第4話

プロローグ(3)
916
2021/07/06 09:00
──原初の時、ひとはまだ裸の獣であった。
ある時獣は、身を護るために布を纏った。衣服の誕生である。そして、獣がひととなった瞬間だった。
これは、はじまりの魔法であった。
獣が、衣服を纏うことでひとになった、原初にして、もっとも強大なる魔法。
そんな内容のスピーチを聞きながら、クロエ・ノイライは睡魔と戦っていた。
つまらない、退屈な話だ。なぜなら、そんなものは魔女を目指すものなら誰でも知っている。
そして、その続きも当たり前に知っているのだ。
「そして、時は流れました。衣服はいつしか魔呪盛装となり、魔女に魔法の力を与えます。たとえば、古代ギリシャ時代などは、大きな布を巻きつけたり結んだりしたたものを、衣服として用いましたが──」
この大西洋に浮かぶアトランティス諸島──古の魔法帝国アトランティスの沈没を免れた神秘のひとかけら──に住まうものなら、幼年学校時代から、いや、もしかすると物心ついた頃から何度も聞かされている話だ。
ようやく入った学園で、最初に聞かされるのがこんなかびの生えたような話だなんて……。
クロエは形の良い唇を歪ませ、あくびをこらえる。
昨晩よく眠れなかったため、そろそろ睡魔に負けそうになっている。まぶた同士がくっついて緑色の瞳を完全に閉ざす。そして頭がふらふらと動き、そのたびに薄緑色の長い三つ編みがゆらゆらと揺れる。
集会用のホールはいい具合に薄暗く、学生席も思った以上に座り心地が良いので、このまま寝入ってしまいそうになるのだが、いくらなんでもそれはまずいだろう。
今日は、特別な日──入学式なのだから。
アルストロメリア学園。
一流の仕立て師と一流の魔女を育成するための、世界最高峰の学園。
アトランティス本島で生まれ育ったクロエにとってももちろん憧れの学園だが、世界中の仕立て師や魔女を目指す若者にとっては、大いなる夢を摑むための場所。卒業後は国や組織での出世は約束されているだろうし、名声や金銭も得られる。あるいは家業を立派に継ぐ者もいる。それ自体が幼い頃からの夢である者もいるだろう。それらはすべて叶うのだ。
実際にホールの中には、いかにも異国人といった容姿の新入学生もそれなりにいる。各々の事情により異なるが、ほとんどは十五歳から十八歳の若者だ。この学園は実力と才能、そして学ぶ意思を持つ者に対して平等に門戸を開く。他の国ではこうはいかないだろう。
皆、真新しい揃いの制服に身を包み、真剣な瞳で壇上を見つめていた。
……そうだ、私は今、あのアルストロメリア学園にいるんだ。
クロエはそっと、制服のスカートをつまむ。
上等な、しっかりしたグレーの生地でできたワンピースだ。
胸元はボタンのある大きな逆三角形の白いヨーク襟、少し膨らんだ長袖の先には白いカフス。ウエストは少し低めの位置で切り替えがあり、そこから膝下丈のスカートがふわりと広がっている。
そして、クロエたち魔女科の女子学生なら、左肩の飾りリボンから短い布が小さなマントのように流れている。一方、仕立て科の女子学生なら、胸当てのない白いエプロンを着用することになっている。
男子は仕立て科にしかいないので、皆揃いのグレーのスーツだ。
……ずっとずっと、憧れていた、アルストロメリア学園の制服。
私は今、それを纏っている。それを着た子たちに囲まれて、入学式に出ている!
朝から、いや、昨晩から準備のためにバタバタしていたので、ここに至ってようやくそれを実感できたクロエは、眠気こそすっかり吹っ飛んだが、今度は喜びと、そこからやってくるそわそわが止まらなくなってしまった。
かびの生えた退屈なスピーチさえも、もう眠気を誘ったりはしない。
「それでは、式の最後に学園長より、新入生の皆への言葉があります」
その言葉の後に登壇したのは、二十代半ばぐらいの麗しい女性。
この島に住まう者ならその姿は知っているし、おそらくは世界中の者がその名前を知っている。
ユミス・ラトラスタ・アトランティス。アルストロメリア学園の長であり、この島を管理する国際魔女連盟の長でもある女性。かつて、この学園に一位で入学し三年間その座に君臨し続け卒業。国際魔女連盟の幹部候補として迎えられ、主に外交で華々しい活躍を続け、史上最年少で連盟長に就任。時には大胆な人事で連盟を動かし、時には冷徹な判断を下して連盟を守ってきた。
そんな偉大な存在である学園長の言葉を待ち、新入学生たちは固唾をのんだ。

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