ふと気がつくと、
見知らぬ場所に立っていた。
ただただ真っ暗な闇に包まれたその場所は
とても奇妙な空間だった。
光もなく、
音もなく、
匂いもなく。
暑くもなく、
寒くもなく。
手を伸ばしてみても
何かにぶつかる感じはしないし、
自分以外の他の誰かが
近くにいそうな気配もない。
ここは一体どこなんだろう。
風が吹くこともなく
空気の流れを全く感じないことから考えると、
“どこかの建物の中” にいるような気がするけど、
頭上を見上げても天井が見えず、
周囲を見渡しても壁も扉も見当たらず、
まるで塗りつぶしたかのような一面の黒が
広がっているだけだから、
“野外” にいるという可能性も捨てきれない。
だけど外にいるんだったら、
お店や家の窓からこぼれる明かりや
あちこちにある街灯の明かりが見えるはずだし……
……あ。
もしかして
街から遠く離れた場所にいるのかも?
いや、違う。
人里離れた山奥とかだったら、
街中の明かりの代わりに
きらめく月や満天の星の光が見えるはず。
ここまで真っ暗闇ってことは、んーっと……
そんなことを考えていると、
ほんのり甘い香水っぽい匂いが
すうっと鼻に抜けた。
瞬間。
黒一色の闇の中に
ほわっと浮かび上がったのは。
着物姿の白い女の子。
雪のように白く透き通る肌の彼女が着ているのは、
肌に負けず劣らず白い着物。
腰に締めた真っ赤な帯が綺麗に映えている。
彼女はゆっくり口を開いて歓迎の言葉を述べ、
そして深々と頭を下げた。
身長120cmほどの小柄で幼い体格と、
鈴が鳴るように可愛らしい特有の声からすると、
彼女は小学校低学年ぐらいの “子供” に見える。
だけど妙に落ち着き払っているその雰囲気と、
優雅な佇まいや美しい立ち振る舞いがかもし出す
何とも言えない古めかしい品の良さから考えると、
年を重ね続けた “大人” のようにも思えてしまう。
そんな奇妙な違和感に負けず劣らず
底知れぬ怪しさをさらに演出しているのが、
彼女の顔を隠している「狐のお面」。
とはいえ顔をすっぽり覆っているわけではなく
斜めにずらしてかぶっているので、
かろうじて口元の表情だけは確認することができる。
明らかに普通ではない空間で堂々と佇む
明らかに只者ではない彼女の存在は、
常人の理解の範疇を大幅に越えてしまっていた。
どうやって返答したらいいのか分からず
ただただ戸惑い立ち尽くしていると。
そりゃそうだ。
こんな状況にいきなり放り出されたら
むしろすぐに飲み込めるほうがおかしいと思う。
楽しそうに笑う彼女の雰囲気からすると、
どうやらこちらに危害を加えるつもりはないらしい。
ということで思い切ってたずねてみる。
ここはどこか、そして彼女は何者なのかを。
首をかしげた彼女は、
すぐに何かを思い出したような表情になる。
説明のようで説明になっていない気もする
現実離れしまくりな回答。
だけどもなぜか、すとんと納得できた。
そもそもこの空間自体が
どう考えても変で奇妙なんだ。
これでもし “普通の答え” を返されてたら、
むしろモヤモヤが晴れず仕舞いだったかもしれない。
納得したら、
次は興味がわいてきた。
好奇心のままKOGITSUNEに
ここで何をしているのかと聞いてみる。
観察って?
KOGITSUNEは、無言で足元を指差した。
下に何かがあるのだろうか?
興味本位で彼女の指の先が示すほうを注視する。
他と同様その場所にも
塗りつぶしたような闇が存在するのみ。
変わったところは特になさそうだが……
――ぴちゃ……
唐突に、水滴が落ちる音。
その澄みきった音色が
耳の中いっぱいにこだましたと思った瞬間、
KOGITSUNEの足元を中心にして
ふわふわっと淡い光があふれだした。
その光は白く穏やかでありながら、
ほんのり帯びる赤みのせいか
どこか謎めいた怪しさのようなものも感じられる。
相変わらず辺りは暗いが、
光の広がりと共にほんのわずかだけ視界が広がる。
徐々に徐々に、周辺の地面が見えてきた。
ん?
