不意に目が覚め、私はベッドの上から体を起こした
微睡みの中、部屋の壁に掛けられている時計で時間を確認する
朝の五時か・・・・・・まあ余裕だな
私は素早くベッドから抜け出し、いそいそと支度を始める
顔を洗い、歯を磨き、制服に着替えて準備は万端
数ヶ月前まで当然のように袖を通していた使用人の服は、今ではタンスの奥に押し込まれている
演説をした日、私はそのまま理事長室へ向かい、室内にて待機していた日本のトップとなる首相に直談判した
何故そんな伝手があるのだろうか・・・・・・ととても疑問になったが、まあ結果オーライなのでそこは気にしないことにする
そのお陰で私が持っていた情報は瞬く間に日本から世界中に拡散され、今では知らない人はいないまでになった
最近、アストロータの研究を始めるという案も出ていて、かなり現実的に進められているので期待が高まる
私もその研究に参加させて貰えるんだとか。15年前の研究者の性はまだ残っているらしく、決まってもいないのに興奮が収まらない
さて、長年使用人を勤めていたせいで早起きになってしまったが、これはこれでいい
朝の五時と、まだ使用人と当主以外に起きている人はいない時間帯だ。これはこれで好都合とばかりに私は部屋を出る
廊下を歩いている際、人とすれ違う度に『おはようございます、瀬奈様』と呼ばれるようになった
今日も例に漏れず、瀬奈様呼ばわりだ
私としてはかなりこそばゆい。やめてくれと何度も言っているのだが向こうは頑なに敬称をつけるので、私が根負けしてもう放置することにした
度々掛けられる声に返答しながら、独りで廊下を歩く
私がずっとやれなかったこと。それを今、堂々と出来るというのだから今のうちにやっておきたい
寄り道をすることなくいの一番に向かう先は、私が使用人として何度も通った当主の部屋────執務室
時間帯を考えれば非常識とも思われるだろうが、私情により関係ない事にする。今日、それも学園に行く前までに済ませておかなければならないのだから
二階に続く階段を淡々と上り、緊張からか鮮明に聞こえる鼓動を自覚しながら、私は扉の前に立つ
すっと短く息を吸い、中にいるであろう父に聞こえるよう、あからさまに扉を強く叩いた
暫くの間を置き、「入れ」と扉越しのくぐもった声が鼓膜を震わす
「失礼します」と、一言断りを入れてから、私は初めて、『本条瀬奈』として、執務室へ足を踏み入れた
両手で収まる程度しか入ったことの無い執務室は、どこか重厚な様があり、整然としていた
そして目の前の1人がけの椅子に座る、その見た目と裏腹に威厳ある雰囲気を漂わせる若い男性
本条家の現当主であり、紛れもない私の父
彼の耳にも届いているはずだ。私が転生者であり、超能力の真実を知っていて、そしてその情報全てを本条家ではなく学園の理事長に告白したことを
・・・・・・半ば、この家を裏切ったも同然の行動を起こしたことを
もちろんそれは承知の上でここに来た
えも言われぬ険悪な空気が室内を席巻する中、私はこの沈黙を破るべく、重い口を開いた
嫌味ったらしくにこりと笑いながら挨拶をすると、真一文字に結ばれた父の口がゆっくりと動く
僅かに目を細め、抑揚のない淡々とした声色でぽつりと感想らしきものを漏らす
一瞬言葉に詰まりながら、私はその動揺を悟られないよう、鍛え上げられたポーカーフェイスを貼り付け、話を続ける
本当に自分の声かと聞き紛うほど、冷酷で慈悲の欠片も無い声が響く
────────嘘だ
ずっと、家族として接していたかった
他愛もない会話に花を咲かせ、身内話で笑い合い、気を遣うことなく過ごせる日々を、喉から手が出るくらい欲していて
前世も生まれた時から愛情を知らず、ただ研究に没頭していたから尚のこと・・・・・・暖かい家族という存在を持つ彼らに、羨望の眼差しを向けていた
今となっては叶わない理想。ひたすらに追ったところで、もう私が手に入れることは無いだろう
その未練を残さないよう、私はここに来たのだから
表情を一切変えず、意思の汲み取れない真顔のまま、父は小さく首肯する
それから再び、それが暗黙の了解であるかのように静かな時が訪れた
