第13話

二百十日 13
17
2021/06/13 23:00
 雨と風のなかに、毛虫のような眉をあつめて、余念もなくながめていた、圭さんが、非常な落ちついた調子で、
圭さん
雄大だろう、君
と云った。
碌さん
全く雄大だ
と碌さんも真面目まじめで答えた。
碌さん
恐ろしいくらいだ
しばらく時をきって、碌さんが付け加えた言葉はこれである。
圭さん
僕の精神はあれだよ
と圭さんが云う。
碌さん
革命か
圭さん
うん。文明の革命さ
碌さん
文明の革命とは
圭さん
血を流さないのさ
碌さん
刀を使わなければ、何を使うのだい
 圭さんは、何にも云わずに、平手ひらてで、自分の坊主頭をぴしゃぴしゃと二へんたたいた。
碌さん
頭か
圭さん
うん。相手も頭でくるから、こっちも頭で行くんだ
碌さん
相手は誰だい
圭さん
金力や威力で、たよりのない同胞どうぼうを苦しめる奴らさ
碌さん
うん
圭さん
社会の悪徳を公然商売にしている奴らさ
碌さん
うん
圭さん
商売なら、衣食のためと云う言い訳も立つ
碌さん
うん
圭さん
社会の悪徳を公然道楽にしている奴らは、どうしてもたたきつけなければならん
碌さん
うん
圭さん
君もやれ
碌さん
うん、やる
 圭さんは、のっそりとくびすをめぐらした。碌さんは黙然もくねんとしていて行く。空にあるものは、煙りと、雨と、風と雲である。地にあるものは青いすすきと、女郎花おみなえしと、所々にわびしくまじ桔梗ききょうのみである。二人は煢々けいけいとして無人むにんきょうを行く。
 薄の高さは、腰を没するほどに延びて、左右から、幅、尺足らずの路をおおうている。身を横にしても、草に触れずに進むわけには行かぬ。触れれば雨にれた灰がつく。圭さんも碌さんも、白地の浴衣ゆかたに、白の股引ももひきに、足袋たび脚絆きゃはんだけをこんにして、濡れた薄をがさつかせて行く。腰から下はどぶねずみのように染まった。腰から上といえども、降る雨に誘われて着く、よなを、一面に浴びたから、ほとんど下水へ落ち込んだと同様の始末である。
 たださえ、うねり、くねっている路だから、草がなくっても、どこへどう続いているか見極みきわめのつくものではない。草をかぶればなおさらである。地に残る馬の足跡さえ、ようやく見つけたくらいだから、あとの始末は無論天に任せて、あるいていると云わねばならぬ。
 最初のうちこそ、立ち登る煙りを正面に見て進んだ路は、いつの間にやら、折れ曲って、次第に横からよなを受くるようになった。横に眺める噴火口が今度は自然じねんに後ろの方に見えだした時、圭さんはぴたりと足を留とめた。
圭さん
どうも路が違うようだね
碌さん
うん
と碌さんはうらめしい顔をして、同じく立ちどまった。
圭さん
何だか、なさけない顔をしているね。苦しいかい
碌さん
実際情けないんだ
圭さん
どこか痛むかい
碌さん
豆が一面に出来て、たまらない
圭さん
困ったな。よっぽど痛いかい。僕の肩へつらまったら、どうだね。少しは歩行あるいかも知れない
碌さん
うん
と碌さんは気のない返事をしたまま動かない。
圭さん
宿へついたら、僕が面白い話をするよ
碌さん
全体いつ宿へつくんだい
圭さん
五時には湯元へ着く予定なんだが、どうも、あの煙りは妙だよ。右へ行っても、左りへ行っても、鼻の先にあるばかりで、遠くもならなければ、近くもならない
碌さん
のぼりたてから鼻の先にあるぜ
圭さん
そうさな。もう少しこの路を行って見ようじゃないか
碌さん
うん
圭さん
それとも、少し休むか
碌さん
うん
圭さん
どうも、急に元気がなくなったね
碌さん
全く饂飩うどん御蔭おかげだよ
圭さん
ハハハハ。その代り宿へ着くと僕が話しの御馳走ごちそうをするよ
碌さん
話しも聞きたくなくなった
圭さん
それじゃまたビールでない恵比寿えびすでも飲むさ
碌さん
ふふん。この様子じゃ、とても宿へ着けそうもないぜ
圭さん
なに、大丈夫だよ
碌さん
だって、もう暗くなって来たぜ

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