───朝。
いつもは時間いっぱい寝ている私が、珍しく目覚ましが鳴るよりも早く目覚めた。
多分、昨日の手紙をどこかでずっと気にしているからだと思う。それと、もうひとつ。
寝息を立てて床で眠る来栖さんを、ベッドから起き上がって覗き込む。
相変わらず、顔だけはいいな……なんて、言ったら怒るかな?
細くて長い指は、私よりも綺麗なのに。
私の指と比べると少しゴツゴツしていて、やっぱり男の人なんだなって改めて意識してしまう。
小さく独り言をもらして、さっきまで自分が使っていた温もりの残る毛布を、ふわりと来栖さんにかけた。
いつ”アイツ”が来るか分からないけれど、もっとこの寝顔を見てたいな……なんて、私はすっかり来栖さんに夢中だ。
小さく声をもらして、眉間にシワを寄せたかと思えば、次の瞬間にはまだうつろな来栖さんと目が合う。
寝起き1発目から、なんとも来栖さんらしい言葉すぎて、呆気に取られた私は何も言い返せない。
同じ部屋で、一緒に迎えた朝が、こんなにも照れくささを運んでくるなんて知らなかった。
来栖さんからしてみれば、なんてことない捜査の一環なんだろうけど。私にとっては、きっと忘れられない朝になるだろうな。
昨日の夜だってスッピンだったけど、すぐに電気を消したから気にならなかった。
途中、蜘蛛事件はあったけど、あの時もバタバタしてたし……。
朝の清々しい太陽の日差しに照らされる中でマジマジと見られるのは恥ずかしすぎる。
「好き」
その言葉に、心臓は痛いくらい高鳴る。
こんな静かな部屋の中じゃ、来栖さんにもいよいよ聞こえてしまいそうだ。
思わせぶりで、ずるい。
警察官なのに、ずるい。
6つも年下の女の子をからかって、こんなにドキドキさせて。責任取ってくれないくせに。
フッ、と笑いながら文句も言わずに洗面所へと消えていく来栖さんの後ろ姿を見送って、まるで本当のカップルみたいなやり取りに、少しだけ嬉しくなった。
【1時間後】
あれから、変に緊張するより普通に過ごそうという来栖さんに従って、2人で朝ごはんを食べた。
そして、キッチンで洗い物を終えた私が再びリビングへと戻った頃、
───ピンポーン
エントランスからの連絡もなしに、いきなり部屋のインターフォンが鳴らされたことで、来栖さんの顔が一瞬で険しいものへと変化した。
小さく、いつもより低い声で呟いた来栖さんが静かに立ち上がって玄関へと進んで行く。
どうしようもない緊張が押し寄せて、今にも不安に押しつぶされそうになる。
首だけで振り返って、優しく微笑む。
緊張を微塵も感じさせないその表情は、きっと私を不安にさせないための、来栖さんの優しさ。
こうしている間にも”早く開けろ”とばかりに、何度も何度もインターホンは鳴り続けて、
───ガチャ
ついに、来栖さんが内側から鍵を開けた。
そして……。
来栖さんの言葉に、思わず目を見開く。
……つまり、来栖さんたちはこの男が私のストーカーだってことも、”伊吹”って名前だってことも……。その他にも、色々と捜査を進めてたってこと?
いつも捜査について聞いたって”まだ何も分かんない”って何一つ教えてくれなかったのに。
完全に理性を失った伊吹という男は、来栖さんを私の彼氏だと勘違いしているらしい。
部屋の中に私を見つけて、玄関を塞ぐように立っている来栖さんをグイッと押しのけた伊吹が部屋の中へ入ろうとするけれど、
来栖さんはそれを断固として阻止する。
逆上した伊吹が怒り任せに来栖さんを押しのけて、私目がけて果物ナイフ振り上げた。
そのまま、迷うことなく振り下ろされて。
───やめて!!
そんな言葉は、声に出せないまま。
痛みを覚悟した次の瞬間にはもう、床に赤い雫がポタポタと滴り、染めていく。
一瞬、覚悟を決めた痛みは、私を襲うことなく、床を染める赤も、私のものじゃない。
果物ナイフから私を庇うように、咄嗟に抱きしめてくれた来栖さんの温かい体温とは反対に、私の体は冷えきって、心臓はドクドクと嫌な音を立てていく。
来栖さんを刺してしまったことに動揺したらしい伊吹は、悲鳴に近い叫び声を発しながら、慌てて玄関から逃げて行く。
このまま伊吹を逃がすわけにはいかないけれど、今はとにかく来栖さんを助けることしか考えられない。
知らないうちに溢れ出す涙で、スマホの画面がよく見えない中、必死に119番通報する私の手は、見たことないくらい震えていた。
気付けば涙がとめどなく溢れてゆく。
必死に傷口を押さえるけれど、血は止まることを知らない。
それを見ていると、このまま死んじゃったらどうしよう、と怖くなった。
こんな時だって言うのに、やけに穏やかな声で話す来栖さんに、胸が苦しくなる。
私は、護られるだけの女にはなりたくないって思った。
”それが俺の仕事だから”
その言葉を最後に、来栖さんは静かに意識を手放した。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!