどき、
ドアスコープで外を確認する。

共有廊下に人の姿はない。
念のためインターフォンについているカメラで
マンションの外も確認するが、
怪しい人影はなかった。

海星
海星
おら、誰もいねぇぞ
玄関から動けなくなってる芦原に声をかければ、
どこかほっとしたような顔をする。
海星
海星
ファンにでも追っかけられたか?
俺の言葉に、芦原の表情がまたけわしくなった。
やっぱそうか。

まぁ、こんだけSNSで顔出ししてりゃ
そういうこともあるよな。
海星
海星
追っかけられるくれぇ
有名になったってことだろ?
よかったじゃねぇか
こいつが目指しているのはトップアイドルだ。
追っかけファンが出来るくらい有名になったって、
喜びそうなのに。

芦原は立っているのがやっとなくらい怯えていた。
海星
海星
……はぁ
調子狂うな。
どうしていいか迷った末に、俺は玄関から
動かない芦原の腕を引っ張った。
海星
海星
いつまでそこに突っ立ってるつもりだよ
いつもならぎゃんぎゃんうるさいくらいに
反抗してくるくせに、
今は腕を引かれるままついてくる。
海星
海星
ハウスだハウス
芦原の部屋の前まで連れていく。
ドアノブに伸ばされた指先は、まだ震えていた。
ファンに追っかけられて、
そんなビビるくらい怖かったのかよ。
そんなんでトップアイドル目指すって、
本当に大丈夫なのか。
海星
海星
……笠本さんに連絡しとけよ
思わずそう提案してしまった。
いやこれはこいつが心配だからとかじゃねぇ。
様子からして家がバレてる可能性だってある。
もしそのファンが入ってきたら
俺にだって迷惑がかかるだろ。

俺の言葉を聞いた芦原は小さく頷いてスマホを取り出した。
ドアが閉まるまでその背中を眺めていた俺は、
そのまま自分の部屋に戻る気にもなれず、
キッチンへと向かう。
いつもファンを第一に考えている芦原のことだ。
街中で声をかけられたら、喜んで一緒に写真を撮ったり
サインをするくらいしてやるだろうと勝手に思っていた。
なのに。
尋常じんじょうじゃない怯え方。
立ってるのもやっとって、相当だぞ。
海星
海星
(……芦原でも、あんな顔すんだな)
感情直結型の表情筋をしているとは思っていたが、
そのほとんどは喜怒楽だ。
怯えたり、泣きそうな顔は今まで見たことがない。

しばらくキッチンで突っ立ってた俺は、
二人分のコーヒーを淹れて芦原の部屋の前に来ていた。

多分、もう電話は終わってるだろう。
海星
海星
おい、開けろ
足でドアをる。
仕方ないだろ。両手ふさがってんだから。

少し間を置いて開いたドアから覗いた芦原の顔は、
さっきよりは落ち着いていた。
海星
海星
コーヒー。
作りすぎたからお前も飲め
朔
……え
芦原は、俺の両手にあるカップと俺の顔を交互に見る。

おい、悩んでんじゃねぇ。
意外と熱ぃんだよ。
朔
……ありがと。
入れば?
そう言って、招き入れるようにドアを大きく開ける。
そういや一緒に暮らして数か月経つけど、
こいつの部屋に入るの初めてだ。
……そもそも、この部屋のドアを叩いたのすら、
初めてのことだった。

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