感情を抑えて、ただ淡々と言葉を紡ぐのみ。それが終わればお互いが沈黙し、その沈黙を破るのがどちらかという心理戦じみたことをする他ない
ふと、まだ本題が残っていることを思い出し、私は再び口を開いた
そう、私は誘いを受けたのだ
アストロータの研究への助力。その誘いを受けたことを機に、私は今後もう一度研究者になり、人生をやり直すことを決めた
それはつまり─────この家と絶縁し、自立して生きていくということに他ならない
この家を介して秘密を明かさなかった段階で既に、私はこの家との縁を切ることは決めていた
本条家の利益となりうる情報だ。その情報を唯一持っていた私が非協力的な姿勢を見せた。それはつまり、本条家への不信感を露わにしたということ
この家でのうのうと過ごしていく資格などない。だからこうして・・・・・・今世限りの家族との絶縁を持ちかけた
これで私を引き留めようものなら見苦しい。必ず、父は引き下がるはずだと踏んでの行動だ
前世での人生を仄めかすことで、今更親としての権利を示すための援助は要らぬものだと遠回しに伝え、この場から去りたい胸懐そのままにぺこりと一礼し、踵を返した
ようやく解放される。この忌々しい家から
本条家の恥晒しだと罵られる日々から
それと同時に、二度と手に入れられない『家族』を捨てることも解っている
構わない。それが私なりのけじめであり、責であるから
もうこの部屋に立ち入ることはないだろう。そう心に綴り、扉のレバーに手をかけようとした瞬間
生まれてこの方一度も聞いた事のなかった声が、耳朶に響き、私の脳を侵食する
溢れそうになった想いを意地と屈強な精神力で押し留め、私は目尻を一度拭った後、くるりと上半身を捻った
何もわからぬように、悟られぬように
ただその顔に無表情を貼り付けて、私は名前を呼ばれたことに対しての疑問を述べる
未だ1ミリたりとも表情筋の動かない父との沈黙が流れる
ただ、彼は私の瞳を真っ直ぐ捕らえたままでいた
目が離せないとはこういうことを言うのだろう、と実感する
ただこの場合、離せないのではなく離させないのだ。それでも、目線を交わし合っていることに変わりはない
いつの間にか、この部屋から逃げたいという気持ちは跡形もなく消えてしまった
──────もしも、もしもの話。私の妄想にしかならない話
この家にずっと居ていいと言われたなら私は・・・・・・ここに留まるだろうか
いや、そんな事あるはずない。何より私は、ここに留まる理由も、資格も、何一つ持ち合わせてはいないのだ
それは既知の事実であり、私自ら父に提示したことなのだから
下唇を噛み締め、虚しさを隠すように私は言葉を続けた
もう、この家に用はないない
その一心で必死に絞り出した言葉は、父の前ではあえなく消え散った
瞬きすらすることを許されないような空気の中、ふと父は立ち上がり、私の元へ歩み寄ってくる
目の前に無表情のまま佇む父は、おもむろに腕を振り上げる
学校での記憶──馬鹿にされ、時には叩かれ殴られした過去──が瞬時に思い起こされ、殴られると感じた私は反射的にぎゅっと目を瞑った
ただ、それは杞憂だったようで
頬に痛みが走ることはなく、代わりに私にのしかかったのは、頭を撫でられる感触のみだった
どこか不慣れな手つきだと感じさせるその重みに、私の瞳は見開かれる
────今日だけは、これが夢だと思いたい
ここに居ていいと。この家での安寧を約束されることが嘘であればいいと
今までどれだけ冀望を持ったところで叶うことはなく、一生手の届かない、羨望の眼差しを向けるだけの対象だと思っていたのに
静かに呟かれた “過去の願い” は、悠然とその空気を漂う
誰かの耳に入ってしまえばすぐに消えてしまう。そんな価値の低い言葉ではない
灼けつくような喉の痛みと徐々に熱を帯びる目頭を隠すように、ぎゅっと下唇を噛み締める
我慢しなくては────大人びている私の強靭な精神力は、だがどうしてか、父の前では通用しなかったようだ
それを証明せんと、ずっと私の頭に手を置き、優しく摩っていた父は、その重い口を開く
────一人で溜め込むな。本音を偽るな。お前の居場所はここにある
その瞬間、私は呼吸の仕方を忘れた
