会話はしばらく途切れる。草の中に立って碌さんが覚束なく四方を見渡すと、向うの草山へぶつかった黒雲が、峰の半腹で、どっと崩れて海のように濁ったものが頭を去る五六尺の所まで押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばはたださえ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゅうと絶間なく吹き卸ろす風は、吹くたびに、黒い夜を遠い国から持ってくる。刻々と逼る暮色のなかに、嵐は卍に吹きすさむ。噴火孔から吹き出す幾万斛の煙りは卍のなかに万遍なく捲き込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲り渡る。
会話はまた切れる。二百十日の風と雨と煙りは満目の草を埋め尽くして、一丁先は靡く姿さえ、判然と見えぬようになった。
谷の中の人は二百十日の風に吹き浚われたものか、うんとも、すんとも返事がない。阿蘇の御山は割れるばかりにごううと鳴る。
碌さんは青くなって、また草の上へ棒のように腹這になった。
薄暗い谷底を半町ばかり登った所に、ぼんやりと白い者が動いている。手招きをしているらしい。
碌さんは腹の痛いのも、足の豆も忘れて、脱兎の勢で飛び出した。
豆で一面に腫れ上がった両足を、うんと薄の根に踏ん張った碌さんは、素肌を二百十日の雨に曝したまま、海老のように腰を曲げて、一生懸命に、傘の柄にかじりついている。麦藁帽子を手拭で縛りつけた頭の下から、真赤にいきんだ顔が、八分通り阿蘇卸ろしに吹きつけられて、喰い締めた反っ歯の上にはよなが容赦なく降ってくる。
毛繻子張り八間の蝙蝠の柄には、幸い太い瘤だらけの頑丈な自然木が、付けてあるから、折れる気遣はまずあるまい。その自然木の彎曲した一端に、鳴海絞りの兵児帯が、薩摩の強弓に新しく張った弦のごとくぴんと薄を押し分けて、先は谷の中にかくれている。その隠れているあたりから、しばらくすると大きな毬栗頭がぬっと現われた。
やっと云う掛声と共に両手が崖の縁にかかるが早いか、大入道の腰から上は、斜めに尻に挿した蝙蝠傘と共に谷から上へ出た。同時に碌さんは、どさんと仰向きになって、薄の底に倒れた。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。