前の話
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私は今、菊さんの家の居間で、静かに読書をしている。
菊さんは、なんかお仕事が忙しいらしくて構ってもらえなかった。
まあでも、誰もいない静かな空間での読書というのはいいものだ。
まさに至福の時───
完全に不覚だった。
ここは菊さんの家だ。つまり、彼が出現する確率も高まるのだ。
スパーンと小気味良い音をさせて襖を開けたアル君。
そんなん私がしたら菊さんにこっぴどく叱られるわ。
不満げな顔で言われたので、仕方なく鞄を漁ってみる私。
ごそごそと引っ掻き回していると、鞄の底の方で感触が。
引っ張り出してみると、なんとチョコのアソートが出てきた。
つくづく私もアル君に甘いと思う。
多分、彼がこういうときに放つ圧倒的末っ子オーラのせいだと思う。
アル君にチョコアソートを袋ごと渡す。
するとアル君は嬉々として、チョコレートを頬張り始めた。
もぐもぐしているアル君を眺めていると、ふとしたようにアル君が私の方を向いた。
本当は、チョコをくれた女性に男性が返す形だけどね。
まあ説明がめんどいので言わない。
アル君はそういうとあぐらをかいて、両手をこちらに向けて伸ばした。
訳が分からないが、とりあえずアル君の方へ近づく。
すると、いきなりアル君の腕の中に閉じ込められた。
びっくりして抵抗もできずに固まっていると、顎に手を添えられ、くい、とアル君の方を向かされる。
これまた私が固まっていると、唇にぬくもりと、わずかな甘味。
どうやら、この末っ子もどきは、私の口に口移しでチョコを押し込んでいるらしい。
どろどろと口内を埋める甘いチョコレートに頭がくらくらしてきた頃、ちゅ、とわざとらしいリップ音と共に口が離れた。
そう言いながら、私の唇の端についていた溶けたチョコを、わざとらしく舐めとるアル君。
それを受け入れてしまうのだから、私の頭はおかしくなってしまったようだ。
それはきっと、部屋中に充満する甘い香りのせい。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!