ひゅっと、息を飲む掠れた音が私の喉から迸る
衝撃が脳内に木霊し、微動だにできない私の頬を、目元から溢れた一筋の雫が伝う
それがきっかけとなり、直後には堰を切ったように涙が幾重も連なって滴り落ちていった
────ようやく手に入れた居場所を噛み締めるように
止まらない嗚咽を恥じることなく晒す私を、父は依然として頭の上を優しく摩っているだけで、言葉は一切交わさない
それでいい。それが、私らしい “返答” だろう
誰かに認められるというのは、こんなにも爽快だったっけ・・・・・・もうそれも忘れてしまったのに
30年も前に何処かへ置き去りにしてきた感情は、この日ようやく、私の手元に戻ってきた
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
その後、父から『家族であることは忘れるな』と再三言い聞かされた後に退室許可が降りた私は、目を赤く腫らしたまま自室へと向かった
この状態で学園に行かなくてはならないのか・・・・・・と少しだけ嫌気がさすが、私には超能力があるので全く問題はない
1度その場に立ち止まり、片目を覆うように右手をかざすと、手のひらから微かな光が溢れ、腫れぼったい目を包んだ
それをもう片方の目にも施し、両眼ともに元通りになったのを指先で確認して、私は廊下を歩く
自室の前まで到着した私が中に入ろうと手をドアレバーに伸ばした時、不意に服のポケットが振動した
ぴたりと手を止め、すぐにポケットの中に手を入れてお目当てのものを取り出す
私が手にしているもの────それは、科学の発達を象徴するスマートフォン
主要な連絡手段としては有名なもので、ここ最近超能力の欠点が露呈してからは特に注目されるようになったのだ
その液晶画面に表示されていたのは、私が初めて電話番号を登録した人の名前────ましろである
手の中で振動し続けるスマホの画面を見つめながら小さく毒を吐き、苦笑する
あの日、私もましろが正面から向き合っていなかったら
否、それよりも前。ましろが私の正体に勘づいていなければ、不適合者として嘲られる人生を送っていたのだろう
ましろがいたから、独立していた私の運命の歯車は噛み合って、そして滞りなく廻り続けるのだろう
私が唯一信頼する相手。そして、幾つもある人生の分岐点で私を正しい道へと導いてくれる存在。今までもこれからもそうなるだろうと、私は既に確信している
・・・・・・さて、そろそろ私も本格的に一日を始めなければならない。そしてその鳴り止まないましろの呼び掛けにちゃんと答えないと、学園で怒られそうだ
通話ボタンを押し、そのまま耳元にスマホを添える
呆れたような声色で挨拶をすると、『ふふ、ごめんね。ちょっと掛けてみたくなっちゃって』と茶目っ気の漂う台詞が返ってきた
ましろの返答にため息をつきながらも薄く笑ってしまったことは、彼女には内緒にしておこう
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
今では超能力は、『特に便利で有用性のある力であるが、不要な使用は控えるべきもの』として認識され、その代わりに科学が注目されるようになっていた
超能力の陰に隠れ潜んでいた科学は、超能力出現時よりも高度な発展を遂げていた為一目置かれるようになり、それが理由で日常的に使われている科学道具を再認識されるきっかけにもなった
超能力に明確な『限界』があることが、更に科学のメリットを強調する一因になったのだ
もし私が超能力を使わなければ、今も失われるはずのなかった命の灯火が消えていただろう
でも、これはまだ序章に過ぎない。私が目指すべき終焉までの道のりは、ずっと先まで続いている
さて・・・・・・そろそろ始めよう
心の中で描いていた理想を実現するために
─────超能力と科学が共存できる、完璧な世界へするために
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!
転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。