KOGITSUNEの足元に広がる地面、
何かがおかしい気がする。
土でもなければ、
草でもなく。
板でもなければ、
石でもなく。
そもそも硬さが感じられない。
あのゆらゆら波打つ感じ、何だったかな……
……そうか、水だ。
KOGITSUNEは、
足元に広がる水溜まりの上に
沈むことなく立っている状態だったのである。
いや違う!
彼女だけじゃない!
実は見渡す限りの地面は全部水であり、
水面に立っているというのは自分も同じだった!!
ほんのついさっきまでは、
ただただ真っ黒な暗い闇のみが
広がっていただけだったはずなのに?!
あっけにとられつつも
言われるがまま、水面を見つめてみる。
……おやおや、
水の奥底、とてもとても深いところで
“生き物らしきもの” が動いているみたい。
だけどそれの正体が何なのかが
全くもって分からない。
ぐっと神経を集中し
さらに目を凝らしてみると……
…………
あっこれ、人間だ。
水面には、
多種多様な場所で日々を過ごす
数多くの人間達の姿が
ぽつぽつと散らばって映し出されている。
あるところには
どこかの家の中で食卓を囲む家族の光景が、
またあるところには
オフィスらしき場所で黙々と働く人々の光景が、
そして別のところには
何やら言い争っている男女の光景が、
といった具合に。
その様子はまるで、
TV画面をたくさん並べたかのよう。
しかもどういうわけか、
それぞれの光景の声や物音まで
しっかりと鮮明に聞こえてくるのだ。
おもむろに歩き出すKOGITSUNE。
自分も一応、後についていくことにしよう。
KOGITSUNEの歩みに合わせ
微かにざわめくような音を響かせる水面は、
ちらちらと揺れては止まり、
揺れては止まりを静かに繰り返していく。
通りすがりの水面に映し出される
1つ1つの光景へとくまなく視線を落としつつ、
彼女は言葉を紡ぎ続けた。
何かを発見したらしいKOGITSUNEが、
不意に歩みを止める。
彼女はそのまま視線を一切そらすことなく
水面に映し出された光景の1つを
しばらくじーっと見つめたかと思うと……
口元の笑みを強めて言った。
KOGITSUNEは、何を見つけたんだろう。
彼女がながめている水の中の光景を
一緒になってのぞきこんでみる。
そこに映っていたのは、
10代中盤か後半ぐらいの制服姿の少女2人が
にぎわうハンバーガーチェーン店の客席に座って
ポテトをつまみながらしゃべっている様子。
2人とも系統は違うものの
揃って顔面レベルがかなり高く、
それこそ雑誌の読者モデルかなんかだと言われても
違和感が全く働かないぐらい。
ロングヘアの派手な美少女のほうは
“サナ” という名前で、
そしてショートカットのクールっぽい美少女は
“ユリエ” という名前らしい。
学校の制服らしき
お揃いのセーラー服を着ているし、
たぶん同じ学校に通っているんだろうな。
*
不機嫌そうな顔でぶっきらぼうに言い放つサナ。
唐突な質問に軽く考え込んでいたユリエだったが、
どうやら思い当たるものがあったらしい。
真顔になるサナ。
どうやら彼女には思うところがあったらしく、
そのまま黙って何やら考え込みはじめる。
そんなサナの様子を見たユリエは
大きくため息をついてから、
すっかり冷めてシナシナになったポテトを
再び口へと運び出すのだった。
*
さっきまでよりもはるかに楽しそうな
KOGITSUNEの様子からすると、
どうやらこの光景こそが
彼女の求めていたものである模様。
顔を上げたKOGITSUNEは、
こちらを見てニヤッと笑った。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!