第5話

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2022/08/24 11:00
 週明け。
 土曜日に結婚した早瀬は新婚旅行でいない。今日から1週間の休みをとっている。
 一人抜けたチームは忙しく、あたしはおとついのことなんて忘れた、ってくらいの勢いで仕事をした。しゃかりきにした。
 だって一息つくと土曜の夜の出来事が蘇ってきて、時も場所も関係なく「ああああ」って頭をかきむしりたくなるんだもの。
同僚
ど、どうしたんですが、牧原チーフ
 早瀬の代わりにサポートに入っている子に心配される始末。
 ああ、はやくいつものクールな牧原美紗に戻らなきゃ。



 退社時間近くなって、外線であたしに電話がはいった。カミジョウ、という名前にドキリとする。
牧原美紗
はい――
上条澄
『上条ですが』
 受話器から不機嫌そうな声が聞こえた。
上条澄
『君の会社の近くで待ってる。ちょっと話したいんで』
牧原美紗
こちらは別にお話しすることはないですけど
上条澄
『とにかく待ってるから』
牧原美紗
ちょ…!
 電話は一方的に切れた。受話器を睨み付けるあたしにチームのメンバーが不審そうな顔をする。あたしはあわてて笑顔をつくった。
牧原美紗
生命保険の勧誘ってほんっとしつこいわねえ



 17時に退社時間になったがあたしは十五分ほどもたもたしていた。
 どんな顔して上条に会えばいいのかわからなかったし、上条の話というのが予想もつかなかったからだ。

 それに今日は一昨日と違って化粧も時間かけてないし、服はいいかげんだし……って、何、服のことなんか気にしてんのよ!
 それにしてもどうして会社が……って、ああ、名刺を交換したわね。あのときはまさかあんなことになるとは思わなかったから。今からでも名刺に火をつけて証拠隠滅できないかしら。

 結局17時20分に会社を出た。車道の方まで出て左右を見ると、ガードレールに寄り掛かっていた上条が身体を起こした。
 一昨日と同じ黒いコートだ。立てた襟の影で白い息を吐く。
 上条はあたしを目で促してさっさと歩き始めた。
 その不遜な態度にカチンときたけど、仕方なくついていく。ありえないとは思うけどわめかれたらいやだし。

 会社から50メートルくらい離れたところに小さな公園があって、どうやら上条は最初から目星をつけていたらしいそこにあたしを案内した。そして振り向くと最初に出会ったときと同じ不機嫌な顔で手を差し出した。
牧原美紗
なんですか
上条澄
金。どういうことだ
 上条の手には1万円札があった。あたしが払ったホテル代か。
上条澄
俺は君に買われたのか。イチマンであいつの身代わりにされたのか
牧原美紗
はあ?
 上条は本気で怒っているようだった。札を差し出している手がぶるぶる震えている。
牧原美紗
なに言ってるのよ! そんなつもりはないわよ、それはホテル代よ。それに2軒目の飲み代だってあんたが払ったのよ、覚えてる?
上条澄
なに…?
牧原美紗
おごられる一方はいやなの! あたしは割り勘主義なのよ、貸しをつくるのがいやなだけ
上条澄
…………
 上条はお金とあたしを交互に見た。
上条澄
……ホテル代?
牧原美紗
そうよ
上条澄
……目が覚めたら君がいなくて金だけが置いてあったから俺はてっきり
牧原美紗
目が覚めたらお互いどんな挨拶するつもりよ。あたし恥ずかしくて逃げ出したのよ……
上条澄
そうか
 上条は、はあっと大きくため息をついた。白い息が顔の前に広がった。
上条澄
すまん、俺の勘違いだな
牧原美紗
……あたしの方こそ、書き置きひとつ残さなくて悪かったわ
 上条があっさりと謝ったのであたしも素直に謝ることができた。確かにあんなふうにお金だけ置いて消えればあたしだってそう思うかもしれない。
上条澄
だけど女性にホテル代を出させるのはな
牧原美紗
気にしないでください
上条澄
――だったら飲みに行こう
 上条は急に元気になって言った。
上条澄
いい酒と魚の店がある。君は日本酒が好きだと言ってただろ
牧原美紗
そういうの、困ります!
 あたしはしかめつらしてみせた。あんな醜態を演じた相手とまた飲みに行くなんてそれなんて罰ゲーム?
上条澄
滅多にこっちには出ない富山の銘酒があるぞ。それに今頃はうまい寒ブリが
 うう、この卑怯者!