蝶子も栄一も、嫌みな言葉には慣れている。
だが、今の言葉は栄一には聞かせたくなかったと、蝶子は思った。
蝶子は、俯いているハナの手を取って歩き出す。
栄一も反論はしないが、その拳は強く握られていた。
しかし、ひとりだけ蝶子の横を通り過ぎて、彼らの前に出た人物がいた。
――ヨウだ。
彼らの前に立って、ヨウは淡々とそう言った。
抑揚はなくても、ヨウの言葉には少し悔しさが滲んでいるように聞こえた。
同級生たちが、反論もできずに固まっている。
通常、アンドロイドは人間に好かれようと行動するプログラムが仕組まれているため、こうして人間に強く意見することはあり得ないのだ。
蝶子は、堪えきれずに吹き出してしまった。
栄一も口を押さえて必死に笑いを堪えているし、ハナはヨウに同意して大きく頷いている。
隙を見て、蝶子はヨウの手を、栄一はハナの手を引っ張って、走り出した。
そして、同級生たちが見えなくなったところで立ち止まり、蝶子は手を伸ばしてヨウの頭を撫でる。
なんとなく、そうしたい気分だったのだ。
ヨウはされるがままだったが、少し戸惑っている様子だ。
微かに頬を赤くし、胸の中心辺りを押さえている。
ヨウに、また感情が芽生えかけている。
ヨウはそう呟いて、口角を上げた。
初めてヨウの笑顔を見た蝶子は、息を呑んだ。
***
栄一たちと街に出てから、数週間。
蝶子はヨウを連れて外に出る機会を作り、ヨウも出会ったアンドロイドと積極的に交流するようになった。
ヨウは、蝶子が学校に行っている間に学習を続け、驚異的な早さで高校卒業レベルまで身につけてしまった。
しかも、屋敷にあった本や資料も読み切ってしまったので、今は映像や書籍の配信サービスを使って時間を潰している。
本来であれば、派遣先で仕事をしながら少しずつ学んでいくことが博士の理想だったのだろう。
しかし、ヨウには基盤となる知識が少なかったせいで、仕事を覚えようにもできなかった。
現場の人間が根気強く教えていれば、こんなことにはならなかったはずだ。
蝶子が驚いている目の前で、ヨウは真剣にドラマを見ていた。
3年前くらいに流行った、恋愛ドラマだ。
今なら、ヨウを社会に出しても問題ないだろう。
だがそう考えると、蝶子の胸がちくりと痛む。
ヨウに対する感情は、言葉にすると愛情なのかもしれないが、それは家族に向けるようなものだ。
彼は博士の形見であり、蝶子の好奇心を満たしてくれる存在だったに過ぎない。
蝶子はそうやって、無理に自分を納得させた。
端末で視聴していたドラマが無事ハッピーエンドを迎えたらしく、ヨウは満足げに頷いて立ち上がる。
ヨウは嬉しそうに微笑んだ。
『家族のように親しい人には、敬語を使わない』ということを学んでからは、次第に蝶子に対する敬語も取れ、一人称が「僕」に変わった。
言葉遣いが柔らかいものになり、表情も豊かになりつつある。
蝶子の目標とするところに近づいているのに、困ったことも出てきていた。
【第11話へ続く】
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!